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2018年02月11日

面白い記事を読みました。

京都の建築学科の学生たちが、1階が共同スペース、2階が人が寝られる程のスペースの5つの個室があるシェアハウスを古民家を利用して建築し、それはまるでゴリラのライフスタイルに似ているという、霊長類学者山極寿一氏の書かれた記事でした。

ゴリラは夜間樹木の上に簡単なベッドを設えるそうですが、一頭一頭のベッドの距離は相手の状態がわかる程度に保たれているそうです。1階が陸地、2階が樹上、なるほど笑えます。

人は長い進化の時のなかで、密林から草原で暮らすようになり、簡素でも障壁と屋根をもった家という構造物を必要とするようになりました。そして脳は、150人程度の集団で信頼関係を構築しながら生活することができるまでに徐々に大きくなりました。所謂「社会脳」の発達ということのようです。この脳の大きさは現在も変わらず、如何に急速な社会変化を迎え集団規模が拡大しようとも、150人程度の集団であればお互いに目が行き届いて安定した関係性を築けるようです。

ところが、高度成長期以後の家はどうなのか。巨大な団地群やマンションが登場したのはさておき、建築資材や構造からして隣人を遮断し、自然界の生物や音を遮断する密閉された空間になっている。山極先生の主張は、今回のような学生たちのプロジェクトが、孤独を避けるための新しい生き方、暮らし方の創造であってほしいというものでした。

哲学者である内田樹氏もコラムか何かにおいて、経済を優先させるならば家族よりも単身世帯を増やしたほうがずっと社会に利益を生む、ということを説いていました。単身世帯は問題解決をお金でしなくてはならない。共生より分断がお金を生むのです。家族が多く、また地域社会が生きているところであれば、分かち合いや支え合い、自助努力が生まれるからです。

人は社会的な生き物である、というのは自明の理。繋がりをどうやってつくっていくのか、ということは一番大事なことだと思います。「面倒くさい…」「煩わしい…」という声を毎日のように聴いており、その気持ちもよくわかるのですが…。居住空間としての「家」という観点から、社会というものを考えてみるのも面白いですね。

霞んで見えるのはひょっこりひょうたん島のような大島

 

 


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