2021年02月26日
まだまだ寒いですが暖かな日も増えてきました。この時季は年度替わりで確定申告など雑務が増えますね。確定申告は初めてonline上から申告しましたが、英語のイディオムで there were a lot of red tape というのが確かあったような、何だかとてもそのような印象でストレスフルなものでした。
さて、最近スマートウォッチの方が増えてきて心拍を図ったりしているようですが、これはなかなかいいバイオフィードバック(生体自己制御)ですよね。様々な状態の時に測定してみて、数値の高いときは呼吸法を取り入れてみるようにしましょう。
私はスマートウォッチではないのですが、朝晩パルスオキシメーターで酸素飽和度と脈拍を計っています。大体どちらも90後半です。脈の正常範囲は60~80ですよね。頻脈ではないかとかかりつけ医に尋ねると、その人の平均値をとってみて逸脱していなければ平気なのだそうです。そのドクターは何と40台なのだとか!?耳を疑い、一体どういう心臓をしているのかと思っていたところ…。
先日、ブラッド・ピット主演の映画『アド・アストラ』というものを観ました。ブラピが月、火星、海王星などへ飛び回るSFなのですが、苛酷な任務の随所で心理質問検査と脈拍or心拍を計測させられます。その時の数値が40台。超人ではあるものの、あり得ない数値ではないことが判明しました。
だらだら書いてしまいましたが、つまり自分のバイタルの平均を知っておくことが大事なのでしょうね。
It’s calla.
2021年02月07日
緊急事態宣言が一ヶ月延長されました。東京の感染者数は減りつつありオンラインカウンセリングも減ってくるかと予想していたのですが、意外にもあまり減っていません。これは私の相談室だけでなく他では増えているところもあるようなので、段々私たちの意識や生活スタイルが変化してきたのかもしれません。
オンラインで行うことは最初は制約だらけなのかと思っていましたが(確かにそれはありますが)、一つ、これはいいかもしれないと思ったことをシェアしたいと思います。
それはマスクをせずに行えるということです。(対人恐怖などの症状があってマスクがある方が安心するという方もいらっしゃいます。その場合はマスクをしたまま行います。)
一年以上もマスク社会になって、最近至るところで店員さんの対応が不愛想で怖いなあ…と思うことが度々あります。声もマスクやビニールシートに遮られてよく聞こえないので、それも手伝っているのでしょう。同様にこちらの声が届かないこともありますし、またこちらの表情も不愛想に映っているかもしれません。
欧米でマスクをしたがらない人が多いのは、顔が隠されて表情が読めず怖いからだという記事を読んだことがあります。欧米人は口元で相手の表情を読み取り、日本人は相手の目で主に表情を読み取る傾向があるそうです。
とはいえ戸外に出れば顔の半分が隠されている状況が続くと、主に目だけで表情を読み取るのは結構至難の業だなとヒシヒシと感じていました。互いの表情が伝わらないばかりか、顔を記憶するということにも確実に影響を与えると思います。
保育園や幼稚園で働く人たちが、大人がマスクをし続けていることが、子どもたちの成長にどのような影響があるのかとても心配だと言っていたことも強く印象に残ります。
オンラインは味気ないものだという意見はありますが、お互いの顔を何となく見ることができる安心感は、現在の対面式よりもずっと高いものではないかと思っています。
2021年01月31日
明日から2月になりますね。この状態はいつまで続くのでしょうか…。生活や社会に与える影響を考えると不安になったり苦しくなったりします。一方心のどこかに、あまり人に会わなくて済むところがラクだなあ…と思う面もあったりします。
これも行動変容の一つなのかもしれませんが、最近読書をキンドルでするようになりました。実は昨年アマゾンで読みたい文献をポチっと押したときに、紙の書籍を選んだつもりがキンドル版で、しかもキャンセルできないことがわかり非常に悔しい思いをしていたのです。誰かにあげたくてもあげられないし、無用の長物だなと。
キンドルは電子書籍リーダーがないと読めないものだとずっと思っていたのですが、何てことはない、PCやスマホで読めるのですよね。昔、機械を買った人はどう思っているのでしょう…。今や大抵のことはスマホでできるので、何事も食わず嫌いはやめて一度は虚心坦懐に事に臨もうと思った次第です。
キンドルの良さは、毎日の鞄の重量が格段に減ること、ベッドで読んでも腕が辛くないこと、わからない箇所をその場で検索出来たりメモが出来たりと各種機能が揃っているところですね。今の人は辞書を片手に読まなくて済むのですから、時間が短縮できて実に羨ましい!そうはいっても紙の書籍の方が断然読後感があるのですが。
さて、初めてキンドルで読んでいるのは、ユヴァル・ノア・ハラリ著/柴田裕之訳『サピエンス全史』文明の構造と人類の幸福(河出書房新社、2016)です。ユヴァル・ノア・ハラリ氏はヘブライ大学の歴史学の教授です。世界的なベストセラーなので御存知かもしれませんが、とても興味深くてぐいぐい引き込まれます。
コロナ禍の現在、ウイルスと人類がこれほどまでに近い存在になったことも大局的に歴史の流れを知るとより理解が深まります。何より、我々ホモ・サピエンスは相当恐ろしい生き物なのだと思い知らされます。これからの時代を生きていく人たちは読んでおくといい一冊でしょう。
2021年01月07日
新しい年になりました。今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
とはいえ、ここ連日、東京の感染者は鰻登りに増えています。
相談室は開室していますが、前回の時以上に、マスク着用、手指消毒をお願い致します。引き続き、ソーシャルディスタンスを守り、常時2-3cm窓を開けてのセッションになります。マスクに関しましては、お手持ちのものが布マスクの場合は、相談室にある不織布マスクを御利用ください。また6時半以降の臨時枠は今は受けていませんのでご了承ください。
