2025年02月28日
本日は2月の最終日。この時期は経理処理に追われ、心はいつもアセアセし、ブログの更新も滞りがちになってしまいます。もっと平穏でいたいものです。
さて自尊心を高めるワークブックの続き。
5章では認知療法を扱っています。自動思考記録表を付けて自分の認知の偏りを知り合理的な思考に書き換えていくという、クライアントさんたちにはお馴染みの心理療法ですね。こういう療法をよくトップダウンの療法といいます。頭(前頭葉、新皮質辺り)を使って自分の状態を良くするように働きかけるからです。
また非生産的な中核的信念が17つ挙げられていました。(中核的信念とは自動思考とは異なり、字のとおりもっと内奥に存在するもので、この信念の分類の仕方は学者によって色々あります。)
例えばそのうちの一つ、「人生は公平でなければならない」という信念。私の内にもあると思います。なるべく公平であるような社会的取り組みは必要だと思います。しかし、心のなかにこの信念が頑なに存在すると、人と自分を比較して嘆くことにつながります。
では、私の場合の合理的な信念は何になるか。「人生は公平であったらいいと思うが、事実はそうではない。変えられないこともある。変えられることに目を向けていきたい」といった感じでしょうか…。
思考や信念の書き換えは難しい場合もあるので、そこはセラピストと一緒に取り組むといいかもしれません。
2025年02月13日
今日は心理系の話題から全く外れてブレイクタイム。
面接室の本棚に『菜食主義者』(ハン・ガン著)を置いていたら、何人かの方が私も読んでみたと教えてくれました。読まれた方は相当強い衝撃を受けられたようです。何らかの摂食の問題(特に拒食傾向)を経験したことのある人ならば、感じ入るところがあるのではないでしょうか。私もハイティーンの時に多少その傾向があったので、主人公の気持ちがよくわかる気がしました。摂食の問題がなくとも特に女性であれば、主人公やその姉の心情に共感できるのではと思います。
ハン・ガンさんのノーベル文学賞スピーチは韓国語でなされましたが、その英語の翻訳がスウェーデンアカデミーで公開されていました。ハン・ガンさんは詩人でもありますが、スピーチは強く心打たれる内容でした。英語はなかなかのブロークンイングリッシュでしたが、おうち時間に趣味の範疇で訳してみました。
長いので何回かに分けて載せますので、ご興味のある方は御目通しください。
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『光と糸』 ノーベル文学賞(2024)受賞スピーチ ハン・ガン
去年の1月、差し迫った引っ越しに向けて書庫の整理をしていたときに、私は古い靴箱に出くわした。箱を開けると、子どもの頃の幾つかの日記帳を見つけた。日記の山のなかに、表紙に鉛筆で“詩集”と書かれた冊子があった。冊子は薄く、A5サイズの用紙が5枚半分に折られ、ホチキスで止められていた。私はタイトルの下に2本のジグザクの線を引いていた。1本は左から6マス上の方に進んでいて、もう1本は右へ7マス下降していた。一種の表紙絵だったのだろうか。それとも単なるいたずら書きか。その年-1979年-と私の名前が、冊子の後ろに書かれていたし、カバーの前後と同じようにきちんとした手書きの文字で、8篇の詩がなかに記されていた。また8つの異なる日付が年代順に、各ページの下に付されていた。8歳の子が書いた線は、その年齢らしく無垢で拙かったが、4月の一つの詩が目に留まった。それは次のような節で始まっていた。
愛はどこにあるの?
それは私のどきどきする胸のなかにあるの。
愛って、なあに?
