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ブログ 心's LOOM

映画にみるセラピー

2020年08月20日

セラピーの目標は自分を変える(ex.自分の行動を変える、自分の傷を癒す)ということだとすれば、自分を見詰める、自分を知る、自分に何が起きているかを知る、ということがまず何よりも大事だと思います。

個人療法であまり感情が出なかったりホームワークに消極的な場合などは、グループ療法や自助グループをお薦めしています。グループの方が向いている人や併用したほうがいい人など利用の仕方は各々変わりますが、グループの力はとても大きいものです。ピンとこない人はハリウッド映画をよく観るといいかもしれません。ちょこちょことそういうシーンが出てくるので、ああこういうことをするのだな…とニュアンスをつかめると思います。

先日私がビデオで観た映画も、作品として興味はなかったのですが、セラピー的要素の場面を軸にして観ていました。それは『ロケットマン』(2019)であり、作曲家・歌手エルトン・ジョンの半生を描いたものでした。トーンも描き方も『ボヘミアン・ラプソディ』にとてもよく似ていると思っていたら同じ監督でした。

エルトン・ジョンはずんぐりしていてド派手な衣装の人で、同性婚をし養子の赤ちゃんをパートナーと育てているということはニュースで知っていたのですが、映画ではドラッグとアルコールとセックス依存から更生施設に入り治療を受けていたことが描かれていました。グループセラピーシーンは10数名くらいで輪になって座り、順繰りに自分の家族歴などを語っていくものです。「私の父親はかくかくしかじかで、こんなことがあった。あんなことがあった。淋しかった…」とか「学校ではこんなことがあった…」とか、心に浮かぶことを話していきます。

グループにはファシリテーターと呼ばれる人がいて、参加者やグループ全体に寄り添いながら適度に質問を投げかけたりコメントをしたりします。自分のことを話し、人の話を聴き(これが実はとても難しいことです!)、その相互作用が蓄積されていき大きな力を発揮します。最もベーシックなグループセラピーのスタイルでしょう。

映画なのでグループセラピーのスポットライトはエルトンにしか当たりませんが、彼は自身の語りの途中で怒りの感情が爆発し椅子を輪の外にぶん投げます。輪の内じゃなくて良かったです。ドキッとするシーンですがこれは本当にあったことなのかそれとも演出なのかはわかりませんが、そんなことを考えながら観るのも興味深いものです。

彼は不在がちで非常に冷たい父親と派手でファッショナブルで口に締まりのない母親のもとで育ってきました。彼の華やかさ、表現力の豊かさ、音楽の才能は天賦のものなのかもしれませんが、同時に祖母や母から育まれ引き継がれたものだということも伝わってきます。

 

 

 

 

 


暑気払い

2020年08月12日

連日連夜あまりに暑いですね。外歩く人たちは手にミニ扇風機を持ったり首にかけたりしていていいなあと思うのですが、すぐに飽きて打ちやる我が性分がわかっているために買うのはやめました。

さて、倒れそうだったのであまり好きではなかったものに挑戦してみました。
それはコレ↓

shaved ice

極度に冷たいものが苦手なのと、氷にお金を払うことの意義が見いだせずに敬遠していたのですが、食べたら甘くて美味しかった!こうやって甘味処で食べたのはおそらく初めてでしょう。それまではお祭りの屋台などで付き合いで食べた程度でした。

自分の好みを超えたものに挑戦してみるのもいいものですね。食べ物であれば超えやすいし…。暑くてたまらないのでブログはここまでということで。

sunflower


『悲しいけど、青空の日』

2020年08月01日

慌ただしかった7月も終わり、8月を迎えました。今朝今年初めてのヒグラシの鳴き声を聞きました。そのままずっ~と寝ていたい、気持ちのいい一時でした。やっと梅雨明け発表もされましたね。

さて、今日は一冊の本を紹介したいと思います。

『悲しいけど、青空の日』(2020)文・絵シュリン・ホーマイヤー著・田野中恭子訳 サウザンブックス です。副題は「親がこころの病気になった子どもたちへ」、精神疾患の母親をもつ学童期の少女モナが主人公のドイツの児童専門書です。専門書といっても小学生であれば読めます。第二章はモナから同じような境遇にいる子どもたちへの語りかけとなっています。

