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映画『We Need to Talk About …』
2013年06月12日
母と子の関係はなんて難しいのだろうと思います。
↓ これは先日観に行ったラファエロの『聖母子』。マリアの顔は柔和で慈悲に満ちており、絵画全体として吸い込まれるような美しさでした。
ヨーロッパの母子の原形はこれなのかもしれませんが、人間の母子の関係性が困難に満ちているからこそ、至るところに強迫的に聖母子像が見られるのではないかと思ってしまいます。
でも、今回取り上げたいのは『聖母子』ではなく、先日観た映画『少年は残酷な弓を射る』(2011・英)のこと。原題は『We Need to Talk About Kevin』(我々はケビンについて話す必要がある)。少年刑務所にいるティーンエイジャーのケビンとその母の物語で、映画はケビン(第一子)の出産前後から現在に至るまでを回想の形式で進んでいきます。
乳児の時から激しく泣き、扱いが難しいケビン。母親が抱くと泣くのに父親が抱くと機嫌が良くなる赤ん坊。母親の初めての育児がぎこちないのか、それとも子が母に懐かないので更に母がぎこちなくなるのか…。
幼児になるとケビンの母に対する反抗(映像からは憎しみにさえ映ります)は更に度を増し、トイレをなかなかおぼえなかったり、わざとうんちをしたり、睨んだり憎まれ口を叩いたり、母の前でこれ見よがしに父親にだけ愛着を示したりと(このように書くと普通の子なのですが)、ちょっとこの子はダミアン?と思わせるような演出です。
憎しみは愛情の裏返しですが、なぜこんなに母親を苦しめるのでしょうか。いや、実は愛情を求めているのに過ぎないのだ、と言ってしまえばそこまでで、母が何をしようとも母と子のボタンの掛け違いは続きます。
母親は名の知れた冒険家で、独身時代のようなキャリアを諦めざるを得ない形で子育てに関わっていきます。たぶん色々な感情を抱えながら家庭に入り、ケビン、そして第二子を設けていくのだろうと思います。
こういう映画を観ると、なぜケビンのような残忍冷酷な子ができたのだろうか、という原因論で観てしまいがちになりますが、因果関係は明瞭にわからない作品です。母親は彼女なりに懸命にケビンに関わるし、手を挙げないし(一度だけ払いのけたときに骨折させてしまう)、夫婦仲も悪くない。
ただ幾つか思ったのは、あまり感情の表出をしない母であるということ。その子の前で決して泣いたり弱音を吐かない。そして一見協力的で申し分のない父親は、妻の子育ての苦悩を真剣に聴こうとしない。「そんなの男の子ならよくあることさ」のノリ。
母がケビンを押しやって腕を骨折させてしまったとき、ケビンは父の前で「自分でやった」と嘘をつきます。母をかばったというわけではなく、母の反応を見たいがための嘘のようでした。母は自分がしたことや幼い息子の反応に戸惑いながらも、そのことを夫に話しません。罪の意識から話せなかったのかも知れません。
もちろんこれはフィクションだけれど、家族の物語は誰が悪くて誰が悪くないという、単純なものではないということを考えさせる衝撃的な作品でした。だからこそ 、We Need to Talk About Kevin なのかもしれないなと…。