ハラスメント雑感

2018年02月04日

最近読んだ催眠関係の本のなかに、「暗示は10語かそれ以下で」「暗示はスローガンのように心に貼り付くべき」というフレーズがありました。確かに簡潔明瞭な言葉であれば、スッと自分の内側に入ってくる気はします。

そういえば、今話題のSNSを通じて拡散したセクシャルハラスメントに対する抗議、「#Metoo」や「Time’s up(もう終わりにしよう)」という言葉が思い出されます。アメリカのゴールデングローブ賞では、参加したほとんどの女優たちが黒のドレスを着用して抗議の意を表した、というニュースもありました。ハリウッドやエンターテイメントの世界で横行するセクシャルハラスメント及びパワーハラスメントに対する抗議と連帯の意思を表したものだそうで、印象深いスピーチなども行われました。

ハラスメントに対する姿勢は大いに共感できます。ただ、このゴールデングローブ賞の模様を眺めて、漠然とした怖さも感じました。「私は皆と同じ黒いドレスは嫌なので違う色を着たい」と思ってそのように行動したとしたら、村八分になりそうな空気だったからです。報道が黒いドレスのみを取り上げていたのか、そうではないスタイルの女優もいたのか、そこはよくわかりませんでした。何かの運動で連帯を表すために同じシャツを着るというのなら理解できるのですが、あくまでも賞の授与式においてです。

こういった抗議行動に対し、フランスの大女優カトリーヌ・ドヌーブが異論を唱えました。「男性には不器用に口説く自由もあるのだから、一概にセクハラと抗議するのもどうか。まるで魔女狩りのようだ」という内容だったかと思います。確かにそうですが、これも少々ピントがずれた発言のように思いました。

セクハラ、パワハラが問題なのは、力のある者がその力を背景に(たとえ無自覚であったとしても)、相手の感情など顧みず不快な思いをさせたり、弱い立場の者の声を封印することにあるのだと思います。口説く自由、追いかける自由というのは確かにあるけれど、そこは相手の自由を脅かさない関係であってこそ、なのではないでしょうか。

フランス流恋愛だと男女は対等にまくしたて、口説き口説かれる大人の駆け引きを楽しみ、未婚だろうか既婚だろうかそんなのおかまいなし、ドヌーブのいう性的自由はそういうものだろうという印象を抱くのですが、彼女のように揺るぎない地位を手に入れた強い女性ならともかく、果たしてそれがどの社会でも通用するものなのかどうか…。

「#Metoo」などの言葉は一気に拡散して連帯を生むのかもしれないけれども、それはあくまでもきっかけに過ぎず、Me too, 後の個々人の言葉や行動を封殺しないような、そんな社会であってほしいと願っています。一連の出来事を女性の方たちはどのように思われるでしょうか。気になるところです。


 

 


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