2023年02月08日
受験のシーズンとなりましたね。
私の家の近くには中高一貫校があり、中学や高校の受験日は受験生で往来が混雑します。中学受験の小学生は父母と一緒に朝早く登校し、帰りはまた父母が学校まで迎えに来ているようです。親御さんもなかなか大変ですね。
同一校を複数回受験できるようで、最終回は当日受験結果がわかるとのこと。人から聞いた話では近くのコンビニで受験した小学生が泣いていて、それをお母さんが「頑張った、頑張った」と慰めていたとのことでした。状況はよくわかりませんが、こういうお母さんに育てられた子どもは幸せだなと思います。
私は三者面談で高校受験の志望校のランクを一つ下げることが決まったとき、帰り道親が激怒して口を聞いてくれませんでした。今では遠い過去の笑い話の一つですが、当時の自分としては言い分もあったし、一方でやっぱり自分は中途半端でダメな人間なんだと傷ついた記憶があります。
最近のニュース記事のなかに「子どもが受験を引きずるか否かは親次第」というものもありました。どこに行くかにばかり目が囚われていると、大事なものを見失うのではないでしょうか。
あらゆる受験生に伝えたいことは、どこの学校へ進むのかも大切なことなのかもしれませんが、たとえそれが不本意に終わっても腐らずに、少しでも自分の好きなこと・心惹かれることを見付けてコツコツと学び続けていく姿勢や態度を養ってほしいということです。自発性と習慣こそ身に付けてほしい。そして人から沢山学んでほしいと思います。好きなことがある人は人生がまだ生きやすくなることは確かだと思います。
2023年01月04日
コロナ禍も4年目に突入しましたが、今年はそろそろ収束してくれることを願います。
とはいえ自宅用のPCを新調したりと、遠隔参加に困らないように備えの継続も必要ではないかと思っています。
禍福は糾える縄の如し、かもしれませんが、どうぞ心のなかは実りの多い年でありますように…。
2022年12月29日
神保町の銀杏の樹も、葉が落ちてそろそろ枯れ枝ばかりが目立ってきました。クリスマスの頃は歩道一面、黄金色の銀杏尽くしとなっていて、それはそれは見事でした。本日無事に仕事納めを迎え、手抜き大掃除を済ませました。大掃除の続きはまた来年ということで…。
さて、2022年、皆さまはそれぞれどのような年でしたか。
私は、人がもっと自由に自律的にのびのびと、それでいて他者との協力を失わずに生きていくにはどうしたらいいのだろうかということを、内外の社会情勢や自分の身の回りの事柄から考えることの多い年となりました。
来年をどう過ごしたいのかは、お休みの時に夢想も含めてゆっくり考えたいと思います。
2022年12月11日
宗教2世の問題が大々的に取り上げられるようになりましたが、2世の人たちの生き辛さや心の傷は以前から臨床の場でしばしば語られていたと思います。個々人の信教の自由は妨げられてはいけませんが、子どもは親の庇護のもとでしか生きていけないので、自然と親の信仰や言動に従わざるを得なくなります。彼らの生き辛さや苦悩を掬い取る仕組みというのは、子どもの人権を守るために必要なことと思います。
そんななかで気になっていた新聞記事があり、切り取っていたものを改めて読んでみました。それは『新興宗教と女性 信仰を通し搾取 社会の縮図』(朝日2022.11.24)という東京大学大学院教授の林香里先生による論壇時評です。論壇時評とは様々な著者のコラムや評論文を紹介しながら時事問題を扱うもののようです。記事では、子どもではなくまず母親に目を向けることの重要性を問うていました。
宗教にはまってしまったり宗教を下支えしているのは圧倒的に母親が多いことをどう捉えるのか。批判的に見るのではなく、母親の生き辛さを吸収する装置として宗教が機能しているのではないか。では、母親の生き辛さとはどのようなものだろうか。子育てや家庭での役割におけるプレッシャーや無意識に取り込んだ社会の価値観があるのかもしれない。しかしその大半の宗教も、ジェンダーバイアスを強化する方向に働いているという鋭い指摘がありました。
また拡大された宗教として、スピリチュアリティの隆盛も見逃せないという論考もありました。スピリチュアリティとは代替療法、ヨガ、占い、パワースポット巡り、癒しやヒーリング、親学などが含まれます。
健康的に利用できていれば問題はないと思いますが、搾取の対象にされてしまったり全面的に信奉し過ぎたりすると、本人や家族の自律性と幸福が奪われてしまうことになります。
