1. 心理 東京
  2. ブログ 心's LOOM

ブログ 心's LOOM

4月7日(日)

2024年03月15日

アダルトチルドレン、家族関係、オープンダイアローグに関心のある方は下記公開講座があります。

鎌倉市大船なので少々遠いかもしれませんが、当日はお手伝いで私も会場におります。鎌倉芸術館はかつての松竹大船撮影所の跡地にあります。まだ桜の咲いている時季だといいのですが…。関心のある方は是非足をお運びくださいね。

https://jafact17th-open.peatix.com


亡き人と会う

2024年03月13日

東日本大震災から13年目を迎えました。家族を失くした人たちのその後を追った報道を見ていました。元旦の能登半島地震もそうですが、今までそこにいた人がある日突然いなくなってしまうことの痛みについて考えさせられています。

「不条理な死」と盛んに言われていますが、病気などの場合も残された人に与える影響は同じところがあるのかもしれません。家族を病で失ったときに「(亡くなると)分かっていたことでしょ?」と慰めてもらったことがありますが、覚悟は出来ていると思っていたはずが現実は全然分かっていませんでした。条理に適った死というものがどのくらいあるのだろうか…と今は思います。

最近ふと目にした番組で、デジタルクローンのことが紹介されていました。何年か何十年後には一人一人に自分のデジタルクローン(分身)が出来て、仕事など生活の一部を担ってくれるとクローン制作会社の社長が話していました。

そのクローン技術でもって、幼い子を失った母親が3Dのゴーグルをかけて今は亡き我が子に会いに行く、という場面が流れました。娘そっくりのクローンに会い、一緒に遊び、話し、ハグをしたり、今は不可能なことを仮想現実のなかで思いを果たしていました。現実の母親の頬には涙がつたわっていて、母はその体験を喜んでいました。

デジタルクローンを使ったこの体験については賛否両論があるとのことですが、見ていて一番に思ったのはこれなら心理療法で十分出来るなということです。例えば嶺頼子先生の提唱している「ホログラフィートーク」などであれば、会いたい人に会い、修正体験も含め思うように過ごせるでしょう。自分のイメージ力と軽トランス状態とセラピストを利用し、何かあっても対処できる形でより安全に行えると思いました。

デジタルクローンの幼子に会った母親がその後精神的に安定しているのかどうか、一臨床家としては大変気になるところです…


暑さ寒さ

2024年02月23日

とても寒い一日ですね。
本日から午前中研修のため朝5時半起きです。雨でお湿りがあるのは幸いでしょうか。発熱する方が増えているようなので、寒暖差もあって難しい近頃ですが、どうぞ体を労わってお気を付けください。

 

冬桜


読書1

2024年02月04日

昨日は節分でしたね。皆さんは豆撒きをしましたか。私は豆撒きをして恵方巻も食べました。恵方巻の習慣は子どもの頃は全くなかったのですが、美味しいですよね。恵方位を向いて一気に食べるのは勿体ないので、普通にカットして夕飯でいただきました。

さて今年初めての読書として、前回のブログで取り上げた『ネガティブ・ケイパビリティ』-答えの出ない事態に耐える力-(2017、帚木蓬生)を読んでいました。ポジティブ・ケイパビリティが問題解決能力だとしたら、ネガティブ・ケイパビリティは「答えのない困難な事態や複雑な状況に急いだり焦ったりして安易な理由や原因、解決方法などに飛びつかない、不確実さ、懐疑の中にいることができる負の能力」ということでした。

精神医学の限界を感じていた精神科医の著者が、アメリカの精神科医の論文を発見し、詩人キーツに端を発するネガティブ・ケイパビリティの重要性を説いているものです。ネガティブ・ケイパビリティが、精神科医療や終末期医療を始めとする医療、音楽や絵画などの芸術、文学、教育に如何に濃厚に関わってくるか、とても読み応えのある構成となっています。

初版が2017年ということを考えると、非常に感慨深いものがあります。世界はまだコロナ禍も本格的なウクライナ侵攻やガザ攻撃も経験していないのに、終章は「寛容とネガティブ・ケイパビリティ」となっているからです。この負の能力を土台にしてこそ真の寛容さや共感といったことが成り立ち、未来に益々必要なのだと著者は語っています。


ネガティブ・ケイパビリティ

2024年01月14日

2024年を迎えました。
様々に思うところ、考えるところの多い年初であったと思います。

テレビや新聞でニュースばかりを観たり読んだりしていましたが、ここ最近「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を耳にするようになりました。私はまだ読んでいないのですが精神科医の帚木蓬生氏が著書を出していらっしゃいます。

