2017年06月25日
ふぅ…。
日曜日も無事終わりました。強い雨の朝で始まりましたが、帰りにはすっかり上がり道路も乾いているようです。梅雨といっても一日ずっと雨のことは少ないのですよね。
さて、お休みに入る前にブログの更新を。前回に続き、『ジークフリート』にみられる男子の成長プロセスに起こることを少し書いてみたいと思います。
おそれを知らぬ若者、英雄ジークフリートは、大蛇を退治し、黄金の指環を手に入れた後、精霊の導きによって次の挑戦をすることになります。孤独なジークフリートは、心を分かち合える仲間を求めて、燃え盛る火で覆われた岩山に分け入ることになります。
何といってもおそれを知らぬので、その偉業も成し遂げます。しかし、そこには…。
岩山の頂には武装した人物が眠りについていました。その武装を一つ一つ解いてやると、何と今まで見たこともないような人間が…。彼は驚いて「お母さんっ!」と叫びます。以前、ある精神科医の先生が、人は絶対的なピンチになると「お母さん!」or 「神様!」と心の中で叫ぶものだと言っていましたが、なるほどそうだなーとこのシーンには笑えました。
横たわっていたのは、彼が今まで出会ったことのない「乙女」だったのです。物語の細かい筋は飛ばしますが、初めて女子を目の当たりにして、彼は恐れおののきます。動転、動揺のあまり、乙女を前に「もしかして僕のお母さんっ?!」とも叫びます。最初の「お母さん!」と後の「お母さんっ?!」の意味するところは全く違いますが、この辺りの心情は少なからず理解できますね。後者は少し切ない。ジークフリートは何といっても母の面影を知らずに育ってきましたから。
おそれを知らぬ彼は、こうして初めて自分とは異なる性の乙女を前にしておそれを体感します。このおそれとは、未知のものに対する恐怖であると同時に、不用意には接することができないような畏れを指すと思います。この後どうなるかはまた後日。これは余談ですが、私が今の若者たちにもっとあってほしいと思うものは、この畏れの感情でしょうか。もっと誠実に恋愛をして、相手に関心を持って、リスペクトの念を抱いてほしいものです。
気になる、英雄らしからぬジークフリートの顛末は次回に…。