ブログ 心's LOOM

雨水

2018年02月18日

一週間も無事過ぎました。

大流行のインフルエンザに注意を払っていたら、すっかり風邪を引いてしまいました。本日か明日は二十四節気の雨水(うすい)。雪から雨に変わる頃だそうですが、火曜日はまた雪マークが出ていますね。と思ったら、既に曇りマークに変わっていました。春は遠からじ…。


2018年02月11日

面白い記事を読みました。

京都の建築学科の学生たちが、1階が共同スペース、2階が人が寝られる程のスペースの5つの個室があるシェアハウスを古民家を利用して建築し、それはまるでゴリラのライフスタイルに似ているという、霊長類学者山極寿一氏の書かれた記事でした。

ゴリラは夜間樹木の上に簡単なベッドを設えるそうですが、一頭一頭のベッドの距離は相手の状態がわかる程度に保たれているそうです。1階が陸地、2階が樹上、なるほど笑えます。

人は長い進化の時のなかで、密林から草原で暮らすようになり、簡素でも障壁と屋根をもった家という構造物を必要とするようになりました。そして脳は、150人程度の集団で信頼関係を構築しながら生活することができるまでに徐々に大きくなりました。所謂「社会脳」の発達ということのようです。この脳の大きさは現在も変わらず、如何に急速な社会変化を迎え集団規模が拡大しようとも、150人程度の集団であればお互いに目が行き届いて安定した関係性を築けるようです。

ところが、高度成長期以後の家はどうなのか。巨大な団地群やマンションが登場したのはさておき、建築資材や構造からして隣人を遮断し、自然界の生物や音を遮断する密閉された空間になっている。山極先生の主張は、今回のような学生たちのプロジェクトが、孤独を避けるための新しい生き方、暮らし方の創造であってほしいというものでした。

哲学者である内田樹氏もコラムか何かにおいて、経済を優先させるならば家族よりも単身世帯を増やしたほうがずっと社会に利益を生む、ということを説いていました。単身世帯は問題解決をお金でしなくてはならない。共生より分断がお金を生むのです。家族が多く、また地域社会が生きているところであれば、分かち合いや支え合い、自助努力が生まれるからです。

人は社会的な生き物である、というのは自明の理。繋がりをどうやってつくっていくのか、ということは一番大事なことだと思います。「面倒くさい…」「煩わしい…」という声を毎日のように聴いており、その気持ちもよくわかるのですが…。居住空間としての「家」という観点から、社会というものを考えてみるのも面白いですね。

霞んで見えるのはひょっこりひょうたん島のような大島

 

 


ハラスメント雑感

2018年02月04日

最近読んだ催眠関係の本のなかに、「暗示は10語かそれ以下で」「暗示はスローガンのように心に貼り付くべき」というフレーズがありました。確かに簡潔明瞭な言葉であれば、スッと自分の内側に入ってくる気はします。

そういえば、今話題のSNSを通じて拡散したセクシャルハラスメントに対する抗議、「#Metoo」や「Time’s up(もう終わりにしよう)」という言葉が思い出されます。アメリカのゴールデングローブ賞では、参加したほとんどの女優たちが黒のドレスを着用して抗議の意を表した、というニュースもありました。ハリウッドやエンターテイメントの世界で横行するセクシャルハラスメント及びパワーハラスメントに対する抗議と連帯の意思を表したものだそうで、印象深いスピーチなども行われました。

ハラスメントに対する姿勢は大いに共感できます。ただ、このゴールデングローブ賞の模様を眺めて、漠然とした怖さも感じました。「私は皆と同じ黒いドレスは嫌なので違う色を着たい」と思ってそのように行動したとしたら、村八分になりそうな空気だったからです。報道が黒いドレスのみを取り上げていたのか、そうではないスタイルの女優もいたのか、そこはよくわかりませんでした。何かの運動で連帯を表すために同じシャツを着るというのなら理解できるのですが、あくまでも賞の授与式においてです。

こういった抗議行動に対し、フランスの大女優カトリーヌ・ドヌーブが異論を唱えました。「男性には不器用に口説く自由もあるのだから、一概にセクハラと抗議するのもどうか。まるで魔女狩りのようだ」という内容だったかと思います。確かにそうですが、これも少々ピントがずれた発言のように思いました。

セクハラ、パワハラが問題なのは、力のある者がその力を背景に(たとえ無自覚であったとしても)、相手の感情など顧みず不快な思いをさせたり、弱い立場の者の声を封印することにあるのだと思います。口説く自由、追いかける自由というのは確かにあるけれど、そこは相手の自由を脅かさない関係であってこそ、なのではないでしょうか。