それは私たちの心をつなげる金の糸のこと。
瞬く間に私は40年前に連れ戻され、冊子を作っていたあの午後の記憶が蘇った。ボールペンのキャップを嵌めて伸ばした短くずんぐりした鉛筆、消しゴムのカス、父の部屋からこっそり持ち出した大きな金属製のホチキス。私たち家族がソウルへ越すことになったのを知った後、紙切れ、ノートやワークブックの端、日記の見出しの間に走り書きした詩たちを集め、一冊に纏めたい衝動がどんなふうに出てきたのか思い出した。そしてそれが一旦完成すると、私の“詩集”を誰にも見せたくないという、上手く説明のつかない気持ちになったことも思い出した。
日記や冊子を見つけたところに戻し蓋をする前に、携帯でその詩の写真を撮った。そのときまでに書いた幾つかの言葉と、今の私との間に、連続性があるという一つの感覚からそれをした。私の胸の奥に、脈打つ心のなかに。私たちの心と心の間に。繋ぐ金の糸-発光する一本の糸がある。
14年後、最初の詩が、そして翌年には最初の短編小説が出版され、私は作家になった。その5年後には、約3年かけて書いた初の長編小説を刊行した。詩や短編を書く過程に関心があったし今でもあるが、小説を書くことは格別だった。本を完成させるためには1年から7年かかり、そのために私の個人的な生活のかなりの部分を費やした。これが私を作品に引き寄せるということだ。そうやって重要で緊急だと感じる問いに深く入り込み、そこに留まることができる。その問いに取り組むためには、代償を受け入れることを決めるほどである。
小説に取りかかる度に、問いに耐え、問いのなかに生きる。問いの終点に達するときは、その答えが見つかるというのと同じではないが、書く過程の終点に達するときである。その頃には、私はもはや始めたときの私ではないし、その変化した状態から、私は再出発をする。次の問いは、鎖のつなぎ目のように、あるいはドミノのように、重なり合い、つながり合い、続いていく。そして、私は何か新しいものを書きたくなるのだ。
(続く、Translated by Akiko Sasaki / Supervised by Pat Moriarty)
2025年01月23日
年末年始に罹ったインフルエンザの影響が続き、ブログの更新が遅くなってしまいました。去年気を抜いてワクチン接種を怠っていたのが祟りました。先週やっとB型対策のためのワクチンを受けてきました。自分の体の弱点を知っておく、というのはやはり大事ですね。
さて、自尊心ワークブックの続き。
その前に今朝読んだ朝日新聞の記事で、関連しているな…と思ったものがありました。それは「ハーバード白熱教室」で有名なマイケル・サンデル教授へのインタビュー記事でした。サンデル教授は、民主党が政権を奪われトランプ政権が誕生したのは、高学歴のエリート層を除いた国民の大半である労働者の「尊厳」が長年見捨てられてきたためだと述べていました。「尊厳が守られる」というのは、経済的な意味においてだけではなく、文化やアイデンティティーの意味においても重要だということです。
ここでワーク§4の話になります。ワークブックでは「人間の価値についての基礎知識」について説明されています。人間は外的な要因とは無関係に、無条件に平等で中核的な価値がある、ということです。富や権力など付与できるものだけではなく、能力や生産性、持って生まれた外見や性質なども「外的な要件」です。魅力的な人であろうとそうではなかろうと、善人であろうとそうではなかろうと、人間には誰にでも本質的に侵されない価値が備わっているのです。
サンデル教授の指摘する「尊厳」とは、人間の価値とは何か、ということと深く関係しているのではないでしょうか。今一度、社会はそのことを考えていく必要があるのではないかと私は捉えています。
2025年01月04日
新しい年を迎えました。
実りの多い年でありますように…
今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
まだ休暇中の方もいらっしゃると思いますが、インフルエンザが蔓延しているようです。十分お気を付けください…。
2024年12月29日
2024年も間もなく終わろうとしています。本日無事に仕事納めが出来ました。御利用くださいましたクライアントの皆様、どうもありがとうございました。今年はどのような一年でしたか。
