ひらがなとカタカナ

2016年07月01日

昨今は身体指向の心理療法も優勢ですが、ほとんどの心理療法は言葉を使っておこなうものなので、言葉というものには一応、細心の注意を払いたいと思っています。ある人が「ある一つの言葉」を使っても、その言葉に喚起されるイメージや連想、考えなどは人それぞれに異なるので、その差異も含めたうえで、言葉に対する感覚を磨いていくことは大事だと思います。

例えば私の周囲では、配偶者のことを「主人」と呼べる人と呼べない人に如実に分かれるのですが、この差異を考えてみるのも興味深いことと思います。そんなの人の勝手じゃん!と言ってしまったら、何でも話はそこまでなのです。

さて、今日面白かった新聞記事に「隠語化される差別 カタカナの特性」というものがありました。小中学生の間で「ガイジ」(障碍児の一部)という言葉によるいじめがあって(信じられませんが元は保育科の女子学生の間で広まったという説もあります)、この言葉がいかに人を傷つけるか教育啓蒙するにあたり、ガイジを「がいじ」とひらがな書きにして冊子を作っている自治体があることから、言葉による差別について取材している記事でした。(本来、人を傷つけるか否かより、こういう仲間内にしか通用しない侮蔑的な隠語を使ってしまう知性の方が恥ずかしいことだと思うのですが。)

カタカナは一般に硬く刺々しい印象を与え、ひらがなはまだマイルドなので、冊子にはひらがなを起用しているとの自治体の説明を記者は紹介していました。

私もこれを書くにあたり、現在よく言われている、障害を障がいと表記するか旧字の障碍にするかで迷いました。迷った挙げ句に旧字にします。アメリカで障がい児の発達支援研究をしている日本人の先生はいち早く「障がい児」と使っていましたが、害をがいにしても障もさわるという意味がありますし、言葉の使い方だけではなく現在ある問題自体に向きあうことを等閑にしてはいけないと思うからです。

されど言葉。難しいですね。

ひらがなの多用は語感がマイルドで人に優しく響く反面、語彙の平板化、ひいては思考の劣化を招くようにも思います。

ガーベラ


このページの先頭へ