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ブログ 心's LOOM

自尊心(self-esteem)

2024年05月24日

月曜日に代々木まで研修に行っていました。テーマは「強迫性障害におけるEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)」。講師はドイツから長期に渡って滞在されているカルステン・ブーム博士でした。

実は全く同じ講義を3月にも受けていたのですが、その時会場は名古屋だったので私はオンライン参加をしていました。オンラインでは音声や画質のせいもあるのか無いのか、内容がほとんど「???」の状態で睡魔との闘いだったのですが、実際に教室で受けてみると比較的良く理解できました。やはり「場」の力は大きなものですね。それでも難しかったことは確かですが…。

ブーム博士はドイツ人だからなのかフロイトにもしばしば言及されたり、セラピストとクライアントの関係性におけるセラピストの在り方についても丁寧に教えてくださいました。

一つ印象的だったことをシェアします。

それは、自尊心(self-esteem)の背景には「失敗と敗北を許せる力」と「また努力できる力」がある、というご指摘でした。自尊心は「私はすごい」「私は価値がある」etc.のポジティブな感情というだけでなく、「失敗と敗北を自分に許せるか」という、とても優しく大きな力が含まれているのです。近年よく言われる「慈悲」や「寛容」の精神にも繋がりますよね。

これを聴いていて安らかな気持ちになったとても有難い研修でした。

 

 


echo chamber

2024年05月17日

5月も中盤にさしかかりました。寒暖差が激しくて体調が不安定になりますね。また所謂5月病のような状態になる人もいらっしゃるかもしれません。適度に体を動かしたり気分転換をはかったり、それでもどうにもならない場合は、安心できる人に話す、相談してみることが大切だと思います。

私たち心理療法家も自身の心身の健康に関して、同業者間で相談したり話し合ったりしてバランスを保つようにしています。非難されずに話せる場を持つことは、とても大切なことだと実感しています。

一種のピア(仲間)カウンセリングのようなものですが、つい先日英会話の先生から、「そこではエコーチェンバー(echo chamber)は起きないの?」ということを聞かれました。

エコーチェンバーとは「閉鎖的な情報空間において価値観の似た者同士が交流・共感し合うことで、特定の意見や思想が増幅する現象」(wikiより)を指します。インターネット環境に日常浸っている人ならば、聞いたことや漠然と肌身で感じていることと思います。

尋ねられた私は「起きないと思う、何故ならネットのように決してそこは閉鎖された空間じゃないから」と即答しました。が、よくよく考えてみると、情報空間に限らず、「閉鎖された場」というものが一体どういうところなのか、今一度再考を迫られているようにも思います。

家、学校、病院、企業、宗教団体、政治政党、延いては国など、同質の人間だけで外部からの風通しが悪い状態で組織されてしまうと、そこには数多の弊害が生じてしまうのは明らかです。

 

 


5月4日、5日

2024年05月04日

今日はみどりの日(Greenery day)でした。神保町界隈は三崎稲荷神社の2年に一度のお祭りのようで、御神輿や御囃子の音がそこかしこから聞こえてきます。明日こどもの日も引き続きお祭りがあるようです。御予約の方は規制やら人混みやらに注意して御来室下さい。

みどりの日、ああ、大きな木のあるところに行きたいなあ…などと夢想しています。GWは人の移動が激しいのは当然なのかもしれませんが、朝晩ターミナル駅を通過するだけでかなり疲れます。このオーバーツーリズムどうにかならないものでしょうかね…

 


映画『ある男』(2022)

2024年04月26日

日本映画『ある男』(石川慶監督、2022)を鑑賞しました。ミステリーに分類されているようですが、とても心を打つヒューマンドラマでした。

亡くなった配偶者の戸籍が実は全く違う人のものだった、「一体夫は誰だったのか?」という問いを軸にストーリーが展開していきます。真実の解明を任された弁護士を始め、関わる人たちの「一体私は何者なのか」という問いも幾層にも重なっています。一つの謎が周りの人の自己存在を揺るがすのです。

原作者は作家の平野啓一郎氏ということを後で知り、この方の唱える「分人主義」というのは何となく耳にしていたのですが、改めて「分人主義」のサイトを見てみました。人は社会的な生き物なのだから、自己の中心に「本当の私」「核となる私」といったものはなく、対人関係毎に「分人」がある、自己の多様性を生きよ、という主張です。

