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ブログ 心's LOOM

今年もありがとうございました。

2020年12月30日

仕事納めとなりました。今日は帰宅したらジブリの『ア-ヤと魔女』を観たいと思います。

今年の振り返りと来年の展望は他に任せるとして、来年は丑年なのですよね。丑(牛)についてネットであれこれ見ていて、夏目漱石が後輩作家の芥川らに出した手紙というのがとても面白かったので、ここに一部を付しておきます。

……牛になることはどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛に中々なり切れないです。僕のやうな老獪なものでも、只今牛と馬とつがつて孕める事ある相の子位な程度のものです。

 あせつては不可せん。頭を悪くしては不可せん。根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げることを知つてゐますが、火花の前には一瞬の記憶しか與へて呉れません。うんうん死ぬ迄押すのです。それ丈です。……

 

今年もありがとうございました   -capsule toy-

 

 

 


『生まれてこないほうが良かったのか?』

2020年12月23日

明日は遂にクリスマスイヴとなりました。ここのところずっと、前回のブログで取り上げた森岡正博著『生まれてこないほうが良かったのか?』を読んでいました。キリストの生誕は「誕生肯定」なのでしょうね。一方、原始仏教の仏陀は「誕生否定」であり、輪廻転生しないように(二度とこの苦しい現世に生まれてこないように)解脱を目指すのだそうです。

「反出生主義」は「生まれてこなければよかった」とする立場や「誕生否定」の思想です。誕生否定は自分自身の誕生を否定する場合と、他者や人類の誕生をも否定する場合があるようです。究極的には人類滅亡を望む思想もあります。

読んでみてまず思ったのは、一口に「反出生主義」と言っても、その思想は間口(東西)も奥行き(歴史)も破格に広大、深遠で圧倒された、ということでした。二度読んだぐらいではわからないのが正直なところです。

「この世、現世」をどう捉えるのか、「生・死」をどう捉えるのか、「命」をどう定義するのか、「誕生に伴う子どもの同意は問えるのか」といった生命・医療倫理や子どもの権利の問題にまで及んでいきます。

著者は、「生まれてこなかった私」というものはそもそも想定できないのだから、答えの出ないところに拘泥するのではなく、「生まれてきたくなかった」という思いを解体するような取り組みをしていくことが大事なのではないか、ということを述べていました。

心理臨床の場ではしばしば、「私の人生は報われない」という思いが、この反出生主義に親和性が高いように感じます。「報われない」ことの中身は千差万別ですが、仕事や境遇や健康の問題である場合もありますが、「(自分の望むような)人たちから認めてもらえない」という他者からの評価や承認の問題もとても大きいように思います。評価や承認、愛されることを望むのであれば、他者を愛し、評価し、承認することが不可欠なのですが…。

さて、先日私が参加した研修では、「mind(心、意識)とは何か。どこにあるのか。」の問いに、mindは私の内側と外側にあるという一つの考え方を教わりました。私たちの体の内側だけではないのですよ。外側とは、「私とあなたのなかに」、「私と環境のなかに」、ということです。そして「私」というものを構成するのは、①mind  ②頭 head ③脳 brain ④身体 body ⑤関係性 relationship、の5つなのです。

「私」=mind(心、意識、精神)だと思いがちですが、本当にそうでしょうか。自分とは、自分の意識だけでは計り知れないものなのだ、掬い切れないものなのだ、という視座に立ってみると、何だか少しは救われるような気持ちになりませんか。「私はダメな人間だ」「私は報われない人間なのだ」等という自己評価、自己規定は、意識のなせる業に過ぎないのです。

 


2020年12月

2020年12月06日

師走を迎えました。今年は静かな年末年始となりそうですね。
相談室は30日までとなり、年始は定休日と重なるため6日からとなります。

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今年、クライアントさんから教えて貰った言葉に、「反出生主義」というのがありました。私は全く知らなかったのですが、どうやら「生まれてこなれけば良かった」という思想や「出産を否定する」立場のことを指すようでした。

面接室の中ではしばしば、「生まれなかったら良かった」「生まれたくて生まれたんじゃない」「こんなに辛いのに、なんであの親は私を生んだんだ?」「生きる意味なんてあるのか?」といった類の言葉が切々と吐かれます。それほど辛いという、叫びなのだと思います。

「反出生主義をどう思いますか?」という問いがあり、少し調べてみました。そして今、森岡正博著『生まれてこないほうが良かったのか?-生命の哲学へ!』(2020,筑摩書房)を読んでいます。どうやらこの「誕生否定」の思想は、2500年もの長い歴史と東西に遍く及ぶもののようです。当然、時代や場所や人によって、その主義の中身には相違があります。原始仏教が反出生主義を出発点としていることは大変驚きでした。

この本は反出生主義の文学や哲学思想を考察しその「乗り越え」を図ったものということですが、精読してから年内にまた感想を書きたいと思います。

 

 

 


相談室の窓から

2020年11月19日

冬季には第三波が来ると言われていましたが、予想通り首都圏では罹患者が増加しています。googleのAIを使った予測サイトを見ると、これから年末にかけて更に増えていくようです。