絵がドイツ的(?)で可愛いのはさておき、「精神疾患とは何か」を子どもたちが理解しやすいように、率直に説明されています。親に何かあるなというのはわかっていたけれど、大人になるまで、ある程度大きくなるまで、何の病気かは誰からもちゃんと教えてもらえなかった、という大人たちには実によく出会います。

親に起きていること、家庭の中で起きていることを、子どもにもよくわかるように説明をしてもらえなかったり、大人たちから適切なケアをされないでいると、子どもたちは悲しさ、不安、恐怖、怒り、孤独、生き辛さなどを抱えたままやっとの思いで大人になっていきます。特に日本のような「状況を察しなさい」的な要素が強い文化のなかで育つと、「聞いてはいけない」「そっとしておかなくてはいけない」「外に漏らしてはいけない」ということに繋がっていくと思います。

この本は子どもたち向けばかりではなく、大人たちに、子どもにどうやって伝えたらいいのかを優しく示してくれてもいます。

book『悲しいけど、青空の日』

『悲しいけど、青空の日』親がこころの病気になった子どもたちへ


niksen

2020年07月23日

今週末3日間は幾つかの枠を除き基本的にお休みになります。今日から4連休ですが世間は go to travel ということらしく東京駅も比較的混んでいました。国と都と医師会の温度差が激しく何を指針に動いたらいいのかわかりませんが、もはや個々人が判断をして出来得る限りの予防策を取りながら生活をしていくしかないのではないかと思っています。

今朝のニュース番組で紹介されていたことですが、オランダでは「niksen(ニクセン)」という文化があるようです。これ、わかりますか?niksen=「何もしない」という動詞だそうで、「何もしないことをする」のだそうです。自宅で日向ぼっこをしたり、珈琲やお茶を飲みながらぼーっとしたり、目的をもたない快い行動のようです。聞くだけで心地よさそうな、羨ましいような、優雅な感じが漂ってきます。「快さ、快感、快適さ」がポイントのようですね。

さて、本当ならば niksen といきたいところですが、私は明日から5日間のオンライン研修が始まります。講師の先生方は南アフリカや欧州から参加で日本との時差は7時間。一日7時間、何十人の大所帯でどのような展開になるのか全く見当がつきませんが、実地と違い踊らされなくて済むのは良かったです(笑)。毎回ランバダとか音楽に合わせて色々踊らされるのですが、今一つ日本人はのれません。ノリノリでやっている人を見かけたこともない。もしかしたら西洋の先生方のストレス解消時間なのかもしれませんね。

鷗


バランスをとる

2020年07月11日

コロナのことについて日々の生活や臨床で感じる雑感を述べたいと思います。あくまでも主観の範囲ですが、地方の人と首都圏の人とではこのウィルスに対する態度が異なるように感じます。

地方の人は「東京はとても危険なところだ」と思い、また自粛の度合いが強いように見受けられます。「外食もここ数ヶ月していません」という人もいます。反対に首都圏の人は緊急事態宣言が解除されてから、余暇活動など生活の範囲をだいぶ広げて動いているように思います。

感染者数が少なく生活空間が広くて自然も豊かな地方でコロナに対する恐怖心が高いのに対し、反対に環境的に人々が密集して生活している東京ではさほど怖がってもいないのでは?という差を感じるのです。(勿論例外も多々あります。)

毎日東京まで電車を利用していて思うのは、2-5月は車内も駅構内も緊張感が断然に異なりました。ほとんどの人が吊皮や手すりに触れようとはせず頑張って立っていたり、エスカレーターのベルトにつかまる人もあまり見受けられず人と人の間をなるべく開けて利用していました。張り詰めた空気が漂い、話をする人もほとんどいませんでした。

過剰だとは思いますがマスクを二重にしている人、ビニール手袋をしている人もいましたが今は滅多に見かけません。吊革にかけるMyフックが注目されていましたがそれを使っている人も今のところ見ません。実際は感染者数が増え続けていますが、号令(週末の外出自粛要請や緊急事態宣言)次第でこのように態度が変わるのは、コロナに対する一定の知識を得たための合理的な判断に基づく行動なのでしょうか。そうだといいのですが、若い人の中にはマスクをせずに車内で普通に話している人がいるのも事実です。

