1. 心理 東京
  2. ブログ 心's LOOM
  3. 一人の内の3人の女性

一人の内の3人の女性

2014年07月13日

さて、先日のブログで取り上げた『ホフマン物語』。感想はこれが今まで観たなかで一番の演出でした。
詩人ホフマン青年の恋愛遍歴の展開は、
①お人形のように可愛らしい娘(オランピア)への恋→②芸術を追い求める元歌手の娘(アントニア)への恋→③手練手管に長けた年増女(ジュリエッタ)への危険な恋、という具合に進み、3人の女性役を一人のソプラノ歌手が見事に演じきりました。
同性の立場からみても、これはやはり一人の女性の3つの側面なのだ、という思いを強くしました。女性の要素の最大公約数的なところをとったらこうなるのではないでしょうか。
②番目の恋愛などは、これはもう一つの普遍的な「家族問題ないし女性問題」として私は観ていました。
元歌手のアントニアは、父から歌を禁じられ、代わりにバイオリンをやるように命じられます。父親は、ちゃらちゃらしている詩人ホフマンとの恋愛も禁止し、二人が会わないように家を引っ越してしまいます。歌を禁止され、恋人とも引き離され、アントニアは苦しみます。
やがてアントニアを探し当てたホフマンは、アントニアは肺病のために歌を禁じられていることを知ります。そして恋人に理由を告げぬまま、「歌をやめて自分と結婚して家庭を作って欲しい」と願いでます。
自分のやりたいことするのか or 愛する人との家庭を選ぶのか
そこへアントニアの医師が「本当にやりたいことを諦めていいのか」とアントニアを唆します。「唆す」という言葉を使ったのは、オペラのなかで医師は悪魔的な人物だからですが、この問は極めて全うなものとも言えると思います。「自分を捨てていいの?」という問。
アンビヴァレントな思いに激しく苦しむアントニア。そこへ母の声(歌)が聞こえてきます。アントニアの母は元歌手で、既に同じ肺病で亡くなっている人。その母の歌ですが、やはり娘に「歌うように」唆しているようにしか聞こえない。この演出の場面が面白いのです。苦しむアントニアの後ろに、母親役の歌手の顔がドーンとスクリーンに映し出されるのです。しかもレントゲン写真のようにモノクロで映し出され、お歯黒を塗ったような歯と唇が浮かび上がり、顔全体が骸骨のようですこぶる怖い。アントニアと母親と悪魔的な医師との歌が重なりあって盛り上がっていきます。
アントニアの葛藤は深まります。
芸術か(自分のしたいことか) vs. 家庭をもつことか
恋人への想い vs. 恋人への不信
父の愛か vs. 恋人の愛か
父の願いか vs. 母の夢か
究極的には、生か vs. 死か
元来、母と娘は同性ゆえに近しい存在。一卵性的密着も激しい葛藤も、心理的距離が近いことの表れであり、問題を孕みやすい危うい関係です。そこを切るのが父親や恋人の役割とされていますが、結局、アントニアは母の夢を生き、歌うことを選び、亡くなってしまうのです。とにかく、あの亡霊のようなお歯黒母の演出。きっと演出家も、アントニアの生き方を単なる悲劇や格好いい生き方(死に様)として捉えていたのではないように思います。
あれれ、男性の恋愛成長ものの話をしたかったのに、女性の生き方の話になってしまいました。まあ、一人の女性のなかには、オランピアとアントニアとジュリエッタが共生しているということを、男性たちには知ってもらいたいなと思います。
*******
オーケストラピット.JPGのサムネイル画像

このページの先頭へ