成人の日に

2017年01月10日

昨日は成人の日でした。
ほとんど気にしていなかったのですが、この時代に新成人となる人たちは一体どのような心持ちでその日を迎えたのでしょうか…。

そういえば元旦の日に読んだ新聞に、京都大学総長の山極壽一(やまぎわじゅいち)先生のとても意義深い記事がありました。読まれた方もいらっしゃるでしょう。スクラップしておけば良かったのですが忘れてしまったので、記憶を頼りにご紹介がてら感想を書きたいと思います。

2017年へ向けて、これからの社会をどのように生きていけばいいのか、識者の立場からの提言でした。著者は霊長類(特にゴリラ)研究の第一人者であり、その点からも興味をそそります。

記事の中で、クリスマスに一人で高級ディナーを食べる若者の話を取り上げ、本来、自己とは「他者による規定」によって成立するものなのだというような内容でした。これは臨床心理学でよくいわれる「他者の欲望を生きる」「他者の評価を気にする」ということではありません。「他者の欲望を生きる」という簡単な例は、「本当はこの学校へ進学したいのに親の望みを優先させてこっちにした」というようなもので、それと山極先生の主張とは違います。

上記の例の若者は、やけ食いではなくて一年間頑張った自分へのご褒美としてディナーを設定していて、その自分の状況に満足しているようなのでした。それはそれとしてあってもいいように私は思いますが、山極先生の憂いもよく理解できます。自己完結していて、他者との交流がないことを別に何とも思わない、というのはやはり問題でしょう。

そしてここが一番大切だと思うのですが、山極先生の主張は「目的的ではない、人との関係がこれからの時代に大切だ」ということでした。目的的であるということは、「ポストが高いから、お金持ちだから、職業がいいから、外見がいいから」などの理由で付き合うような損得勘定のある関係です。目的的ではない関係とは、例えば養育者が赤ちゃんに接するような関係だとか、協力的で支え合う関係だとか、お互いに相手のことを思いやる関係といったものです。

純粋に損得勘定のない関係なんかない、この世は give & take で成り立つのだ、と考える人もきっと多く、それも一理あるのでしょうが、この両者の繊細な相違を理解できるような大人に、これからの若い人たちはなっていってほしいと切に思います。

春の香り

春の香り

 


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