1. 心理 東京
  2. ブログ 心's LOOM
  3. 記憶と向きあう

記憶と向きあう

2015年12月01日

12月1日になりました。先週だったか夜半に雨が続いた日の朝、針のような天気雨が降るなか、きれいな大きな弧を描いた虹を空に見つけました。そういうときばかりカメラを持っていなくてただただ見上げるだけでしたが、虹というのは不思議と希望を感じさせてくれるものですね。くすんだ気持ちも虹を眺めると明るくなります。

さて、今日読んだ新聞記事のなかに、「記憶」というものを考えるうえで興味深いものがありました。

それはフランスの精神科医で作家のボリス・シリュルニクさんという人へのインタビュー記事でした。彼は6歳だった第二次世界大戦下、強制収容所へ移送される途中に脱走し、家族が殺されたなかで命を得た子供でした。戦争終了後、その脱出劇は大人たちから信用されず、また言葉が凍りついてしまったようだったといいます。

そうして自分というものが、「友達と元気に遊ぶ自分」と「(社会に共有されない歴史を抱えた)心に秘密の暗いものを抱えた自分」、という2つに分裂していたそうです。

そして40歳代になり、社会のなかに負の歴史を受けとめようとする機運も高まり、公の場で過去の体験を語ることができるようになってくると、自分が一つに統合されていったようだったといいます。記憶を語れるまでに、社会と自分の成熟が実に30年以上もかかっているのです。

これは何も戦争のような大事ばかりでなく、日常生活における傷つき体験、喪失体験の記憶を語るということにも悲常に大切な示唆を与えてくれます。それは「周囲が話を聴けるということ」と「語るまでにその人なりの時間がかかる」ということであり、また現実(過去)を否認しても問題は解決しないということです。

シリュルニクさんは国が全体主義に陥らないためには「どのようなことがあったのか、記憶を繰り返し繰り返し語り続けて、そして考えていくこと」の重要性を説いていますが、「安心して継続して話が出来る場」というのは社会と個人双方に必要不可欠なものだと改めて思いました。

ラナンキュラス.JPG


このページの先頭へ