2023年04月19日
同業仲間とのミーティングも3年ぶりに対面での開催となりました。やはりオンラインだと顔出しであったとしてもニュアンスや言外のコミュニケーションがほぼ伝わらず、改めて「場を共有する」ことの有難さを思いました。
開催場所はこちら。

エントランス中庭の竹林が風に揺れてとても綺麗でした。そしてお部屋はこちら。

一瞬旅館かと思いましたが、お茶室としても使えるところ。開け放った窓から小鳥の啼き声が聞こえてきて、あれは何の啼き声だ?と楽しく脱線したりもしていました。
ところで、最近chat-GPTを試してみましたが、私は改めて心理療法や心理カウンセリングはAIにとって代わられることはないと思いました。認知の歪みを教えてもらうなど答えを求めるようなものであればAIでも可能になるのでしょうが、人が生きている限りAIだけで満足する人はいないだろうと思います。
前にも書いたように思いますが、人が人を求める所以はそれは最終的には「別れ」があるからだと思います。つまり、誰しも老いて歳をとっていくということ。否応なく変化があるということ。そして私たちには生身の温かさ、匂い、触感があるということ。
なので将来生活の大半がAIにとって代わられるようになったとしても、私たちが人間である限り人を求め続ける何らかの接点はなくならないのではないでしょうか。

2023年03月30日
話題の書籍『母という呪縛 娘という牢獄』(2022 齋藤彩, 講談社)を読んでみました。記者の女性が2018年の母殺しの被告となった若い女性(娘)とやり取りを重ねながら、判決が確定するまでを取材したルポルタージュでした。医学部9浪殺人事件といえば、まだ記憶に新しいのではないでしょうか。
読んでみてまず思ったのが、精神的虐待(頻度は少ないものの身体的虐待あり)の何ものでもないということでした。ただ10代の頭がよく体格も良いお嬢さんであったために、度々のSOSが軽視され大きな悲劇に繋がったように思います。
子の望みや意向を妨害して親の希望を押し付けるのは紛れもない虐待ですが、母と娘のLINEのやり取り(母からの一方的なLINEともいえる)は壮絶で本当に驚愕します。スマホやLINEはつまり“密室”の延長なのですよね。外出しても支配と被支配の関係が続く、雁字搦めの時代なのだなと思いました。
なぜこのお母さんが娘も夫も自分の下僕のように扱うここまで支配的な人間になってしまったのか、母親の育った背景はわずかに書かれているだけでよく分かりませんでした。ルポとしては、ただ単にグロテスクな母と娘の関係を描いたものではなくて、崩壊した一つの家族の再生あるいは父と娘の関係の再生の萌芽が描かれており読後涙腺が緩みました。
事件を起こすような関係性は極端で稀なケースだとしても、私たちのなかには誰にでも「支配欲」のようなものがあるはずです。他者が自分の思うように動いてくれなかったりコントロールが上手くいかないと、非難したり甘言を弄したり様々な策を講じて何とかして他者を動かそうと躍起になります。また支配される側から見て、自分にとって力のある人が敷いたレールを進む方が断然楽なので追従を受け入れることも多いにあると思います。ルポの娘がそうだったとは私は決して思いませんが、判決文では厳しいことも書かれていました。そういうことを色々と考えさせられました。


