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ブログ 心's LOOM

映画『ある男』(2022)

2024年04月26日

日本映画『ある男』(石川慶監督、2022)を鑑賞しました。ミステリーに分類されているようですが、とても心を打つヒューマンドラマでした。

亡くなった配偶者の戸籍が実は全く違う人のものだった、「一体夫は誰だったのか?」という問いを軸にストーリーが展開していきます。真実の解明を任された弁護士を始め、関わる人たちの「一体私は何者なのか」という問いも幾層にも重なっています。一つの謎が周りの人の自己存在を揺るがすのです。

原作者は作家の平野啓一郎氏ということを後で知り、この方の唱える「分人主義」というのは何となく耳にしていたのですが、改めて「分人主義」のサイトを見てみました。人は社会的な生き物なのだから、自己の中心に「本当の私」「核となる私」といったものはなく、対人関係毎に「分人」がある、自己の多様性を生きよ、という主張です。

哲学で似た主張があったようにも思いますが、分人主義によれば「対人関係毎に分人(自分)があるので、自己の全否定から免れられる」ということになります。「私は無能な人間だ」「私は弱い人間だ」等という表現自体が成り立たなくなるのです。苦手なAさんと接している分人aと好きなBさんと接している分人bは違うのです。分人aはオドオドしているかもしれないけれど、分人bは幸福感や自己肯定感を感じているかもしれません。どちらもその人を規定するのです。

これは心理療法の自我状態やパーツといった概念にも似ているかもしれないと思いましたが、様々なパーツは自分の一つの身体の中にあるものなので、分人とは異なるのでしょう。

分人主義は幾つもの仮面をつけて生きるようなものなの?という疑問が頭をもたげますが、仮面で考えると「仮面の下に本当の自分がある」という理論にたどり着くのでそれとは全く異なります。

『ある男』を分人という視点で捉え直してみると、更に興味深いと思いました。ある男の身元が判明し、妻が弁護士に語る言葉が印象的です。「全部わかったから言えることかもしれないけれど、あの人は確実に私たちとここにいたのだから、知る必要はなかったのかもしれない…」と。身元も一つの分人なのだと妻は意識下で悟ったのかもしれません。

 

 

 

 


読書のススメ

2024年04月14日

そろそろGWの季節にちかくなってきましたね。
読書のオススメ。
『「愛」という名のやさしい暴力』(2020 斎藤学著 扶桑社)

前回ブログに書いた「家族はそもそも無理がある」というくだり、もっと強烈な表現で「家族は暴力装置、ないし暴力隠蔽装置である」と表現されています。その意味が手に取るようによくわかります。共依存、他人の目を気にする人、対人恐怖などについても理解が深まります。私たち皆が他人(他者、社会)の欲望や評価の網から解放されて生きられますように…

読み終わったら置いておくので御参考にどうぞ。

 


満開の桜の下で

2024年04月10日

土・日開催の日本家族と子どもセラピスト学会が終わりました。一般向けの日曜日に参加してくださった方、最後まで後片付けを手伝ってくれた方、どうもありがとうございました。

グループワークはいかがでしたでしょうか?ポリフォニー(多声奏)を尊ぶオープンダイアローグ(開かれた対話)の実演は、セラピストもクライエントもオブザーバーも上下関係はなく、誹謗中傷以外はお互い何を言ってもOKな対等な場でした。「こう感じたよ」「こう見えたけれど…」「こんな風に映ったけれど、本当はどんな感じなのかな?」etc.な質問、疑問、感想をお互いが交換できる場でしたね。

前半の精神科医の斎藤先生の講義「みんな毒親!」は、初めて斎藤先生の講義を聴いた方はついていくのが難しかったかもしれません。何しろホモサピエンス誕生の頃の話から、古今東西の神話、歴史、映画、文学作品(今回は源氏物語、漱石の『明暗』、先生作の『新明暗』などでしたっけ?)まで膨大に網羅されるので、一種のトランス状態というか頭の中で梵鐘が鳴っているような状態に陥ります。

簡単に言うと、人間は私たち人間を「自己家畜化(飼い慣らしてきたとも飼い殺してきたとも言える)」してきた長い歴史があり、「家族」制度というものは必要だけれども、そこにはかなりの無理がかかる。だからたった一世代上の親をいつまでも「毒親呼ばわり」していては、そこから自分の成長はない。肩の力を抜いて、自分の成長のために一歩踏み出そう、或いは自己脱却のために一歩踏み出そう、ということではないでしょうか…。

