2024年07月03日
最近読んだ小説の話。
3月31日付のブログで亡き人に会いに行くデジタルクローンの話を書きましたが、正にその話が小説『本心』(平野啓一郎著、2021)のモチーフとなっていて驚きました。
2040年代、母一人子一人で育った青年(20代後半)が最愛の母を事故で失い、思慕の念から数百万円で母のデジタルクローンを作成してもらい、ゴーグルを掛け VR の世界で日々二人の時間を持とうとします。
健康な母が何故か生前「自由死(安楽死)」を強く望んでいたこと、それを巡る青年と母の葛藤、父が誰なのか青年はよくわかっていないこと、高校を中退した青年の境遇と職業、そういったことが絡み合うなか、母の本心を知ろうとする青年の人生が動き始めていきます。デジタルの世界とリアルの世界が相互に影響を与え合いながら話は進んでいきます。
デジタルクローンに対し私は当初懐疑的な立場でしたが(今でもそうかもしれませんが…)、それでも自分の置かれた状況が異なれば VR の世界に感情の交流を求めることも十分あり得るかもしれないと思いました。
話の詳細は省きますが、それまで孤独だった青年が母から離れて自分の世界を広げていく過程に心が揺さぶられ涙が溢れてきました。私たちは所詮、親や家族の人生の全てを知ることはできず、「他者」として向き合わねばいけないところもあるのですよね。
秋には映画も公開されるようなので、是非楽しみにしていたいと思います。
2024年06月21日
いよいよ本日より梅雨シーズンとなりました。
洗濯ものの処置に困りますね。乾燥機のない身としては、室内干し、扇風機をフル稼働させます。とはいえ、電気代も値上がりですしね…。
さて、7月は学会などの関係でお休みが増えます。予定意外にお休みをいただく場合もございますので、ご希望の方はお早めに予約をお取りください。
今年も学会で神戸に行けるかなと踏んでいたら、講師の来日費用や参加者の宿泊費の高騰などからweb開催となりました。対面とwebとどちらがいいか。経済的にはweb開催は有難いですが、結局、海外との時差により深夜までかかるので宿泊場所を抑える必要があります。交通費が掛からない分今年はちょっといいところを取ろうかなとも思いましたが、迷った末に定宿のビジネスホテルにしました。インバウンドの煽りによりビジネスもかなり高騰していますね。こんな狭い部屋でこんな価格払いたくないと思いますが、清潔なシャワーとベッドがあるだけでも幸せだと捉えたほうがいいのでしょうか…。
今朝のニュースではインバウンド需要と猛暑によってお米の価格も上がっていると報じられていました。こちらは秋の収穫によっては落ち着くそうです。今夏が酷暑でないことを願います。
2024年05月31日
明日から6月になります。既に梅雨空のような気候が続いていますが、今夏の猛暑予報が気になりますね。気温がそこまで上がらないといいのですが…。
最近読んだ新聞サイトの記事に、unesco(国連教育科学文化機関)の「教育勧告」が約半世紀ぶりに改定され、そのスピリットを大学の先生が紹介しているものがありました。
平和で持続可能な社会の実現に向けて、何よりも必要なのは「共に生きることの大切さ」であり、そのための具体的な教育提言が勧告に挙げられているとのことでした。(ちょっとunescoのHPを検索してもみたのですが、混み入っていて原文を見つけることが出来ませんでした。もうじき翻訳が出るので目を通してみるつもりです。)
しばしば心理面接のなかでCLさんたちの口から出てくるのが、「所詮人間は本能の動物なのだから、弱肉強食なのは当たり前なんでしょ」という半ば諦めのような訴えです。
果たして本当にそうなのでしょうか…。弱肉強食の時代があったにせよ、人は経験を積み重ねて、能力や効率、生産性などでは測れない価値を見出し続けていると私は考えています。たとえ世界をゼロサムゲームの場にしても、結局は共倒れになると今日判明してきたのではないでしょうか。
先の記事では耳慣れない、勧告のなかで使われているconvivial(ワクワクするような)という言葉が紹介されていました。この言葉は元は「共に生きる(live together)」の意であり、conviviality は「自立共生」という訳語が与えられているそうです。これからの時代に必要な教育はconvivial なものであり、それは子どもたちだけではなく、世界中のあらゆる大人たちにも大切な機会となっていくと思います。
2024年05月24日
月曜日に代々木まで研修に行っていました。テーマは「強迫性障害におけるEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)」。講師はドイツから長期に渡って滞在されているカルステン・ブーム博士でした。
実は全く同じ講義を3月にも受けていたのですが、その時会場は名古屋だったので私はオンライン参加をしていました。オンラインでは音声や画質のせいもあるのか無いのか、内容がほとんど「???」の状態で睡魔との闘いだったのですが、実際に教室で受けてみると比較的良く理解できました。やはり「場」の力は大きなものですね。それでも難しかったことは確かですが…。
