2025年09月28日
この頃よく、一番教えを乞うた精神科医の先生の言葉をよく思い出します。どなたにも為に成ると思われるので、これはというものを時折ここにあげようかと思います。
そのなかの一つ、最初に頭をガツンと殴られたみたいに衝撃を受けたのは、「夫婦ってなればいいってものじゃなくて、<関係性の質>こそ問われるものでしょう?」というものです。当時30そこそこの私は、関係性の質などというものを全く考えたことがありませんでしたし、身近な大人たちも<質>というものを考えていそうな人は皆無でした。
これは別に結婚やパートナーの有無に関わらず、自分の両親や祖父母の関係性を見返すうえでもとても有益ではないでしょうか。私たちは上の世代の関係性の影響を確実に受けます。
最近読んだ小説のなかに、1950年前後の夫婦の次のようなやりとりがありました。
専業主婦の妻が夜帰宅した夫の仕事上の会議の成功を喜んでいたら、「そんなところに突っ立っていないで、はやくお茶くらい入れたらどうだ」と、夫が命じているかのような場面です。行間から察するに、妻は慌ててお茶を入れたのでしょう。
こういう夫婦をどう思いますか。夫唱婦随の美しい在り方でしょうか。
この夫は仕事は優秀で、別に暴君ではありません。きっと本人は妻を愛していると思っているはずだし、そう尋ねられれば首肯すると推測できます。ただ自分は妻より偉いと思っていることは言動から明らかで、イラついて自分がこぼした飲み物を拭きもしない。
50年前後の若夫婦といえば私の祖父母ぐらいの年齢です。当時はそれが当たり前だったのでしょう。女性も女の領分と粛々と従っていたはずです。でも時代は世界単位で確実に変化しています。もはやこの小説のような夫は恐竜並みの生物であるとは思いますが…。因みに小説の夫は子は鎹とはならずに離婚されています。
朝焼け