2023年07月26日
学会及び研修先の神戸から無事戻ってきました。今年はコロナ、今のところ大丈夫のようです。ホッ、一安心です。神戸の街は午後5時くらいは意外にも涼しく感じられました。海風が入るからなのでしょうか、港町だということを改めて実感しました。横浜に似ているようで似ていなくもありますが、大分神戸の街を親しく感じられるようになってきました。
今回学んだのは「神経感情身体化自己療法」というもので、これから見返しをして体に落とし込まないといけません。盛り沢山で頭が混乱してくる研修でしたが、受胎時、胎児期、誕生~3歳くらいまでの通常、記憶のない年代のトラウマも扱える療法ということで、実習を通して興味深い体験でした。
心理療法は art であり、クライアントとセラピストの信頼関係の上に成り立つものだと改めて感じ入りました。
神戸元町:帯状のネオンは中華街
2023年07月13日
最近気になるニュースがありました。
ある大御所ミュージシャンの「大切なお知らせ」を読みました。心のなかで何をどう思うかはその人の自由ですが、自分の立ち位置がどこにあるのか自覚して発言してほしい、特に社会的に力のある人は己の発言力の影響をよくよく考えて発信してほしいと強く思いました。
心を扱う仕事をしているので看過できないのですが、性加害・性虐待は社会的、倫理的な問題などでは決してなく、犯罪なのだということを忘れてほしくありません。年端もいかない子どもたちが性被害に遭うと、特に加害者が権力ある立場の人や日頃自分に良くしてくれる立場の人であると、自分の身に何が起きたのかあまりよく理解できない、ただしあまり口外してはいけない、秘密にしなくてはいけない、自分が悪いのではないか…という負い目のようなものを陰に陽に抱え、その後、生き辛さを抱えたり乱高下の激しい人生を送っているように実感します。
自分が経験したことをやっと口にすることができるようになっても、それを受けとめる大人や社会の側の姿勢や発言によって、二次トラウマを受けることにもなります。二次トラウマの方が実は傷が深いという報告もあるくらいです。「話すんじゃなかった」と更に自己のなかに閉じ籠ったり、自己否定感、無力感、自己懲罰などが強まらないか、非常に危惧されます。
「性加害は追及されねばならないが、それとその人の仕事の偉大さは別であり、その人に自分は恩義がある。自分が人として大切にしているのはそこなのだ」というようなことを力のある者が述べたとしたら、意を決して発言した者たちがどのように感じるのか、なぜ想像がつかないのでしょうか…。仮に自分の子どもが同じ目に遭遇していたら、その時は異なる発言をするのでしょうか。
大人として残念だなと本当に思います。家人が彼の曲を聴いていて間接的に私も聴いていただけに、尚一層複雑な想いを拭えません。
2023年06月22日
この度は急遽お休みをいただきましてありがとうございました。
ここのところ夜あまり眠れない時、何か読むよりはビジュアルに訴えかけるものがいいように思い、しばしば相国寺蔵の「十牛図」を眺めていました。これは仏教の悟りに至るまでのプロセスを描いたものとのことですが、確か、河合隼雄先生は「自我が自己(セルフ)に出会う東洋的なプロセス」として紹介していたように思います。宗教学者・哲学者の上田閑照という先生も、似たような解釈であったかと記憶しています。
青年(自我)が牛(セルフ)を探して、見つけて、格闘し、飼い馴らし、etc.というプロセスが10枚の図(絵)で描かれています。10枚の図は起承転結を超えて再び「起」になるので一つの円環を成しているともいえるし、また図そのものも円のなかに描かれています。幾つもの円が多層的に描かれていて、とても興味深いものです。
自我とセルフを最大に単純化して、青年を「思考、悩み」、牛を「無意識を含めた丸ごとの自分」と捉えてみると分かり易くはないでしょうか。ご興味のある方は検索してみてください。解釈を入れずに絵を眺めたり、または河合隼雄先生の本などを読まれるといいかもしれません。
2023年05月17日
5月になりました。
そろそろ4月から始まった新学期や新年度の疲れが出てくる頃ではないでしょうか。
最近空き時間に、私もセルフ・コンパッション(慈悲)のワークブックをチマチマとやっています。何回でも行う度に新たな発見があります。
自分にダメ出しをしたり、罵倒したり、心のなかで否定的な言葉を吐いたりしていると、外界の脅威に接した時と同じ反応が神経系に起きるとのことでした。虐待やいじめなどトラウマ体験に遭遇した時に生じる生理反応と同じような状態を、自分で自分に引き起こしているようなものなのです。
ですので、自分のことも「他者のなかの一人」として扱ってみる。それも「大切な他者のなかの一人」として、客体化して扱ってみることが大切です。大切な人に、ダメ出しの言葉や冷酷な言葉は吐かないでしょう。厳しいことを言うときもあるかもしれませんが、そこには温かさや建設的な要素、慈しみの感情を含ませると思います。