心配な方はオンラインセッションに変更できますので、PC環境を整えていただくか、お手持ちのスマートフォンを固定して上半身がゆったりと映るように設定してください。この辺りは皆さんいろいろ工夫をされていて、車の中でスマホを固定して(そういう器具があるのでしょうか)参加されたり、本を積み上げて固定したり、こちらもとても勉強になります。
出来るだけの対策はして少しでも早く罹患者数が抑えられるように手を尽くしましょう。穏やかで平和な春が訪れますように。
2020年12月30日
仕事納めとなりました。今日は帰宅したらジブリの『ア-ヤと魔女』を観たいと思います。
今年の振り返りと来年の展望は他に任せるとして、来年は丑年なのですよね。丑(牛)についてネットであれこれ見ていて、夏目漱石が後輩作家の芥川らに出した手紙というのがとても面白かったので、ここに一部を付しておきます。
……牛になることはどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛に中々なり切れないです。僕のやうな老獪なものでも、只今牛と馬とつがつて孕める事ある相の子位な程度のものです。
あせつては不可せん。頭を悪くしては不可せん。根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げることを知つてゐますが、火花の前には一瞬の記憶しか與へて呉れません。うんうん死ぬ迄押すのです。それ丈です。……
2020年12月23日
明日は遂にクリスマスイヴとなりました。ここのところずっと、前回のブログで取り上げた森岡正博著『生まれてこないほうが良かったのか?』を読んでいました。キリストの生誕は「誕生肯定」なのでしょうね。一方、原始仏教の仏陀は「誕生否定」であり、輪廻転生しないように(二度とこの苦しい現世に生まれてこないように)解脱を目指すのだそうです。
「反出生主義」は「生まれてこなければよかった」とする立場や「誕生否定」の思想です。誕生否定は自分自身の誕生を否定する場合と、他者や人類の誕生をも否定する場合があるようです。究極的には人類滅亡を望む思想もあります。
読んでみてまず思ったのは、一口に「反出生主義」と言っても、その思想は間口(東西)も奥行き(歴史)も破格に広大、深遠で圧倒された、ということでした。二度読んだぐらいではわからないのが正直なところです。
「この世、現世」をどう捉えるのか、「生・死」をどう捉えるのか、「命」をどう定義するのか、「誕生に伴う子どもの同意は問えるのか」といった生命・医療倫理や子どもの権利の問題にまで及んでいきます。
著者は、「生まれてこなかった私」というものはそもそも想定できないのだから、答えの出ないところに拘泥するのではなく、「生まれてきたくなかった」という思いを解体するような取り組みをしていくことが大事なのではないか、ということを述べていました。
心理臨床の場ではしばしば、「私の人生は報われない」という思いが、この反出生主義に親和性が高いように感じます。「報われない」ことの中身は千差万別ですが、仕事や境遇や健康の問題である場合もありますが、「(自分の望むような)人たちから認めてもらえない」という他者からの評価や承認の問題もとても大きいように思います。評価や承認、愛されることを望むのであれば、他者を愛し、評価し、承認することが不可欠なのですが…。
さて、先日私が参加した研修では、「mind(心、意識)とは何か。どこにあるのか。」の問いに、mindは私の内側と外側にあるという一つの考え方を教わりました。私たちの体の内側だけではないのですよ。外側とは、「私とあなたのなかに」、「私と環境のなかに」、ということです。そして「私」というものを構成するのは、①mind ②頭 head ③脳 brain ④身体 body ⑤関係性 relationship、の5つなのです。
「私」=mind(心、意識、精神)だと思いがちですが、本当にそうでしょうか。自分とは、自分の意識だけでは計り知れないものなのだ、掬い切れないものなのだ、という視座に立ってみると、何だか少しは救われるような気持ちになりませんか。「私はダメな人間だ」「私は報われない人間なのだ」等という自己評価、自己規定は、意識のなせる業に過ぎないのです。
2020年12月06日
師走を迎えました。今年は静かな年末年始となりそうですね。
相談室は30日までとなり、年始は定休日と重なるため6日からとなります。
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今年、クライアントさんから教えて貰った言葉に、「反出生主義」というのがありました。私は全く知らなかったのですが、どうやら「生まれてこなれけば良かった」という思想や「出産を否定する」立場のことを指すようでした。
面接室の中ではしばしば、「生まれなかったら良かった」「生まれたくて生まれたんじゃない」「こんなに辛いのに、なんであの親は私を生んだんだ?」「生きる意味なんてあるのか?」といった類の言葉が切々と吐かれます。それほど辛いという、叫びなのだと思います。
「反出生主義をどう思いますか?」という問いがあり、少し調べてみました。そして今、森岡正博著『生まれてこないほうが良かったのか?-生命の哲学へ!』(2020,筑摩書房)を読んでいます。どうやらこの「誕生否定」の思想は、2500年もの長い歴史と東西に遍く及ぶもののようです。当然、時代や場所や人によって、その主義の中身には相違があります。原始仏教が反出生主義を出発点としていることは大変驚きでした。
この本は反出生主義の文学や哲学思想を考察しその「乗り越え」を図ったものということですが、精読してから年内にまた感想を書きたいと思います。