ブーム博士はドイツ人だからなのかフロイトにもしばしば言及されたり、セラピストとクライアントの関係性におけるセラピストの在り方についても丁寧に教えてくださいました。
一つ印象的だったことをシェアします。
それは、自尊心(self-esteem)の背景には「失敗と敗北を許せる力」と「また努力できる力」がある、というご指摘でした。自尊心は「私はすごい」「私は価値がある」etc.のポジティブな感情というだけでなく、「失敗と敗北を自分に許せるか」という、とても優しく大きな力が含まれているのです。近年よく言われる「慈悲」や「寛容」の精神にも繋がりますよね。
これを聴いていて安らかな気持ちになったとても有難い研修でした。
2024年05月17日
5月も中盤にさしかかりました。寒暖差が激しくて体調が不安定になりますね。また所謂5月病のような状態になる人もいらっしゃるかもしれません。適度に体を動かしたり気分転換をはかったり、それでもどうにもならない場合は、安心できる人に話す、相談してみることが大切だと思います。
私たち心理療法家も自身の心身の健康に関して、同業者間で相談したり話し合ったりしてバランスを保つようにしています。非難されずに話せる場を持つことは、とても大切なことだと実感しています。
一種のピア(仲間)カウンセリングのようなものですが、つい先日英会話の先生から、「そこではエコーチェンバー(echo chamber)は起きないの?」ということを聞かれました。
エコーチェンバーとは「閉鎖的な情報空間において価値観の似た者同士が交流・共感し合うことで、特定の意見や思想が増幅する現象」(wikiより)を指します。インターネット環境に日常浸っている人ならば、聞いたことや漠然と肌身で感じていることと思います。
尋ねられた私は「起きないと思う、何故ならネットのように決してそこは閉鎖された空間じゃないから」と即答しました。が、よくよく考えてみると、情報空間に限らず、「閉鎖された場」というものが一体どういうところなのか、今一度再考を迫られているようにも思います。
家、学校、病院、企業、宗教団体、政治政党、延いては国など、同質の人間だけで外部からの風通しが悪い状態で組織されてしまうと、そこには数多の弊害が生じてしまうのは明らかです。
2024年05月04日
今日はみどりの日(Greenery day)でした。神保町界隈は三崎稲荷神社の2年に一度のお祭りのようで、御神輿や御囃子の音がそこかしこから聞こえてきます。明日こどもの日も引き続きお祭りがあるようです。御予約の方は規制やら人混みやらに注意して御来室下さい。
みどりの日、ああ、大きな木のあるところに行きたいなあ…などと夢想しています。GWは人の移動が激しいのは当然なのかもしれませんが、朝晩ターミナル駅を通過するだけでかなり疲れます。このオーバーツーリズムどうにかならないものでしょうかね…
2024年04月26日
日本映画『ある男』(石川慶監督、2022)を鑑賞しました。ミステリーに分類されているようですが、とても心を打つヒューマンドラマでした。
亡くなった配偶者の戸籍が実は全く違う人のものだった、「一体夫は誰だったのか?」という問いを軸にストーリーが展開していきます。真実の解明を任された弁護士を始め、関わる人たちの「一体私は何者なのか」という問いも幾層にも重なっています。一つの謎が周りの人の自己存在を揺るがすのです。
原作者は作家の平野啓一郎氏ということを後で知り、この方の唱える「分人主義」というのは何となく耳にしていたのですが、改めて「分人主義」のサイトを見てみました。人は社会的な生き物なのだから、自己の中心に「本当の私」「核となる私」といったものはなく、対人関係毎に「分人」がある、自己の多様性を生きよ、という主張です。
哲学で似た主張があったようにも思いますが、分人主義によれば「対人関係毎に分人(自分)があるので、自己の全否定から免れられる」ということになります。「私は無能な人間だ」「私は弱い人間だ」等という表現自体が成り立たなくなるのです。苦手なAさんと接している分人aと好きなBさんと接している分人bは違うのです。分人aはオドオドしているかもしれないけれど、分人bは幸福感や自己肯定感を感じているかもしれません。どちらもその人を規定するのです。
これは心理療法の自我状態やパーツといった概念にも似ているかもしれないと思いましたが、様々なパーツは自分の一つの身体の中にあるものなので、分人とは異なるのでしょう。
分人主義は幾つもの仮面をつけて生きるようなものなの?という疑問が頭をもたげますが、仮面で考えると「仮面の下に本当の自分がある」という理論にたどり着くのでそれとは全く異なります。
『ある男』を分人という視点で捉え直してみると、更に興味深いと思いました。ある男の身元が判明し、妻が弁護士に語る言葉が印象的です。「全部わかったから言えることかもしれないけれど、あの人は確実に私たちとここにいたのだから、知る必要はなかったのかもしれない…」と。身元も一つの分人なのだと妻は意識下で悟ったのかもしれません。