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日本的罪悪感

2012年06月18日

本格的に蒸し暑くなってきましたね。
今日はゆるゆるした日を過ごしており、再び、北山修著(2010)『最後の授業 心をみる人たちへ』の「第二章「私」の精神分析 罪悪感をめぐって」を読んでいました。というのはここに、日本国誕生の神話「イザナギ(男の神)・イザナミ(女の神)神話」と「鶴女房」の分析が載っているからです。神話や昔話を探るのは、日本人の心を知るうえでとても大切だと思います。
イザナミも鶴女房も、「出産で変わり果てた姿の女と、それを見て恐れおののき、逃げるか立ち尽くすしかできずに、女を傷つけてしまったことで罪悪感に苦しむ男の話」だということです。
姿を見てはならぬ、と言ったイザナミも鶴女房も、男が覗いて見たら、イザナミは腐乱状態、つうは血まみれの鶴の状態だった。イザナミは出産が元で亡くなっており、鶴の機織りの場面は人間の出産シーンの比喩だそうです。
見たくないもの(危険な出産だけでなく、生きていく上で沢山ありますよね。例えば両親の不和なども)を見てしまい、罪悪感に苦しむときに人はどうやって罪悪感を解消するのか?
1. タブー視する…長らく女性の生理や出産は不浄なものとして禁忌されていました。
2. 動物化する…女を鶴に置き換える。異類婚姻説話にする。
3. 物語に付け加えをする…「あれは昔助けた鶴だったのだ…」と。
4. 美化する…醜女となってイザナギを追いかけるイザナミは別として、鶴のようにはかなく美しく消え去る存在にする。
異類婚姻説話はキリスト教文化圏にもたくさんあり、例えば、この間取り上げた「ローエングリン」(ローエングリンは神の使い)とか、「美女と野獣」、「かえるの王様」などがあります。
しかし、日本の異類婚姻説話では、動物は潔く逃げてしまう。一方西洋では、動物は逃げず、愛の力でめでたく人に変わるんだそうです。言われてみれば、神の使いローエングリンは姿を消しますが、残された白鳥は王子(姫の弟)に戻るのです。
日本の物語はハッピーエンドでは終わらない。潔くはかなく消える美学がそこに見いだされる。
けれども誰かが自虐的に消えてしまうと、残された者に罪悪感が残り続けることになる。
ではどうしたらいいのか。
逃げず(これは比喩)にとどまること、だそうな。女(あるいは母)は逃げず、過分に愛情を与えたりもせず、男(あるいは子)も罪悪感から逃げずに詫びること。鶴女房の場合、つう(鶴)は逃げず、自己犠牲をやめ(反物を多くは作らず)、居続けることが大事なようです。
ちょっと難しい話ですが、著者の言わんとしていることは伝わってきますね。
きせつのはな

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