肩の力を抜いて、というところが最も大切だと今の私は思っています。学会後は鞄を投げ出したまま、月・火のお休みは溜まった家事と心地よいお昼寝、お夕寝ばかりしていました。学会内容の復習も自身の発表の反省も、これから少しずつやっていこうと思います。

会場、鎌倉芸術館

隣接する三菱電機

開場前

 

 


4月7日(日)

2024年03月15日

アダルトチルドレン、家族関係、オープンダイアローグに関心のある方は下記公開講座があります。

鎌倉市大船なので少々遠いかもしれませんが、当日はお手伝いで私も会場におります。鎌倉芸術館はかつての松竹大船撮影所の跡地にあります。まだ桜の咲いている時季だといいのですが…。関心のある方は是非足をお運びくださいね。

https://jafact17th-open.peatix.com


亡き人と会う

2024年03月13日

東日本大震災から13年目を迎えました。家族を失くした人たちのその後を追った報道を見ていました。元旦の能登半島地震もそうですが、今までそこにいた人がある日突然いなくなってしまうことの痛みについて考えさせられています。

「不条理な死」と盛んに言われていますが、病気などの場合も残された人に与える影響は同じところがあるのかもしれません。家族を病で失ったときに「(亡くなると)分かっていたことでしょ?」と慰めてもらったことがありますが、覚悟は出来ていると思っていたはずが現実は全然分かっていませんでした。条理に適った死というものがどのくらいあるのだろうか…と今は思います。

最近ふと目にした番組で、デジタルクローンのことが紹介されていました。何年か何十年後には一人一人に自分のデジタルクローン(分身)が出来て、仕事など生活の一部を担ってくれるとクローン制作会社の社長が話していました。

そのクローン技術でもって、幼い子を失った母親が3Dのゴーグルをかけて今は亡き我が子に会いに行く、という場面が流れました。娘そっくりのクローンに会い、一緒に遊び、話し、ハグをしたり、今は不可能なことを仮想現実のなかで思いを果たしていました。現実の母親の頬には涙がつたわっていて、母はその体験を喜んでいました。

デジタルクローンを使ったこの体験については賛否両論があるとのことですが、見ていて一番に思ったのはこれなら心理療法で十分出来るなということです。例えば嶺頼子先生の提唱している「ホログラフィートーク」などであれば、会いたい人に会い、修正体験も含め思うように過ごせるでしょう。自分のイメージ力と軽トランス状態とセラピストを利用し、何かあっても対処できる形でより安全に行えると思いました。

デジタルクローンの幼子に会った母親がその後精神的に安定しているのかどうか、一臨床家としては大変気になるところです…


暑さ寒さ

2024年02月23日

とても寒い一日ですね。
本日から午前中研修のため朝5時半起きです。雨でお湿りがあるのは幸いでしょうか。発熱する方が増えているようなので、寒暖差もあって難しい近頃ですが、どうぞ体を労わってお気を付けください。

 

冬桜


読書1

2024年02月04日

昨日は節分でしたね。皆さんは豆撒きをしましたか。私は豆撒きをして恵方巻も食べました。恵方巻の習慣は子どもの頃は全くなかったのですが、美味しいですよね。恵方位を向いて一気に食べるのは勿体ないので、普通にカットして夕飯でいただきました。

さて今年初めての読書として、前回のブログで取り上げた『ネガティブ・ケイパビリティ』-答えの出ない事態に耐える力-(2017、帚木蓬生)を読んでいました。ポジティブ・ケイパビリティが問題解決能力だとしたら、ネガティブ・ケイパビリティは「答えのない困難な事態や複雑な状況に急いだり焦ったりして安易な理由や原因、解決方法などに飛びつかない、不確実さ、懐疑の中にいることができる負の能力」ということでした。

精神医学の限界を感じていた精神科医の著者が、アメリカの精神科医の論文を発見し、詩人キーツに端を発するネガティブ・ケイパビリティの重要性を説いているものです。ネガティブ・ケイパビリティが、精神科医療や終末期医療を始めとする医療、音楽や絵画などの芸術、文学、教育に如何に濃厚に関わってくるか、とても読み応えのある構成となっています。

初版が2017年ということを考えると、非常に感慨深いものがあります。世界はまだコロナ禍も本格的なウクライナ侵攻やガザ攻撃も経験していないのに、終章は「寛容とネガティブ・ケイパビリティ」となっているからです。この負の能力を土台にしてこそ真の寛容さや共感といったことが成り立ち、未来に益々必要なのだと著者は語っています。


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