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体罰と暴力

2013年02月13日

地下鉄車内のCMを度々眺めていて思ったこと。
パパとママの間に座っている三つ編みの幼い女の子(マリオネット風のお人形)が、「わたし、幸せだよ」と明るく話しながら、脚には痣があったり包帯を巻いているものがあります。
調べたら神奈川県が作成した児童虐待防止キャンペーンのCMでした。都内の車内でも流れていたし映画館でも見たことがあるので、もしかしたらテレビでも放映されているのかもしれません。各地の自治体にも似たようなものが沢山あるようですね。
↓ 神奈川県のもの
http://www.youtube.com/watch?v=hgMB-ryDscI
最近、教師やコーチによる体罰問題が大きく扱われるなか、私も友人たちとこの話題をすることが多くなりました。いくつかあった意見が、「全ての体罰を画一的に禁止するのはおかしいし危険な発想」「愛情のある体罰、その子の将来を見据えた体罰もある」「体罰を受けた子が指導教官の愛情を感じている場合もあって、それまで禁止するのはどうか」というものでした。外国人のなかには「頭や顔は問題だけど、言うことを聞かないときのスパンク(お尻の平手打ち)なら OK. No problem. 」という意見もあり…。
色々な立場の人の神経を逆撫でしそうで難しい問題だと思いますが、私としてはやはり体罰に反対です。なぜ反対かといえば、「相手の恐怖心や屈辱心に訴えることによって体罰の効果を出すことを狙いとしている」という大前提は否めないからです。また体罰や暴力は、それを受けた側をCMの女の子のような「否認」の心理状態に追いやるからです。本当はとても傷ついて怯えて怖いのに、心の痛みを感じないように愛情にすり替えてしまう。「大変な悪事をしたときに、いつもは手を上げない親が珍しく手を上げた。そこに親の愛情を感じた…」というのとは訳が違うのです。
でもね、体罰を受けた側にばかり目が向けられて、体罰をした側の精神についてはほとんど取り沙汰されないように思うのですが、それはなぜでしょうか…。バシバシひっぱたいたり蹴ったり髪をひっぱったりして顔や体を腫れ上がらせ、死ね等の暴言を吐いた側の精神状態は深い取材や調査の対象にはあまりならない。
アメリカでも体罰問題が話題になっているらしく、木の板でスパンクされた7,8歳くらいの男の子のことが報道されていました。全体が真っ赤に腫れ上がったお尻を、その子のお母さんが写真に撮り問題提起をしました。ここまでする必要があるのかと。
小さな子どもが悪ふざけをしたりぐずったり、十代の青少年たちの素行の悪さに手が付けられなくなったり、バシッと力で決めないとどうにもならないような状況というものも心情としては理解できなくはないけれど、養育・指導する立場にある大人たちは、「それが子どもにどういった影響を与えるのか」だけではなく、「自らの行為の暴力性」について改めて考えてみる必要があるのではないでしょうか。
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みどりのしずく

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