2020年10月01日
10月を迎えました。
先だっては南アフリカの先生からある資格を得るために必要なセッションをonlineで受けました。私は最近とみに感じるようになった“寂しさ”についてセッションで取り上げました。寂寥感、寂莫感といった感じなのですが、英語ではlonelinessになってしまい、何かこぼれ落ちるものがあるように思いました。孤独というわけではないのです。
なんでしょうねぇ。例えば空気がひんやりした静かな夜更けに虫の音を聴いていると湧いてくる感情です。毎年この季節には感じるのですが、今年はどうしたわけだか強い。
「その寂しさは何かを求めているものなのか、誰かにそばにいてほしいのか」のような質問をされました。人や物があれば満たされるという類のものではなくて、避けては通れないものという感じでしょうか。年々増していくように感じる月日の流れのあまりの速さに茫然としているのかもしれません。
私たちは流れのなかに、すなわち限られた時間のなかに生きることしかできないけれど、昨夜90歳前後のご夫妻の生活を追ったドキュメンタリーを観ました。そのなかに「時をためて生きる」という言葉があって、ためるって一体どういうことだろう…と今も考えています。彼らはコツコツと手足を動かしながら日々を大事に送っていました。焦らずに“ゆっくり”生きなさいと教えてもらったような気もします。
2020年09月20日
朝晩漸く涼しくなってきました。ぐっすり気持ちよく眠れるようになってはじめて、この夏の苛酷さを思い出します。少し前に駅で息苦しくなってしまい一瞬マスクを外してみたら、どんなに爽やかで涼しかったことか。外気は30度以上でも、マスクが無いとこんなに楽なのかと驚きました。多くの人が経験していることだと思いますが。
傷のある犬にエリザベスカラーを暫く装着させると、傷が治った後もエリザベスカラーを付けるように自ら首を出してきますが、私たちのマスクももはや条件反射のようになってきたと思います。だからたまには着用することの意味、自分の飛沫を飛ばさないためということを忘れないでいたいと思います。特に私は喘息持ちなのでマスクは必須、相談室でも時々ゲホゲホ咳が出てしまいます。御見苦しくすみません。
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さて、鑑賞の秋ということでもありませんが、先日やっとポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』を観ました。今年の米アカデミー作品賞でしたね。ブラックコメディで怖かったけれど導入は面白くもありました。これは正にフロイトの意識・前意識・無意識の三層構造ではないかと思ったり、言われているように格差社会を描いていました。
韓国には実際に半地下の家があるようですが、既視感を得ました。それは何か。2階建て電車の1階席です。席に座ると目線がちょうどホームを歩く人々の脚が見える高さになります。夜半に車両に向かって小用を足す人もいて、フツフツと怒りが湧いたことも思い出しました。
この映画については色々面白い点が沢山あったので、また後日感想を書きたいと思います。
2020年08月27日
かれこれ20年程前に精神科医の斎藤学先生のセッションを受けていてジェンダーの話になったとき、「男とか女とかそんなの取っ払って、今の時代は(性自認を)中性って考える人たちもいるんですよ」と言われたことをよくおぼえています。
つい先日ベルリン映画祭が “女優賞、男優賞の括りをやめて俳優賞にする。映画界は時代を牽引していかなくてはいけない” ということを発表しましたが、是が非でも確実に時代は変わっていくのだな…と思いました。
女性、男性の区別や括りがなくなって実に喜ばしいと思うところと、二分法に依拠して単純に語れなくなること、益々配慮が求められる時代になっていくことの面倒くささと、自分の意識が変化についていけるのかという不安と、色々思うところがあります。
それでも小さい頃から、男女の役割の違いは何故あるのだろうと常に疑問を抱えて生きてきました。私が育った環境は大人たちが一堂に会すると、男たちは上座に座って出てくるもの(それも質量が優先される)を飲み食いしながら談笑し、女たちはせっせと料理を作り、運び、食べ、後片付けをする(子どもはそれを手伝う)、というのが明確に分かれていました。時代が進み男のなかに料理をする人、後片づけをする人も現れてはきますが、「女は気働きができて優しいのが一番」という価値観が尊重される環境だったので、どうも自分には合わない、別の人生行路はないものかと考えるようになりました。
それなりにジェンダー問題には関心を向けてきましたが、世の中の流れの速さについていけないなと思うところも出てきました。例えば男女別のトイレが無くなってしまったらと思うと、今のところ抵抗を感じます。でも、やがてはオールジェンダートイレ、つまり無印トイレという時代が来るのかもしれません。レインボーマークを付けられることを嫌がるマイノリティーの人もいるので、もっともなことです。
社会は最適解を目指し、試みや打開策を見出しながら常に変化していくものなのでしょうね。そのことは忘れないでいたいものです。
2020年08月20日
セラピーの目標は自分を変える(ex.自分の行動を変える、自分の傷を癒す)ということだとすれば、自分を見詰める、自分を知る、自分に何が起きているかを知る、ということがまず何よりも大事だと思います。
個人療法であまり感情が出なかったりホームワークに消極的な場合などは、グループ療法や自助グループをお薦めしています。グループの方が向いている人や併用したほうがいい人など利用の仕方は各々変わりますが、グループの力はとても大きいものです。ピンとこない人はハリウッド映画をよく観るといいかもしれません。ちょこちょことそういうシーンが出てくるので、ああこういうことをするのだな…とニュアンスをつかめると思います。