そうすると今度は「大切な人なんて私には誰もいない」という言葉が聞こえてきそうですが、イメージのなかで何となくでも大切な人を創ることは出来るはずです。
2023年04月19日
同業仲間とのミーティングも3年ぶりに対面での開催となりました。やはりオンラインだと顔出しであったとしてもニュアンスや言外のコミュニケーションがほぼ伝わらず、改めて「場を共有する」ことの有難さを思いました。
開催場所はこちら。
エントランス中庭の竹林が風に揺れてとても綺麗でした。そしてお部屋はこちら。
一瞬旅館かと思いましたが、お茶室としても使えるところ。開け放った窓から小鳥の啼き声が聞こえてきて、あれは何の啼き声だ?と楽しく脱線したりもしていました。
ところで、最近chat-GPTを試してみましたが、私は改めて心理療法や心理カウンセリングはAIにとって代わられることはないと思いました。認知の歪みを教えてもらうなど答えを求めるようなものであればAIでも可能になるのでしょうが、人が生きている限りAIだけで満足する人はいないだろうと思います。
前にも書いたように思いますが、人が人を求める所以はそれは最終的には「別れ」があるからだと思います。つまり、誰しも老いて歳をとっていくということ。否応なく変化があるということ。そして私たちには生身の温かさ、匂い、触感があるということ。
なので将来生活の大半がAIにとって代わられるようになったとしても、私たちが人間である限り人を求め続ける何らかの接点はなくならないのではないでしょうか。
2023年03月30日
話題の書籍『母という呪縛 娘という牢獄』(2022 齋藤彩, 講談社)を読んでみました。記者の女性が2018年の母殺しの被告となった若い女性(娘)とやり取りを重ねながら、判決が確定するまでを取材したルポルタージュでした。医学部9浪殺人事件といえば、まだ記憶に新しいのではないでしょうか。
読んでみてまず思ったのが、精神的虐待(頻度は少ないものの身体的虐待あり)の何ものでもないということでした。ただ10代の頭がよく体格も良いお嬢さんであったために、度々のSOSが軽視され大きな悲劇に繋がったように思います。
子の望みや意向を妨害して親の希望を押し付けるのは紛れもない虐待ですが、母と娘のLINEのやり取り(母からの一方的なLINEともいえる)は壮絶で本当に驚愕します。スマホやLINEはつまり“密室”の延長なのですよね。外出しても支配と被支配の関係が続く、雁字搦めの時代なのだなと思いました。
なぜこのお母さんが娘も夫も自分の下僕のように扱うここまで支配的な人間になってしまったのか、母親の育った背景はわずかに書かれているだけでよく分かりませんでした。ルポとしては、ただ単にグロテスクな母と娘の関係を描いたものではなくて、崩壊した一つの家族の再生あるいは父と娘の関係の再生の萌芽が描かれており読後涙腺が緩みました。
事件を起こすような関係性は極端で稀なケースだとしても、私たちのなかには誰にでも「支配欲」のようなものがあるはずです。他者が自分の思うように動いてくれなかったりコントロールが上手くいかないと、非難したり甘言を弄したり様々な策を講じて何とかして他者を動かそうと躍起になります。また支配される側から見て、自分にとって力のある人が敷いたレールを進む方が断然楽なので追従を受け入れることも多いにあると思います。ルポの娘がそうだったとは私は決して思いませんが、判決文では厳しいことも書かれていました。そういうことを色々と考えさせられました。
2023年03月17日
桜の開花宣言も出て日毎に暖かくなってきました。国内外の人の往来も激しくなってきたようで、世の中の動きが随分元に戻ってきたのでしょうか。毎日寄るコンビニの店員さんで、何か月も見ない方がいて辞めたのかと思っていましたが、今朝方久々に声を掛けていただきました。何でも一度中国に帰っていたのだとか。
海外渡航の話も日常聞くことが増えてきましたが、自分の心は未だ鎖国状態というか、マスクも外す勇気がなくて身に付けています。マスク着用については、日本人の集団圧力や喘息、花粉症というよりも、あのスーパーコンピュータ富岳で見せられた飛沫映像の影響が断然私にはあります。会話も歌唱もあんなに飛沫を撒き散らかしていたなんて…。個人的には潔癖(本来潔癖症ではありません)との闘いになってきそうです(笑)
相談室におきましては、一時間近く対話をするという性質上、3月いっぱいはマスク着用継続とさせていただき、その後は個人の判断に委ねたいと思います。段々暑くもなってきますしね。窓は少し開けながらのセッションになりますので往来の音が響くこともあろうかと思いますが、御協力のほど宜しくお願い申し上げます。