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ブログ 心's LOOM

あっという間に…

2022年01月30日

ブログ更新を放っておいてしまいました。
今月は幾度か早朝に家を出て海外とのオンラインワークショップを受けていました。それにしても夜明け前はキリキリとした強烈な寒さですね。窓外の景色もまだ真っ暗で、一体、自分がいるのが夜なのか朝なのか分からなくなる錯覚に陥ったりしていました。

受講した心理療法の話題は置いておき、講師の著書にあった謝辞の一文に大いに考えさせられました。

欧米圏の文献によくみられるように、謝辞で家族や同僚等に愛や感謝を述べるのがありますよね。妻○○のおかげでこの本を完成させられたとか、愛する子ども○○にインスパイアされた、などと個人名がオンパレードに並び、いつも感心させられます。と同時に、かなり過剰な表現に思えなくもなくお腹がいっぱいになるのですが、まあこれは文化の違いなのでしょうね。比較的日本の著者は、編集者へ迷惑をかけたことを詫びている場合が多いように思うのですが、これもまた面白いですね。

脱線しましたが今回私が感心したのはそこではなくて、「私たち家族は互いに学び、共に成長するために集まりました。」というくだりでした。家族というものに対しこのような発想を全くしたことがなかったので非常に新鮮でした。レトリックの部分があるのかもしれませんが事実だとも思います。「互いに学び、共に成長するため集まる…」、すごいですね。子の立場から見た家族って気付いたら家族だったというか、主体性や意識を超えたところにある、逃れがたい大前提でしかないと思っていましたが、この一文には温かいものが感じられたのです。

子は親を選べないとか(親も子を選べない?)、親ガチャだとか昨今言われていますが、これからは日本においても色々な意思のもとに形成された家族というものが増えていくのではないでしょうか。

 

 

 

 


新しい年を迎えました。

2022年01月06日

昨日から本年度の始まりです。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

本日、東京は午前中から雪となりました。
とても寒いですね。

写真は1月4日ふらっと立ち寄ったところの神社の樹です。
幹も枝も葉もとても清々しく、思いっきりこの樹の精を吸い込んできました。

オミクロン株も猛威を振るってきていますが、2022年が誰にとっても実りの多い年でありますように…
皆が支え合って生きていけますように…

樹 tree


2021年もありがとうございました。

2021年12月25日

今朝起きてAmazon Alexaに声を掛けたらクリスマスソングを歌ってくれました。

昨日の帰りは神保町交差点付近でベートーベンの第九「歓喜の歌」が大音量で流れていましたが、誰かのいたずらかと思いそそくさと帰ってきてしまいました。今日知りましたが、岩波神保町ビル前広場で行われる毎年恒例の「クリスマスキャロルの夕べ」だったようです。ああ…、残念でした。

生の歌や音楽からも、人々の大きな集まりからも遠ざかったこの2年間でした。その分、勉強会も学会もオンラインばかりになり充足不足色々に感じることが多々ありましたが、この先もしばらくこのような生活が続きそうですね。元に戻ることもあれば確実に変化することもあるのでしょう。

近年はコロナや他の面から安全第一を考慮し予約枠を限定して対応してきましたが、一つ一つのセッションから、心理療法家としてまた一人の人間として沢山のことを教わり学ばせていただきました。心より感謝申し上げます。

来年もオンラインは勿論のこと、面接室でのセッションが継続できますよう、引き続き精進していきたいと願っております。

 

湯たんぽベア

 

 


心理カウンセリングとはなにか

2021年12月19日

心理カウンセリングとはなにか、ということを改めてお伝えしていく必要があるとここのところ考えていました。ブログではつらつらと取り上げることにして、いずれウェブ上の固定ページを書き換えたいと思っています。

心理カウンセリングとは、簡単に言えば「自己理解を深めながら、自分の行動(そこにはコミュニケーションも含まれる)を変えていくこと」だと捉えています。また、「自分」とは常に他者との関係性において立ち現れてくるものなので、当然、他者との関係性が扱われることになります。他者には家族、友人、知人、恋人、集団社会などが挙げられます。

カウンセリングでしばしばみられることに、「問題や症状のある誰かを変えてほしい、治してほしい」という主訴で来られる方が結構いらっしゃることです。あるいはそこまで明言しなくても、「問題ある人と関わる方法を知りたい」という訴えがあります。

後者ならまだしも、「セラピーの場にいない人(他者)を変える、治す」ということは不可能なことです。治療で可能なのは、あくまでも自分自身です。その問題や症状のある他者と関わっていく、自分自身の長年の考え方や対人関係の特徴、来し方行く末の身の振り方などを探っていくのが、サイコセラピーの本領なのです。

 

 


