2024年07月31日
明日から8月に入ります。危険な暑さと湿度が続きますね。高齢の方やより地面に近い小さなお子様やペットたちには格別の配慮が必要です。体力に自信のある大人であっても、過信は危険だと思います。頭が直接太陽の陽に照らされている人を見かけると、つい、大丈夫なのだろうかと心配になります。
この酷暑、熱帯夜の季節の睡眠も質が下がりますね。エアコンで室温をかなり下げて冬用の羽根布団を掛けて寝る人がいるようですが、どうもあれだけはできません。人それぞれだと思いますが、私は窓を網戸にして頭など各所を保冷剤で冷やして寝ています。でもこの頭を冷やすやり方は、睡眠の質に良くないそうです。よく眠れているような錯覚を起こすだけで、実はあまり眠っていないとのことでした。どうぞ真似はしませんように…
そういえば先日の学会で、脳神経科学の先生が、「記憶の再固定化」のためには「タンパク質・水・睡眠」の3つが必要なのだと力説されていました。良質のたんぱく質を食事でとり、寝る前に水(寝酒は否!)を摂取し、適度によく眠りなさいということです。記憶の再固定化とは、学習した記憶に新たな情報が加わることでversion upされ長期記憶となって安定することだそうです。因みにEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)によるトラウマ記憶の処理とは、記憶の消去学習ではなく、記憶の再固定化(再編して安定させる)を目指す療法です。
記憶の処理のためにも良眠、安眠が必要不可欠と言えますが、この時季はかなり難しい。タンパク質と水だけは意識して摂るようにしています。
2024年07月18日
そこにあるのは「否認 denial」だらけ…
5月末公開の映画『関心領域 The Zone of Interest』(波・米・英)をやっと観てきました。今年のアカデミー外国語映画賞の作品です。
アウシュヴィッツ収容所の塀一枚隔てた隣に住むヘス所長(後に戦犯として死刑)一家の暮らしぶり、それも一見、子沢山家族の賑やかで豊かな暮らしを描いています。印象派の「草上の昼食」のようなシーンから始まります。
内容が内容なので観客の年齢層は高いかと思いきや、日曜の夜のせいか若い世代も結構観にきており意外でした。
ナチスやホロコーストを扱った映画は長年観てきましたが、凄惨なシーンはこの映画には一切ありません。観客の知識と想像力に委ねられるのですが、一家の何気ない日常のなかの行為によって人間の恐ろしさが描出されていきます。だから一層怖いのです。
瀟洒な邸宅はポーランド人家政婦や使用人(ユダヤ人捕虜?)など沢山の人の出入りがあります。
帰宅した所長のブーツが使用人に洗われる時に流れる赤い水。ユダヤ人の毛皮のコートを何食わぬ顔をして羽織る妻。コートのポケットから使いかけの口紅を見つけ平然と鏡の前で塗る妻。どこで拾い集めたのか人の歯を夜中に眺める長男。拷問の声が外から聞こえながらも室内で無心に遊ぶ次男。自慢のガーデンの花の匂いをかがせながら赤子をあやす妻。楽し気に遊ぶ子どもたちの甲高い声。しかし、常に背後には煉瓦の建物群と昼夜問わず立ち昇る煙が見えます。
人は見たくないものは決して見ないということ。また、内発的な良心や正義というものは組織への忠誠を前にしてかくも消えてしまうのかということ、そもそも内発的な良心などそんなものはなく、身内の幸せしか考えられない愚かな生き物なのではないかとさえ思えてきます。
政治哲学者のハンナ・アーレントだったか、ナチスの非道な戦犯たちも、家に帰れば良き夫、良き父、或いは思考停止した凡庸な一人の男に過ぎなかった、と述べていました。ヘス所長も上辺は有能な軍人で良き父良き夫です。このギャップをどう説明したらいいのでしょうか…。私たちもうっかりしていれば誰しも所長や妻になり得るのだと思いました。
一方で、映画のなかでは一人のポーランド人少女の並々ならぬ行為に人間性や良心を見ることができます。実際にいた少女のことを監督が映画に取り入れたようです。妻の母にも微かな人間性を垣間見ることができます。一縷の希望がそこにはあります。
2024年07月03日
最近読んだ小説の話。
3月31日付のブログで亡き人に会いに行くデジタルクローンの話を書きましたが、正にその話が小説『本心』(平野啓一郎著、2021)のモチーフとなっていて驚きました。
2040年代、母一人子一人で育った青年(20代後半)が最愛の母を事故で失い、思慕の念から数百万円で母のデジタルクローンを作成してもらい、ゴーグルを掛け VR の世界で日々二人の時間を持とうとします。
健康な母が何故か生前「自由死(安楽死)」を強く望んでいたこと、それを巡る青年と母の葛藤、父が誰なのか青年はよくわかっていないこと、高校を中退した青年の境遇と職業、そういったことが絡み合うなか、母の本心を知ろうとする青年の人生が動き始めていきます。デジタルの世界とリアルの世界が相互に影響を与え合いながら話は進んでいきます。
デジタルクローンに対し私は当初懐疑的な立場でしたが(今でもそうかもしれませんが…)、それでも自分の置かれた状況が異なれば VR の世界に感情の交流を求めることも十分あり得るかもしれないと思いました。
話の詳細は省きますが、それまで孤独だった青年が母から離れて自分の世界を広げていく過程に心が揺さぶられ涙が溢れてきました。私たちは所詮、親や家族の人生の全てを知ることはできず、「他者」として向き合わねばいけないところもあるのですよね。
秋には映画も公開されるようなので、是非楽しみにしていたいと思います。
Merci beaucoup
2024年06月21日
いよいよ本日より梅雨シーズンとなりました。
洗濯ものの処置に困りますね。乾燥機のない身としては、室内干し、扇風機をフル稼働させます。とはいえ、電気代も値上がりですしね…。