誰もが気を引き締めて生活しなくてはいけませんが、若い人たちはもう少し科学的に根拠のある情報収集を心掛けてほしいなと常日頃思います。夜、神保町界隈の飲み屋さん前では、グループで大声で話し、なかには何故かマスクをしていない人、顎にかけたまま話している人すらいて、自分のことしか考えないことに悲しい気持ちになります。

室内で「マスクを外してもいいですか?」と卒倒しそうな質問をする方もいらっしゃって、それでは何故外ではマスクをして歩くのか、周囲の人がしているからしているだけなのか、と不思議に思います。飛沫がどのように飛ぶか、マスクの種類によって効果はどれくらいなのか等、様々なシミュレーション実験が報じられているので役に立ちます。

コロナウィルスは軽症で済む人が大半だそうですが、味覚や嗅覚障害が残ったり、後遺症が執拗に消えなかったりと、まだまだ生物に与える影響は未知のウィルスであることはよく知られています。罹ったときはその時ですが、自分や周りの人々を極力守るように、経済・社会活動を守るように、お互いを思いやって出来得ることはして乗り越えていきましょう。

 

落葉松

 


心のなかの一つの場所

2020年11月05日

先日開かれたonline学会において、昨年逝去されたEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)の創始者のメモリアルタイムがありました。その時BGMで流れていた曲について今日は書きたいと思います。

それはMichael Jacksonの「Heal the World」(世界を癒そう)で、特に彼のファンというわけでもないのですが改めていい曲だなと感じました。奇しくもトラウマを扱う療法で小児虐待疑惑のあるマイケル?と思いましたが、それはそれとして横に置き、天才は生きていくうえでの good idea を感覚的にとらえるのかもしれないと歌詞を聴きながら思いました。(正確にはマイケルとライオネル・リッチーの共作のようですがライオネル・リッチーも素晴らしい歌手ですよね。)

出だしの歌詞を一部抜粋すると… (和訳はネットでしっくりくるものを探してください)

There’s a place in your heart
And I know that it is love
And this place could be much brighter than tomorrow
And if you really try
you’ll find there’s no need to cry
In this place you’ll feel there’s no hurt or sorrow

最初の2行は「君の心のなかに一つの場所があるよ。そしてそれが愛だってわかっている」となりますが、これはEMDRなどの心理療法で、最初に取り組むワーク「安全で安心な場所の開発」というものに近いのではないかと思いました。勿論歌に出てくるplaceやspaceはこの限りの意味ではありませんが。

「安全で安心な場所の開発」は、セラピーで過去の辛い体験を扱う前にまずは自分にとって落ち着いていて安心できる場所のイメージを想像し、必要な時にはいつでもそこにアクセスできるようにするものです。その他スキーマ療法などでも「安全なイメージ」というものがありますね。

EMDRや自我状態療法を受けられた方は体感的にわかるでしょう。in your heart が in your body となる場合もあって、寧ろ私はこちらの方を最近多用しています。

マイケル・ジャクソンがセラピーを受けていたかどうかはわかりませんが、恐らくこういう人たちは直感的に体得するのかもしれません。「if you really try」ともあり、「私たちが真剣に取り組めば、益々その場所を輝かせられる」のです。

 


感情は計測できる

2020年10月25日

テレビニュースでIT技術の国際展示会の様子を放映していました。遠隔で操作する医療機器など最新技術が色々と紹介されていたのですが、なかでも非接触型で人間のバイタルサインを測定する機器が目を引きました。体温は既に非接触型体温計が出回っていますね。私の見間違いでなければ「体温、呼吸(酸素飽和度?)、心拍、血圧(本当?)」の4つを一度に非接触で測れるということでした。

最近読んだ本、ユヴァル・ノア・ハラリ著(2020、河出書房新社)『緊急提言パンデミック』のなかに、このパンデミックを境にして人間を監視する技術は「体外監視」から「皮下監視」へと劇的に移行するということが指摘されており、時を同じくして読んだもの見たものが重なって色々と考えてしまいました。

ハラリ博士は皮下監視の有効利用(ex.医療的利用)を称えると同時に、負の側面にも言及していました。少し引用すると、 “ ぜひとも思い出してもらいたいのだが、怒りや喜び、退屈、愛などは、発熱や咳とまったく同じで、生物学的な現象だ。だから咳を識別するのと同じ技術を使って、笑いも識別できるだろう。… ”

例えば、会社の採用試験か何かで、志望者にスマートウォッチのようなリストバンドを渡して生体情報のデータを一定期間ある程度集めれば、その人が覇気のない無気力な人か、怒りっぽい人か、或いは朗らかな人かなどがわかってしまうのでしょう。企業側からすれば面接で賭けに出るよりも簡単で合理的で確実な採用方法になるのかもしれません。

もしそうなったら人は何を思いどのような行動に出るのでしょうか…。こういう時に倫理とか人権とか人文・社会科学が益々重要になってくると私は思います。

 

 

 

 

 

 

 

 


今読んでいるのは…

2020年10月09日

深まりゆく秋に優しく読めるお薦めの一冊です。

品田知美著(2020)「母と息子」の日本論 亜紀書房

男性には勿論のこと読んでほしいのですが、息子のいない女性が読んでも考えさせられる一般書です。対象は別に息子ではなくても配偶者やパートナー関係に通じるものがあるからです。

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おまけ:ムーミンパパの読んでいるものは?


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