男の子の成長譚1

2017年06月04日

6月に入りました。
これからの時季、街中に色とりどりの紫陽花が溢れていきますね。

さて、先日は時間が取れたので、ワーグナー作のオペラ『ジークフリート』を鑑賞してきました。このブログでも度々取り上げているワーグナーのオペラ「ニーベルングの指環」の第三作目にあたる作品です。ピンとこない方も映画『ロード・オブ・ザ・リング』の世界観の大元と認識していただければ、想像が少しつくかと思います。「ニーベルングの指環」は権力の象徴である黄金の指環奪還をめぐる世界救済のお話で、全四作の中で様々な登場人物が出てきます。そのなかの一人がジークフリート。

ジークフリートというのは中世ドイツに伝わる大蛇退治の英雄のことで、この伝説などをもとに、一人の男性の成長譚を描いたのが『ジークフリート』です。日本ならば桃太郎、一寸法師、金太郎などの昔話を土台にしていると思えば何となく親しみが湧きますね。

桃太郎も一寸法師も話はとうに忘れてしまいましたが、この手のお話は「男の子の成長」という普遍的なテーマを扱っています。『ジークフリート』もしかり。一人の男の子が成長するにあたってどのような道筋を歩むものなのか…、成長の過程で何が必要なのか…という観点から眺めると、非常に面白く大変有益です。

ジークフリートは赤ん坊の時に森の中で拾われ、養父に育てられます。作品の中の養父は邪な人物で、この秀でた子どもが成長した暁には指環奪還の役を負わせて用が済んだら殺そうとしますが、そこを見破ったジークフリートに却って殺されてしまいます。ここに「父殺し」のテーマがあります。男の子は成長するときに象徴的な意味の父殺しをする必要があるのです。

「父殺し」というのは、絶対的なものを乗り越える意味、既存の価値観を壊して自分の価値観や自己を確立させる意味合いがあります。もっと心理学的にいうならば、畏怖や恐怖の対象である強力な父親像を乗り越えて、色々な意味で客観視できるようになることが必要なのです。

「うちの父親は家族を困らせてばかり、全く尊敬に値しない弱い人だったから、そんなことは当てはまらない」という場合でも、精神的な父殺し(父を乗り越えること)をする必要はあるのです。ジークフリートの養父も邪ではあるものの、ナヨナヨして、どこかユーモラスな鍛冶屋として描かれています。乳飲み子の赤ん坊を男一人で育ててそれなりに苦労したと思われるのに、息子からは嫌悪感を抱かれ嘲られ馬鹿にされ、少々気の毒でもあります。

今日は長くなったので、続きはまた。でもこの父殺し。私は女の子の成長にも必要なことだと思うのですが、男の子は父親と同性である分ずっと精神的な距離が近くなってしまうから、普遍的なテーマなのでしょうね。

a flog in a pond

 


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