スペクトラムでとらえる

2021年11月28日

価値観や世界観を変えることは結構難しいことだなといつも思うのですが、皆さんはどうでしょうか。

生まれてから育った環境で形成されたものの影響は強固な岩盤のように思えてなりませんが、もしかしたらコペルニクス的転回を迫るものとして近年の性の多様性の問題があるのかな…と最近よく考えています。

性の多様性について理解している人もそうではない人も、性差(ジェンダー、セックス)について学べる番組がつい最近ありました。それはNHKスペシャルの「ジェンダーサイエンス、男×女、性差の真実」です。観られなかった方は見逃し配信やサイトのダイジェスト版を読むことができます。

体の性差や脳の性差の仕組みや真実について科学的に知ると、今や身近に見聞きするようになった性の多様性についての理解が進んでいきます。ああ、そういうことだったのね、そういうことが起きていたのね…と目から鱗が落ちるとはこのことでした。

番組によると、脳の性差については男脳か女脳か明確に区別できる人は10%くらいの少数派で、90%は「男女モザイク能」だということでした。大半の人は、両性的か中性的、それもグラデーションは人それぞれなのです。

自分の脳がどのようなモザイク脳なのか知りたいと思いませんか。番組サイトには、イスラエルの先生の研究の一環で来年3月に質問紙テストが受けられると載っていました。自分のメールアドレスを登録しておけばそこに送られてくるようです。(受けられる方は、サイトを良くお読みになり御自身の判断と責任が必要になります。念のため)

 

 

 


「痛覚変調性疼痛」って?

2021年11月04日

ブログ更新が等閑になっていました。コロナが落ち着いてきたので気持ちが軽くなり、少しずつですが出掛けたり人に会えるようになってきましたね。

それでも12月末から第6波到来と報じられており、何だかうちのメダカの様な気分になってきました。今のうちに水槽の上の方に上がって空気をぱくぱく吸い、餌を食べ、英気を養ってコロナ再到来に備えておきたいと思います。

さて、今日は興味深いニュースを読んだのでシェアします。

体の痛みについて、組織や神経の損傷などが無く生じるものを「痛覚変調性疼痛」と名付けられたというものです。痛覚変調性疼痛には、心理臨床においてもお馴染みの過敏性腸症候群や線維筋痛症、腰や骨盤、膀胱の痛みなどが主にあげられます。また、睡眠障害も併発しやすいとのことですが、痛みがあれば睡眠に支障をきたすのも想像に難くないですよね。

今までは「心因性」「心の問題」と扱われてきた痛みが、実は「脳の神経回路の変化」によるものと最近の研究で分かってきたそうです。

具体的にどこの神経回路が影響しているかがわかれば、薬の開発も期待できるとのことでした。では、この脳の変化を引き起こすのは一体何なのか。それはストレスや心理的影響とのことでした。

何だか頭が混乱してきますね。「心の問題→体の痛み」と思われていたものが、「心の問題→脳の神経回路の変化→体の痛み」であると判明した、ということなのでしょう。なんだ、結局は心理的問題じゃない、ということになって堂々巡りになりそうですが…。

生命ある限りゼロにはならないストレスや心理的影響とどうやって上手く付き合っていくのか。正に大事なのはここですよね。精神医療では薬で脳に働きかけて治し、一方、心理臨床では薬ではなく、心理療法や生活改善、環境改善などで対応していく。どちらのアプローチも欠かせないだろうと、考えさせられた記事でした。

紅葉と池


臨場性について

2021年10月06日

緊急事態宣言が解除され、街が徐々に解放的になっていくのが感じられますね。

面接もほぼ対面に戻りつつあるものの、時々オンラインがあるとなぜか少しほっとします。オンラインは時間が来て接続を切ればそこで終わるので、時間の余裕が生まれるからなのでしょうか…。どうもそれだけではないようで、この感覚は一体なんなのだろうと思っていた矢先、精神科医の斎藤環先生の論考や記事に出会いました。

私が感じていたことに合点がいきました。それは「臨場性は暴力である」ということで、人と人が身体をもって直接相対することは、それだけで暴力性を帯びるということだったように思います。暴力といっても単純な意味での物理的精神的な暴力ではなくて、たとえどんなに優しい関係であったとしても、そこには「他者に対する力の行使」「不可避の侵襲」が生じるということでした。

この臨場性の暴力は善悪で語れるものではなくて、人々の欲望を賦活し、関係性を育むのだと言います。コミュニケーション(情報の伝達)はオンラインで可能ですが、関係性の構築はオンラインでは不可能なので、コロナ後の世界は全てがオンラインになることもないし、また全てがリアルな対面に戻ることもないのです。

先週末は海外の先生とオンライン研修がありました。講師のジェットラグも渡航滞在費も無く、また参加者も研修費のみで全国から参加できる利点があり、これならばオンラインで十分なのではないかと改めて思いました。とはいえ深い学びができるのかというと私はそうでもないようで、これからの社会はオン・オフライン併存、柔軟に選択できるようになるといいですよね。

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