フランス流恋愛だと男女は対等にまくしたて、口説き口説かれる大人の駆け引きを楽しみ、未婚だろうか既婚だろうかそんなのおかまいなし、ドヌーブのいう性的自由はそういうものだろうという印象を抱くのですが、彼女のように揺るぎない地位を手に入れた強い女性ならともかく、果たしてそれがどの社会でも通用するものなのかどうか…。

「#Metoo」などの言葉は一気に拡散して連帯を生むのかもしれないけれども、それはあくまでもきっかけに過ぎず、Me too, 後の個々人の言葉や行動を封殺しないような、そんな社会であってほしいと願っています。一連の出来事を女性の方たちはどのように思われるでしょうか。気になるところです。


 

 


雪も凍り…

2018年01月27日

月曜日の雪が、路地の所々に残る神保町の街です。日中も冷え込みますね。
今夜から出張に行きますので、明日はお休みになります。連絡の必要のある方はお問い合わせページよりお願い申し上げます。

今回は研修場所を間違えないようにしたいと思います(汗)三宮コンベンションセンターと三宮研修センターって、実に紛らわしい名称だと思いませんかね?


traum

2018年01月20日

本日20日は大寒(だいかん)の日で、暦上これからが本格的な寒さに入っていく頃です。風邪やインフルエンザなどに留意しながら過ごしたいものですね。

さて、表題の traumはドイツ語の夢を意味します。外傷を意味するトラウマ(trauma)と混同しやすいのですが、トラウマの語源はギリシャ語のようです。最近私は、またフロイトの『夢判断』(Die Traum-deutung)(下)というのを夜読んでいて、読みながらそのまま自分の夢に直行し、明朝の車内であれやこれやぼんやりと考えてみる…というのをしています。

夢は自分の無意識を知るうえで一つの参考になりますし、何より営みとして楽しいのです。悪夢は辛いものですが、悪い夢=悪いこと、不吉なこと、何かの前兆、という単純なものでもありません。

学生の頃は少しだけゲシュタルト療法的な夢分析を教わりましたが、確かそれは「夢に出てくる登場人物は全て自分、もしくは自分の一部分なのだ」という前提での分析でした。父母が出てきても自分?自分の一部?わからないでもないですが、私はどちらかというとフロイトの夢判断(夢解釈)のほうが有益で面白いと思うので、こちらを参考にしています。

こんな夢をみたと夢を書いてこられる方が結構いらっしゃいますが、実は夢の内容だけをいきなり伝えられても困ってしまうのです。夢判断は、その前日か前々日あたりにどう過ごしていたか、夢に出てきたもの(モチーフ)から何を連想していくか、といった一連の作業が必要になってきます。

またカウンセラーは預言者や占い師ではありませんので、断定的に「その夢はあなたにとってかくかくしかじかである」「こういう意味をもっている」ということは言えません。夢を見た人が、唯一その解釈を進めていける人なのであって、ただそのお手伝いを私たちはできるに過ぎないのです。

それでも自己理解の一つの手段として、また「自分自身に親しみをもつ」ことの方法として夢に興味をもつことはいいことだと思います。「他者を愛せ」という他者のなかには自分が含まれるのだ、と教わりましたが、対象化した自分に向き合う、自分の心に親しみをもって接する、という態度を養うことは大切なことだと思います。

Ranunculus

 


松の内も…

2018年01月10日

関東では松の内も終わりました。今日までかと思っていましたが 7 日だったのですね。今年はこれからぼちぼちと寒中お見舞いの準備をします。年末に年賀状準備を逸し、まあ、ゆっくりやろうと思っていたら、友人からLineがきました(笑)
年賀状ではなく年末状を書いていた人もいたので、季節のどこかでお便りを書くことにしようと悠長に構えていました。

 

ところで、現在かなりインフルエンザが流行っているようです。気を付けてどうにかなるものではありませんが、手洗い、うがい、マスクを徹底して乗り切りたいものですね。


年始

2018年01月04日

明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

年賀状をくださった方々、どうもありがとうございました。それにしても肉筆というものが気持ちを温めてくれる時代になりました。また近況のお手紙を送って下さった方々もいらっしゃり、色々あっても元気に過ごされているのかと思うと心より嬉しく思いました。

さて、新しい一年の幕開けです。
今年は心理職制度上の大掛かりな研修などもあり何かと大変そうですが、日常の小さな楽しみを大切にしながら過ごしていきたいと願っています。

ラナンキュラスとフリージア:春の香り

 

 

 

 


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