さて、7月は学会などの関係でお休みが増えます。予定意外にお休みをいただく場合もございますので、ご希望の方はお早めに予約をお取りください。
今年も学会で神戸に行けるかなと踏んでいたら、講師の来日費用や参加者の宿泊費の高騰などからweb開催となりました。対面とwebとどちらがいいか。経済的にはweb開催は有難いですが、結局、海外との時差により深夜までかかるので宿泊場所を抑える必要があります。交通費が掛からない分今年はちょっといいところを取ろうかなとも思いましたが、迷った末に定宿のビジネスホテルにしました。インバウンドの煽りによりビジネスもかなり高騰していますね。こんな狭い部屋でこんな価格払いたくないと思いますが、清潔なシャワーとベッドがあるだけでも幸せだと捉えたほうがいいのでしょうか…。
今朝のニュースではインバウンド需要と猛暑によってお米の価格も上がっていると報じられていました。こちらは秋の収穫によっては落ち着くそうです。今夏が酷暑でないことを願います。
2024年05月31日
明日から6月になります。既に梅雨空のような気候が続いていますが、今夏の猛暑予報が気になりますね。気温がそこまで上がらないといいのですが…。
最近読んだ新聞サイトの記事に、unesco(国連教育科学文化機関)の「教育勧告」が約半世紀ぶりに改定され、そのスピリットを大学の先生が紹介しているものがありました。
平和で持続可能な社会の実現に向けて、何よりも必要なのは「共に生きることの大切さ」であり、そのための具体的な教育提言が勧告に挙げられているとのことでした。(ちょっとunescoのHPを検索してもみたのですが、混み入っていて原文を見つけることが出来ませんでした。もうじき翻訳が出るので目を通してみるつもりです。)
しばしば心理面接のなかでCLさんたちの口から出てくるのが、「所詮人間は本能の動物なのだから、弱肉強食なのは当たり前なんでしょ」という半ば諦めのような訴えです。
果たして本当にそうなのでしょうか…。弱肉強食の時代があったにせよ、人は経験を積み重ねて、能力や効率、生産性などでは測れない価値を見出し続けていると私は考えています。たとえ世界をゼロサムゲームの場にしても、結局は共倒れになると今日判明してきたのではないでしょうか。
先の記事では耳慣れない、勧告のなかで使われているconvivial(ワクワクするような)という言葉が紹介されていました。この言葉は元は「共に生きる(live together)」の意であり、conviviality は「自立共生」という訳語が与えられているそうです。これからの時代に必要な教育はconvivial なものであり、それは子どもたちだけではなく、世界中のあらゆる大人たちにも大切な機会となっていくと思います。
2024年05月24日
月曜日に代々木まで研修に行っていました。テーマは「強迫性障害におけるEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)」。講師はドイツから長期に渡って滞在されているカルステン・ブーム博士でした。
実は全く同じ講義を3月にも受けていたのですが、その時会場は名古屋だったので私はオンライン参加をしていました。オンラインでは音声や画質のせいもあるのか無いのか、内容がほとんど「???」の状態で睡魔との闘いだったのですが、実際に教室で受けてみると比較的良く理解できました。やはり「場」の力は大きなものですね。それでも難しかったことは確かですが…。
ブーム博士はドイツ人だからなのかフロイトにもしばしば言及されたり、セラピストとクライアントの関係性におけるセラピストの在り方についても丁寧に教えてくださいました。
一つ印象的だったことをシェアします。
それは、自尊心(self-esteem)の背景には「失敗と敗北を許せる力」と「また努力できる力」がある、というご指摘でした。自尊心は「私はすごい」「私は価値がある」etc.のポジティブな感情というだけでなく、「失敗と敗北を自分に許せるか」という、とても優しく大きな力が含まれているのです。近年よく言われる「慈悲」や「寛容」の精神にも繋がりますよね。
これを聴いていて安らかな気持ちになったとても有難い研修でした。
2024年05月17日
5月も中盤にさしかかりました。寒暖差が激しくて体調が不安定になりますね。また所謂5月病のような状態になる人もいらっしゃるかもしれません。適度に体を動かしたり気分転換をはかったり、それでもどうにもならない場合は、安心できる人に話す、相談してみることが大切だと思います。
私たち心理療法家も自身の心身の健康に関して、同業者間で相談したり話し合ったりしてバランスを保つようにしています。非難されずに話せる場を持つことは、とても大切なことだと実感しています。
一種のピア(仲間)カウンセリングのようなものですが、つい先日英会話の先生から、「そこではエコーチェンバー(echo chamber)は起きないの?」ということを聞かれました。
エコーチェンバーとは「閉鎖的な情報空間において価値観の似た者同士が交流・共感し合うことで、特定の意見や思想が増幅する現象」(wikiより)を指します。インターネット環境に日常浸っている人ならば、聞いたことや漠然と肌身で感じていることと思います。
尋ねられた私は「起きないと思う、何故ならネットのように決してそこは閉鎖された空間じゃないから」と即答しました。が、よくよく考えてみると、情報空間に限らず、「閉鎖された場」というものが一体どういうところなのか、今一度再考を迫られているようにも思います。
家、学校、病院、企業、宗教団体、政治政党、延いては国など、同質の人間だけで外部からの風通しが悪い状態で組織されてしまうと、そこには数多の弊害が生じてしまうのは明らかです。