哲学で似た主張があったようにも思いますが、分人主義によれば「対人関係毎に分人(自分)があるので、自己の全否定から免れられる」ということになります。「私は無能な人間だ」「私は弱い人間だ」等という表現自体が成り立たなくなるのです。苦手なAさんと接している分人aと好きなBさんと接している分人bは違うのです。分人aはオドオドしているかもしれないけれど、分人bは幸福感や自己肯定感を感じているかもしれません。どちらもその人を規定するのです。

これは心理療法の自我状態やパーツといった概念にも似ているかもしれないと思いましたが、様々なパーツは自分の一つの身体の中にあるものなので、分人とは異なるのでしょう。

分人主義は幾つもの仮面をつけて生きるようなものなの?という疑問が頭をもたげますが、仮面で考えると「仮面の下に本当の自分がある」という理論にたどり着くのでそれとは全く異なります。

『ある男』を分人という視点で捉え直してみると、更に興味深いと思いました。ある男の身元が判明し、妻が弁護士に語る言葉が印象的です。「全部わかったから言えることかもしれないけれど、あの人は確実に私たちとここにいたのだから、知る必要はなかったのかもしれない…」と。身元も一つの分人なのだと妻は意識下で悟ったのかもしれません。

 

 

 

 


読書のススメ

2024年04月14日

そろそろGWの季節にちかくなってきましたね。
読書のオススメ。
『「愛」という名のやさしい暴力』(2020 斎藤学著 扶桑社)

前回ブログに書いた「家族はそもそも無理がある」というくだり、もっと強烈な表現で「家族は暴力装置、ないし暴力隠蔽装置である」と表現されています。その意味が手に取るようによくわかります。共依存、他人の目を気にする人、対人恐怖などについても理解が深まります。私たち皆が他人(他者、社会)の欲望や評価の網から解放されて生きられますように…

読み終わったら置いておくので御参考にどうぞ。

 


満開の桜の下で

2024年04月10日

土・日開催の日本家族と子どもセラピスト学会が終わりました。一般向けの日曜日に参加してくださった方、最後まで後片付けを手伝ってくれた方、どうもありがとうございました。

グループワークはいかがでしたでしょうか?ポリフォニー(多声奏)を尊ぶオープンダイアローグ(開かれた対話)の実演は、セラピストもクライエントもオブザーバーも上下関係はなく、誹謗中傷以外はお互い何を言ってもOKな対等な場でした。「こう感じたよ」「こう見えたけれど…」「こんな風に映ったけれど、本当はどんな感じなのかな?」etc.な質問、疑問、感想をお互いが交換できる場でしたね。

前半の精神科医の斎藤先生の講義「みんな毒親!」は、初めて斎藤先生の講義を聴いた方はついていくのが難しかったかもしれません。何しろホモサピエンス誕生の頃の話から、古今東西の神話、歴史、映画、文学作品(今回は源氏物語、漱石の『明暗』、先生作の『新明暗』などでしたっけ?)まで膨大に網羅されるので、一種のトランス状態というか頭の中で梵鐘が鳴っているような状態に陥ります。

簡単に言うと、人間は私たち人間を「自己家畜化(飼い慣らしてきたとも飼い殺してきたとも言える)」してきた長い歴史があり、「家族」制度というものは必要だけれども、そこにはかなりの無理がかかる。だからたった一世代上の親をいつまでも「毒親呼ばわり」していては、そこから自分の成長はない。肩の力を抜いて、自分の成長のために一歩踏み出そう、或いは自己脱却のために一歩踏み出そう、ということではないでしょうか…。

肩の力を抜いて、というところが最も大切だと今の私は思っています。学会後は鞄を投げ出したまま、月・火のお休みは溜まった家事と心地よいお昼寝、お夕寝ばかりしていました。学会内容の復習も自身の発表の反省も、これから少しずつやっていこうと思います。

会場、鎌倉芸術館

隣接する三菱電機

開場前

 

 


4月7日(日)

2024年03月15日

アダルトチルドレン、家族関係、オープンダイアローグに関心のある方は下記公開講座があります。

鎌倉市大船なので少々遠いかもしれませんが、当日はお手伝いで私も会場におります。鎌倉芸術館はかつての松竹大船撮影所の跡地にあります。まだ桜の咲いている時季だといいのですが…。関心のある方は是非足をお運びくださいね。

https://jafact17th-open.peatix.com


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