癒しやヒーリングは心理療法とは様相が異なるものだと私は思っていますが、「癒し」という言葉は心理の世界でも頻繁に使われているので、ほとんど一緒の意味に捉えて臨床心理士のもとへ来られる方もきっといらっしゃることでしょう。
癒し、ヒーリングというと「傷を治す」という意味合いが強いかと思いますが、心理(精神)療法及び心理カウンセリングと呼ばれているものは、「自分に気付き、自分や他者との付き合い方を探し、自己肯定をできるようにするプロセス」だと考えています。「自分との付き合い方」を磨くというところが斬新ではないかと思いますし、前回のブログで書いた「自分自身に真に優しくなる。共感の眼差しを向ける」ということに繋がってきます。
2022年12月04日
セラピーとは何か。
セラピーの究極の目標は「自分自身に対して真に優しくなる、思いやりをもつ、自分を許す」、ということだと思います。これは自分のなかに「大人の部分をつくっていく」ということとほぼ同義だと思います。
「無理です、私は自分が嫌い」「ありのままの自分なんて許せない」etc.という声がすぐに聞こえてきそうですが、これは何でもありの甘やかすという態度では決してありません。「大人の部分」というのは「自己を律する」ところがありますが、自責感、罪悪感、批判が過度に強くて厳しいというのとは違います。
敢えて言うならば、自分を他人と比較しない、条件付きの愛を課さない(これができるから自分には価値があるという考えや態度を捨てる)、自分をなだめたり励ましたりする能力を育てる、ということだと思います。
真に自分自身に優しい人こそ、他者を責めたり批判的ではなく、他者を見る目が大らかになっていくのではないでしょうか。
一年の終わりのこの季節、少し自分自身に対する見方を緩めてみましょう。
2022年11月18日
今週はオフィス隣りの文房具屋さんの歳末恒例セールがありました。スタッフが増員され掛け声が外に響き渡り、セッション中も聞こえてきました。気になった方もいらっしゃったのではないでしょうか。私にはこの掛け声で季節を知る年中行事の様なものになりました。
10月後半から11月初旬には神保町古本祭りがあり、3年ぶりにブックフェスティバルも開催されました。色々な情報を頂いていてスズラン通りに出掛けたかったのですが、時間が合わずに街の雰囲気だけを行き帰りに感じていました。
今年は森田療法のアドバンスセミナーを受講していて、それも後一回で終わろうとしています。夕食後に受けるので眠くてしんどい時も多々ありましたが(目の下にキンカンが必須です)、トラウマのトの字も出てこない心理療法なので非常に新鮮な内容でした。
入院森田療法には絶対臥辱期といって一週間くらい食事と排泄以外起きてはいけない期間があることは有名ですが、これはコロナの隔離期間が似ているとのご指摘は我が身を持って納得できました。コロナに罹患しても小さい子どもの世話をしなくてはいけないお母さん方は事情が異なると思いますが、段々ただ横になっているのがつまらなく苦痛になってくれば、自分の欲望の萌芽に気付くことができます。
コロナ第8波の入り口に差し掛かったと言われていますが、一番は罹らないことを祈るばかりですが仮に罹ったときは「絶対臥辱期」だと思うことにしたいものです。
※カウンセリングルームのコロナ対策としては、自身はオミクロン対応ワクチン含め4回接種済みであること、一時間毎の換気、アルコール消毒、常時加湿を心掛けております。クライアントの皆様には不織布のマスク御使用をお願い致します。
2022年11月04日
ブログの更新が滞りがちですが、既に11月を迎えていました。
当たり前ですが自分自身が一年一年歳をとっていくので、身の回りで喪の機会が増えてきました。子どもの頃から親しみを感じていた人や心を寄せていた犬猫との別れもありました。
命との別れの時はいつも、谷川俊太郎さんの詩『生きる』を思い出します。特にファンではないのですが、小学校のときの教科書に掲載されていたことがとても大きいのだと思います。皆さんも一度は読んだことがあるかもしれません。人は過去にも未来にも生きることができるかもしれませんが、「今、ここ」にこそ生き生きとした生が宿っているのでしょう。
セラピストとクライアントは対話や心理療法を通して治癒や成長という未来の変化を志向しますが、現在がどんな困難な状況であれ「今、現在」に生きていること、存在することこそが、代替のきかない何よりも尊いものなのだと思いました。