私はといえば、仕事の上ではこれまで勉強してきた心理技法、心理療法のなかから、より一層自分の軸としたい、研究していきたいテーマが見つかったように思います。それは「私」というものをどう捉えるのか、ということと大いに関係しています。
プライベートではストレス・体調不良対策としてスポーツを始めたことが、心身の健康に大いに役立つことを発見しました。スポーツってちょっと軽んじていたのですが、いやいやとんでもない、メンタルにとてもいいですよね。その間、嫌なことは何も考えなくて済むのですから。
文武の文では、人間というものをもっと深く知りたいと思い某読書会の会員になりました。それまで一人で読んでいたものを、誰かと文学の感想を話す、他の人の感想や意見を聞いてみる、自分の考えを表現してみる、という場は実に魅力的で楽しいものです。
しかも本名や素性を明かさずにハンドルネームで参加できるので、別の誰かになれたようで楽しいのです。これも「私」というものをどう捉えるか、に繋がってきますよね。
時々仕事帰りに地元の駅で買い物をしていると、「お仕事何をされているのですか?」と尋ねられたりして面食らってしまうことがありますが、名前とか仕事とかそんなものを全部脱ぎ捨てられる場がほしいと思う人は少なくないのではないでしょうか…。
さあ…、来年には来年の風が吹きます。お正月は溜まった小説を読んで過ごすつもりです。どうぞ皆さまも流行性感冒などに気を付けて新年を迎えられますように。
2024年12月25日
今日はクリスマス。今夜が過ぎれば明日からは一気に街はお正月モードになりますね。どこかで節分の広告も見かけました。この変わり身の早さと商魂の逞しさ。スーパーは既にお正月用品が占拠し始め、今から数の子とか買うの?…とフシギになりますが、下拵えに準備がかかるのかしら?
きらきらしたこの華やいだ季節が嫌いではありませんが、この時季が嫌だ、苦手だという人たちの記事を読み、その気持ちも大いに理解できると思いました。クリスマスやお正月というと当然パートナーや家族と過ごすものだという暗黙裡の圧がありますよね。事情があって人間関係や家族関係から距離を置いている場合、より一層、孤立感、孤独感に苛まれるのがこの年末年始シーズンなのではないでしょうか。また、たとえ家族と過ごしていても、心が通っていない場合などもざらにあることでしょう。
そこで、ふと、考えてみました。家族以外の者同士、一人だと嫌だと感じる者同士が地域で気楽に繋がれる方法はあるのだろうか…と。それもクリスマスやお正月を祝えながら集まれる方法はないのだろうか…と。都心部は地域社会が希薄か無いに等しく、しかも着実に単独世帯は増えているし、孤立感を感じている人は沢山いるはずです。
うーーーむ。そこで考えたのが、「大人食堂」ってどうでしょうか。子ども食堂で「親可」「大人可」というのは見たことがありますが、純粋な大人食堂か、大人食堂(子ども単独可、子連れ可)というのがあってもいいのではないだろうか…と。もしかしたら既にあるのかもしれませんが、周りでは全く見かけません。この考えを身近な人に話すと、夢物語として一笑に付されるのですが。
今は卵大くらいの漠とした想念に過ぎませんが、ちょっと楽しみながら胸で温めておきたいと思います。
2024年12月12日
さて、またまたシラルディ博士のワークブックから。
本日は定義についてです。自尊心とは何か?それは“自分自身に対する現実的で好意的な見方”です。現実的、というところが大事ですよね。現実的とは正確で正直であるということであり、好意的とは自分自身を好きだという感情です。等身大の自分を好きでいることです。
また、自尊心は自滅的な羞恥心(ex.自分はクズだ)と自滅的なプライド(ex.自分はスゴイ。傲慢で自己陶酔的)の中間に位置しているとのことです。どちらに偏っても、人がその人の周りから去っていきますよね。でも、自尊心は変動するものでもあります。だからこそ変えられるのだと説明されています。
ではどうやって自尊心を築くのか?
それは、「1.人間の無条件の価値を信じること→2.愛→3.成長すること」というプロセスのワークをしていくことによります。次回へ続く…