2023年03月17日

3月14日桜の蕾
桜の開花宣言も出て日毎に暖かくなってきました。国内外の人の往来も激しくなってきたようで、世の中の動きが随分元に戻ってきたのでしょうか。毎日寄るコンビニの店員さんで、何か月も見ない方がいて辞めたのかと思っていましたが、今朝方久々に声を掛けていただきました。何でも一度中国に帰っていたのだとか。
海外渡航の話も日常聞くことが増えてきましたが、自分の心は未だ鎖国状態というか、マスクも外す勇気がなくて身に付けています。マスク着用については、日本人の集団圧力や喘息、花粉症というよりも、あのスーパーコンピュータ富岳で見せられた飛沫映像の影響が断然私にはあります。会話も歌唱もあんなに飛沫を撒き散らかしていたなんて…。個人的には潔癖(本来潔癖症ではありません)との闘いになってきそうです(笑)
相談室におきましては、一時間近く対話をするという性質上、3月いっぱいはマスク着用継続とさせていただき、その後は個人の判断に委ねたいと思います。段々暑くもなってきますしね。窓は少し開けながらのセッションになりますので往来の音が響くこともあろうかと思いますが、御協力のほど宜しくお願い申し上げます。
2023年03月04日
暖かい日が増えてきました。
何となく街中に子どもたちの数が増えたように思いますが、卒業のシーズン到来なのでしょうか。
少子化のニュースが声高に叫ばれていますが(数値ばかり目立って報道されてうんざりですが…)、たまたま立ち寄った本屋さんで面白そうなPHP新書を買いました。それは『子どもが心配 人として大事な三つの力』養老孟司著(2022)です。
養老先生はつとに有名な解剖学者ですが、児童精神科医、小児科医、脳科学者、教育者の方々との対談集となっています。会話なのですらすら簡単に読めますが、内容は大切なことばかり話されていると思います。
教育の最終目標はどこにあるのか。それは「子どもたちの幸せ・幸福(well-being)」にあるということ。それも幸せの先送りをしないこと。
また人として大事な三つの力とは、認知機能、共感する力、自分の頭で考える力、だということでした。五感や手足を使って自然のなかで実体験を積ませてあげることが、何よりも脳や心、体の発達を促すという指摘もありました。バーチャルな世界との付き合い方も再考を迫られると思います。
子どもたちの幸せ(well-being)とは何かということを、やはり大人は真剣に考えなくてはいけないのだと改めて思いました。いい大学を出て社会的にいい職業に就いて所謂勝ち組になったとしても、幸せを感じられない、自分のしたいことが分からないと訴えてくる人は沢山いらっしゃいます。反対に自分は社会の負け組だと自己卑下の感情に苦しみ、自分の殻に籠ってしまう人もいらっしゃいます。

2023年02月23日
ブログ更新まで暫くお待ちを…
春は年度替わりの季節ですね。
相談室はいただいたお花で香しい匂いに満ちています。

小梅、木瓜、南天

2023年02月08日
受験のシーズンとなりましたね。
私の家の近くには中高一貫校があり、中学や高校の受験日は受験生で往来が混雑します。中学受験の小学生は父母と一緒に朝早く登校し、帰りはまた父母が学校まで迎えに来ているようです。親御さんもなかなか大変ですね。
同一校を複数回受験できるようで、最終回は当日受験結果がわかるとのこと。人から聞いた話では近くのコンビニで受験した小学生が泣いていて、それをお母さんが「頑張った、頑張った」と慰めていたとのことでした。状況はよくわかりませんが、こういうお母さんに育てられた子どもは幸せだなと思います。
私は三者面談で高校受験の志望校のランクを一つ下げることが決まったとき、帰り道親が激怒して口を聞いてくれませんでした。今では遠い過去の笑い話の一つですが、当時の自分としては言い分もあったし、一方でやっぱり自分は中途半端でダメな人間なんだと傷ついた記憶があります。
最近のニュース記事のなかに「子どもが受験を引きずるか否かは親次第」というものもありました。どこに行くかにばかり目が囚われていると、大事なものを見失うのではないでしょうか。
あらゆる受験生に伝えたいことは、どこの学校へ進むのかも大切なことなのかもしれませんが、たとえそれが不本意に終わっても腐らずに、少しでも自分の好きなこと・心惹かれることを見付けてコツコツと学び続けていく姿勢や態度を養ってほしいということです。自発性と習慣こそ身に付けてほしい。そして人から沢山学んでほしいと思います。好きなことがある人は人生がまだ生きやすくなることは確かだと思います。

河津桜

紅梅、目白
2023年01月04日
コロナ禍も4年目に突入しましたが、今年はそろそろ収束してくれることを願います。
とはいえ自宅用のPCを新調したりと、遠隔参加に困らないように備えの継続も必要ではないかと思っています。
禍福は糾える縄の如し、かもしれませんが、どうぞ心のなかは実りの多い年でありますように…。