一方で、地方の知事が東京を敵視したり首都圏からの移動を怖がるという心理も、「東京から来た人が感染を広げる」という事実のみによるものではなさそうに思います。人は自分が置かれた生活環境や背景によって、危機に対する感度や認知が自ずと異なってくるのではないでしょうか。首都圏の人も地方の人もどちらにも、認知的なバイアス(偏り)がかかっているように思われます。社会経済活動を停滞させないためにも、自分のバイアスに気付き、バランスを取りながら生活をしていくことが大切なように思います。行き過ぎた恐怖心も気の緩みも社会の停滞を招いてしまうと危惧しています。

 

 

 

 


ストレス反応=生き残りのためのメカニズム

2020年06月21日

晩に家の中で寛いでいると、外から珍しく猫同士の喧嘩声が聞こえてきました。一匹はかなりいきり立って一触即発ムードの唸り声をあげていました。よく聞いているともう一匹は普通に鳴いていたので、もしかしたら時節柄交尾のための接近だったのかもしれません。それとも単に鈍くさい子が縄張りに侵入してしまったのか…。

いずれにしても10分くらい鳴いていたので、心がザワザワとざわついてしまいました。界隈には猫嫌いの人もいて、何をするかわからない怖さがあったからです。近年野良猫は保護され地域の家猫となりほとんど見られなくなってもいました。一方で猫嫌いの人たちからすれば、猫の異様な唸り声、絶叫に近いような鳴き声は相当な苦痛であったことでしょう。

鳴き声が去ると胸のザワザワはいつしか消え、寝入りばなに読ん文献が妙に心に響きましたので抜粋しながら少し紹介したいと思います。

「ストレスは、おそらく闘争=逃走反応と呼ばれてきたものに対する、より幅広い用語である。ストレス反応は、実際には我々ほ乳類の生き残りのためのメカニズムのための一部である。ほ乳類は、脅かされると、闘う(怒る)か、逃げる(恐怖)。…人間も似たように反応する。しかしながら、動物とは違って、ある重要な次元が付け加わる。恐れも怒りも行動には表さなかったり、…、身体の中に抑圧したりすることがある。……人間の場合、脅威は心理的なものであることがほとんどであるが、脅威が身体的なものであるかのように反応する。」(J.G.Wartkins,H.H.Wartkins『自我状態療法』2019金剛出版より)

動物たちにとっての脅威は侵入者や捕食者など目に見える危機であってわかりやすい。猫は猫に怒り、闘争モードになっていました。人間はもっと複雑で脅威は心理的なものです。私の恐れは猫が虐待などされてしまうのではないかという不安であり想像です。猫嫌いの人にしても猫が直接その人を襲うのではなく、存在や声などがその人に抱かせる観念やイメージに対する、極めて心理的なものです。

心理的なものなのに身体的なものであるかのように身体が反応し、場合によっては身体の中に情動を抑圧し身体症状や疾患として表れるようになる。人がいかに複雑な生き物であるかと思いますが、ストレス反応を生き残りのためのメカニズムの一部と知ると、私たちが「生」を指向するようにできていることに改めて驚くのです。

紫陽花

色づき始め

紫陽花

数日経過…

 

 


梅雨入り

2020年06月12日

梅雨に入り日毎に蒸し暑くなってきましたね。
暑さと湿度がほどほどならいいのですが、この湿度の高さは不快でまいります。湿度が低ければ多少なりとも活動的になれるのに…ブツブツ…

涼を求めてというわけでもありませんが、先日は6月から再開の地元の水族館へ行き、水中・水生生物を存分に眺めてきました。コロナの影響のせいか施設内の店舗は減り閑散としているエリアもありました。

生き物を観察することは私のストレスコーピング方法の一つです。人間界の事象も大変興味深いものですが、世界は実に広く深くユニークであることをいつも教えられます。

チンアナゴetc.


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