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映画のなかの女性たち

2014年03月23日

一体、何が回復に役立ったのだろう?
まあ、フィクションのなかの話に過ぎないのだけれど、そういった観点からよく映画を楽しみます。
ヒステリーという疾患をご存知でしょうか。それならば、うちの妻も、母も…という声がちらほら聞こえてきそうですが、実は性格のことではなく身体化障害や転換性障害といった精神疾患のことを指します。それらの説明はさておき…。
先日『博士と私の危険な関係』という劇場未公開のフランス映画を wowow で観ました。邦題はなんだかあららーと思いますが、原題は『AUGUSTINE』(オーギュスティーヌ)。主人公の女性の名前で、ある家に仕える若い召使いの話です。そして博士とは解剖病理学の神経科医シャルコーのこと。オーギュスティーヌはヒステリーの入院患者で、つまりシャルコーとオーギュスティーヌの関係のお話なのですね。
wowow による映画解説は、シャルコーとオーギュスティーヌの医師と患者の禁断の恋愛もの、のようにドラマティックで歪んだものになっていると思われますが、19世紀後半のパリの大規模な精神病院(サルペトリエール病院)を舞台にした、医師とヒステリー患者の関係を描いた歴史ものとして観るくらいがちょうどよく、あの当時はこんな風だったのかと世相や時代を知る面白い作品でした。(これは余談ですが、最近の映画の紹介文は、随分いい加減なものが多くなってきているように思います。)
さてこのオーギュスティーヌの症状とは。
けいれん、意識消失、半身の痛覚の消失、片手の拘縮・麻痺、片方の瞼が開かない、片耳の聴力が弱まる、といったものでした。原因が一般身体疾患とか薬物などの物質によらないもので、偽神経症状を伴うものであり、19世紀ヨーロッパで主に若い女性たちの間で流行していた病気でした。周知のように、シャルコーやフロイトらはヒステリー研究で有名です。
なぜ、解剖病理学の神経科医と精神疾患が結びつくの?という疑問もあると思うのですが、映画を観る限りではシャルコーは患者の心を診るのではなく、体中に線を引いたり反射や痛覚を調べながらと体を丁寧に診ているのです。神経疾患との鑑別をしていたのでしょうか。フロイトなんかも初期はウナギの解剖をしていたことで知られていますが、まずは体の解明から入り、次第に心因性のものに関心が移っていくのですよね。
またシャルコーはヒステリー治療に催眠を使ったことでよく知られています。学者や医者なんかが一堂に会した場所で、ヒステリーの患者を連れてきて催眠をかけヒステリー状態を起こすのですが、治療というよりはもはやショー。ヒステリーが誘発されると一斉に拍手なんかが起きるわけですが、何とも同じ女性として見ていて痛々しい。本人は意識を失ってはいるものの…。
この映画が面白かったのは、オーギュスティーヌが段々見世物にされていくことに疑問を感じ始め、講堂を脱走したときに階段から転げ落ちたことがきっかけで突然治るところです。シャルコーは随分無愛想で医者然とした中年男でありながら、オーギュスティーヌの面倒をみて何となく心も傾いていくのですが、今一つ掴めない人。なぜあんな風に彼女や患者たちを見世物にしたのか…。オーギュスティーヌを聴衆の面前に曝すという、もっと大きいストレスを与えてトラウマを克服させたのでしょうか?
日本ではこんな感じに進まないだろうと思うのですが、やはりフランス。メイドであろうが患者であろうが、結構医者に対等にものを言うのです。そして最後は既に治っているのに聴衆の前でヒステリー発作のふりをしてあげて、医者に花を持たせる。主客転倒です。オーギュスティーヌが力をつけていったのか、それとも最後は別種の傷を受けてしまったのか、おそらく前者であると思いたい作品でした。
鴨之池.JPG

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