ネガティブ・ケイパビリティとは簡単にいうならば、「不確実・未解決なことをそのまま受けとめる力」です。安易な解決や原因、理由などを即求めたりせず、耐えながらも深い理解をめざしていく能力だそうです。(念のため、介入を必要とする緊急事態への対処はこれとは別です。)

この言葉自体は初耳でしたが、似たようなことはまだプラクティカム生(実習生)だった頃にスーパーヴァイザーから何度も繰り返し教えられてきたように思いました。クライアントが苦しさや辛さetc. マイナスな気持ちを吐露した時、まずはそれをそのままの状態で受けとめなさい、ということだったかと思います。不用意にポジティブな励ましをしてはならない、ということです。

「そのまま受けとめる」、心の筋力が求められているように思います。

 

 

 


今年一年ありがとうございました。

2023年12月29日

新年は1月4日(木)からの営業になります。今年は私事で急遽休みが続いたこともあり、クライアントの皆様にご迷惑をおかけしました。こうして無事仕事納めを迎えられますことを、心より感謝申し上げます。

今年はコロナ禍が明けて(5類に移行して)、月一の仲間との研究会が実地で行われるようになりました。オンラインも興味深い試みでしたが長い間実際会わないでいると、たとえ顔見知りであっても最初は何というか緊張するものですね。「物理的に人がそこにいる」ということのエネルギーをひしひしと感じた一年でした。

2024年も学びの多い年となりますように…
また世界が少しでも平和に近づく年となりますように…

 

変貌激しい渋谷、何年ぶりの訪れ

 

 

 


ロールモデルのない時代

2023年12月02日

2023年も残すところ約一月となりました。

2024年は一体どのような年になるのか、抗えないところでは確実に気候変動の問題がありますね。それからいつ起きてもおかしくない地震など自然災害の問題。身近なところでは物価高とか様々な業界における人員不足の問題。数え上げればきりがありませんがどうみてもnegativiなことが多いような…。物価高は目指すべきところだとする評論家が多いですが、庶民の所得が上がらなければ人心は疲弊していくのみです。

ではpositiveな面はどこにあるのだろう…ともこの頃よく考えます。AIが生活の隅々にまで入ってきて第二のIT革命が起きることなのか。AIの使い手である人間の能力や良心、道徳が一層問われるであろうし、淘汰される仕事と必要とされる仕事の交代がスムーズにいくかどうかの心配もありますが、きっとメリットも沢山あるのでしょう…。ウェアラブルなAI端末で母語で話しても直に通訳されるようなものがあれば、外国語の勉強もいずれは不要になるかも?

人々の生き方、心の在りようはどうなっていくのでしょうか。

この間コラムか何かで「女性にとってこれというロールモデルがないのが現代であり、だからとても生き辛い時代なのだ」という趣旨のものを読みました。これは日々の臨床の中でも切実に感じていたことでした。特にトラウマが無くても「何をしたいのか、どうなりたいのか、したいことがよくわからない」という方が実に沢山いらっしゃいます。

ロールモデルのなさは多様性の尊重やジェンダーの問題とも大いに関係がありますよね。ライフスタイルの多様化、結婚するか否か、子を生むか否か、どこで何をしてどのように生きていくのかなど、(少なくとも建前は)自由に選択できるのが今の社会です。昔の女性たちは結婚したり子供を生むことを選択だとは思わずに無意識に当然のこととして受け入れてきたのではないでしょうか。

私はこの「選択」や「多様な価値観の尊重」というのは自由や自己肯定に繋がっている尊重されるべき権利だと思っています。一方で、分かりやすい御手本がなかったり、好むと好まざるとに関わらずその手本から外れた人生を歩むとなると、茫漠とした世界のなかを進んでいくような不安な感覚に襲われるのではないでしょうか。

特に日本は世間の同調圧力が強く、また失敗すると自己責任論が強い社会なので、並々ならぬ生き辛さ、息苦しさを抱えて生きることになるのだと思います。勿論このことは女性だけでなく、今の時代を生きる男性たちにも同じなのかもしれません。2024年の希望があるとすれば、色々な生が肯定され、且つ孤独や孤立をこれ以上深めない社会になってほしいということです。微々たる力でも自分に何ができるのかも考えていきたいと思っています。

 

marigold発芽から 119日目、たった一株(💧)

 

 

 

 

 

 


このページの先頭へ