先日私がビデオで観た映画も、作品として興味はなかったのですが、セラピー的要素の場面を軸にして観ていました。それは『ロケットマン』(2019)であり、作曲家・歌手エルトン・ジョンの半生を描いたものでした。トーンも描き方も『ボヘミアン・ラプソディ』にとてもよく似ていると思っていたら同じ監督でした。
エルトン・ジョンはずんぐりしていてド派手な衣装の人で、同性婚をし養子の赤ちゃんをパートナーと育てているということはニュースで知っていたのですが、映画ではドラッグとアルコールとセックス依存から更生施設に入り治療を受けていたことが描かれていました。グループセラピーシーンは10数名くらいで輪になって座り、順繰りに自分の家族歴などを語っていくものです。「私の父親はかくかくしかじかで、こんなことがあった。あんなことがあった。淋しかった…」とか「学校ではこんなことがあった…」とか、心に浮かぶことを話していきます。
グループにはファシリテーターと呼ばれる人がいて、参加者やグループ全体に寄り添いながら適度に質問を投げかけたりコメントをしたりします。自分のことを話し、人の話を聴き(これが実はとても難しいことです!)、その相互作用が蓄積されていき大きな力を発揮します。最もベーシックなグループセラピーのスタイルでしょう。
映画なのでグループセラピーのスポットライトはエルトンにしか当たりませんが、彼は自身の語りの途中で怒りの感情が爆発し椅子を輪の外にぶん投げます。輪の内じゃなくて良かったです。ドキッとするシーンですがこれは本当にあったことなのかそれとも演出なのかはわかりませんが、そんなことを考えながら観るのも興味深いものです。
彼は不在がちで非常に冷たい父親と派手でファッショナブルで口に締まりのない母親のもとで育ってきました。彼の華やかさ、表現力の豊かさ、音楽の才能は天賦のものなのかもしれませんが、同時に祖母や母から育まれ引き継がれたものだということも伝わってきます。
2020年08月12日
連日連夜あまりに暑いですね。外歩く人たちは手にミニ扇風機を持ったり首にかけたりしていていいなあと思うのですが、すぐに飽きて打ちやる我が性分がわかっているために買うのはやめました。
さて、倒れそうだったのであまり好きではなかったものに挑戦してみました。
それはコレ↓
極度に冷たいものが苦手なのと、氷にお金を払うことの意義が見いだせずに敬遠していたのですが、食べたら甘くて美味しかった!こうやって甘味処で食べたのはおそらく初めてでしょう。それまではお祭りの屋台などで付き合いで食べた程度でした。
自分の好みを超えたものに挑戦してみるのもいいものですね。食べ物であれば超えやすいし…。暑くてたまらないのでブログはここまでということで。
2020年08月01日
慌ただしかった7月も終わり、8月を迎えました。今朝今年初めてのヒグラシの鳴き声を聞きました。そのままずっ~と寝ていたい、気持ちのいい一時でした。やっと梅雨明け発表もされましたね。
さて、今日は一冊の本を紹介したいと思います。
『悲しいけど、青空の日』(2020)文・絵シュリン・ホーマイヤー著・田野中恭子訳 サウザンブックス です。副題は「親がこころの病気になった子どもたちへ」、精神疾患の母親をもつ学童期の少女モナが主人公のドイツの児童専門書です。専門書といっても小学生であれば読めます。第二章はモナから同じような境遇にいる子どもたちへの語りかけとなっています。
絵がドイツ的(?)で可愛いのはさておき、「精神疾患とは何か」を子どもたちが理解しやすいように、率直に説明されています。親に何かあるなというのはわかっていたけれど、大人になるまで、ある程度大きくなるまで、何の病気かは誰からもちゃんと教えてもらえなかった、という大人たちには実によく出会います。
親に起きていること、家庭の中で起きていることを、子どもにもよくわかるように説明をしてもらえなかったり、大人たちから適切なケアをされないでいると、子どもたちは悲しさ、不安、恐怖、怒り、孤独、生き辛さなどを抱えたままやっとの思いで大人になっていきます。特に日本のような「状況を察しなさい」的な要素が強い文化のなかで育つと、「聞いてはいけない」「そっとしておかなくてはいけない」「外に漏らしてはいけない」ということに繋がっていくと思います。
この本は子どもたち向けばかりではなく、大人たちに、子どもにどうやって伝えたらいいのかを優しく示してくれてもいます。
2020年07月23日
今週末3日間は幾つかの枠を除き基本的にお休みになります。今日から4連休ですが世間は go to travel ということらしく東京駅も比較的混んでいました。国と都と医師会の温度差が激しく何を指針に動いたらいいのかわかりませんが、もはや個々人が判断をして出来得る限りの予防策を取りながら生活をしていくしかないのではないかと思っています。
今朝のニュース番組で紹介されていたことですが、オランダでは「niksen(ニクセン)」という文化があるようです。これ、わかりますか?niksen=「何もしない」という動詞だそうで、「何もしないことをする」のだそうです。自宅で日向ぼっこをしたり、珈琲やお茶を飲みながらぼーっとしたり、目的をもたない快い行動のようです。聞くだけで心地よさそうな、羨ましいような、優雅な感じが漂ってきます。「快さ、快感、快適さ」がポイントのようですね。
さて、本当ならば niksen といきたいところですが、私は明日から5日間のオンライン研修が始まります。講師の先生方は南アフリカや欧州から参加で日本との時差は7時間。一日7時間、何十人の大所帯でどのような展開になるのか全く見当がつきませんが、実地と違い踊らされなくて済むのは良かったです(笑)。毎回ランバダとか音楽に合わせて色々踊らされるのですが、今一つ日本人はのれません。ノリノリでやっている人を見かけたこともない。もしかしたら西洋の先生方のストレス解消時間なのかもしれませんね。