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ブログ 心's LOOM

50年後は

2012年01月31日

寒い日が続きますね。日本海側や山間地は大雪で大変なことになっているようです。早く止む
ことを祈るばかりです。
東京や関東も例年になく寒い気がするのですが、昨日は時々晴れ間ののぞく、心地いい日でした。

shinri2.JPG
ニュースを見ていたら、50年後には日本の人口が8000万人台になるとありました。しかも国民
の4割が65歳以上の高齢者になるとのこと。この数値、ちょっとびっくりしませんか?
因みに女性の合計特殊出生率(女性一人が生涯に生む子どもの数)は1.35ぐらいで、今後あま
り変わらずに推移するともありました。

その前日だかのニュースでは、東南アジアから介護施設に働きに来ている若者たちが、日本の
介護福祉士の試験を受けている模様が伝えられていました。インドネシアやフィリピンなどか
ら来日している彼らたちは、介護士として働きながら4年間の間に日本語を覚えて試験に受か
らないと帰国させられることになります。また本国では看護師の資格のある人が、日本では介
護士としてのみ受け入れられるという実情もあります。

介護という大変な労働をしながら、一生懸命勉強しても漢字や専門用語が難しい。アルファベ
ットやカタカナ表示がされるようになって、試験は少しはラクになったのでしょうか。
施設で働く東南アジア出身の女性から、「日本や日本の家庭はあまりオープンじゃあないね…」
と言われたことがありました。確かに…、私たちは制度一つにしてみても閉鎖的なところがあ
ります。

ただでさえ介護人口は不足しているのに、高齢者は増加し、労働人口は減るばかり。50年後、
現在成人の人も高齢者の仲間入りです。外国人労働者のお世話になることは必至のことでしょう。



human

2012年01月28日

「ヒューマン、なぜ人間になれたのか」というNHKスペシャルを録画して観ています。
まだ1回の放送ですが、これがとても面白い。

その中で、京都大学霊長類研究所のチンパンジーの実験が放映されていました。2つ
の透明ケースにそれぞれ入れられたオスとメスのチンパンジー。二つのケースの間
には、上部に開口部があり、お互いにモノを渡せる仕組みになっています。

さて、オスのチンパンジーのケースの前には、容器に入ったジュースが置かれてい
ます。ケースの全面下方にも開口部があり、オスは一生懸命腕を伸ばしますが、ち
ょっとのところで届きません。

はて横を見ると、隣のメスのケースにはステッキがあります。オスは間仕切りの上
から腕を伸ばして、メスにステッキを渡してもらい、めでたしめでたし、ジュース
を引き寄せて飲むことができます。1匹(1頭?)でゴクゴクと…。

さらにその次の日。ジュースもステッキも同じような状況が作られています。オス
は目の前のジュースが飲みたくてしょうがない。オスはバタバタソワソワしだしま
すが、メスは無視。オスが開口部から腕を伸ばして「ステッキを頂戴頂戴!」とす
ると、メスはステッキを寄こしてくれました。めでたし、めでたし…。

この実験から言えることは、「チンパンジーの世界では明示的なコミュニケーショ
ンが必要とされる」ということらしいです。700万年前人間とチンパンジーは進化
の過程で分岐し、1%の遺伝子の違いが生じました。

チンパンジーははっきりとしてわかりやすいコミュニケーションをするけれども、
一方人間は、その場の様子や気配を窺い、協力行動をとることができる、という
ところが両者の徹底的な相違らしいのです。

人間が曖昧で繊細なコミュニケーションをとることができるのは、進化の結果なの
ですね。高度で複雑なコミュニケーション、だからこそ苦悩が生じたとも言えるの
ではないでしょうか。
大概のクライエントさんは、特にACだと言われるクライエントさんは、人の顔色を
大変よく見る傾向があります。それは一つの能力ですが、苦痛の源にもなるわけで
す。時に深読みしすぎることもあるでしょう。或いは正しく顔色を判断したとして
も、自分にとって優しいものにならないこともあるでしょう。

チンパンジーは本当に単純なコミュニケーションしか理解できないのでしょうか?
それとも、更に上手の「鈍感さ」なる能力があるのでしょうか。

舌を出す猫



白いリボン

2012年01月26日

お正月にミヒャエル・ハネケ監督の「白いリボン」(2009独英)という映画を観ました。
モノクロだったこともあり、一度は途中で居眠り…。というより横眠り…。面白い映画
だということで、再度挑戦して見終わりました。

一言、怖い。重い鼠色の雲が、空一面低く覆い被さっているような印象の映画です。抑
圧された人々(子ども)が何を考え、何をするかわからない恐怖にみちた作品です。

舞台は1913-1914年、第一次世界大戦直前のドイツ北部の小さな農村です。収穫祭など
牧歌的な村の様子が描き出されながら、村人の大半は貴族一家の荘園で働く小作人であ
り、教職より仕立屋のほうが食べていける、息苦しく貧しい時代です。

映画は冒頭から医者の落馬ではじまり、村人の転落死、村の納屋の全焼、子どもの失踪
と暴行事件などが次から次へと起こり、犯人はわからない。幾つかの家庭における、親
子や男女の歪んだ関係性も描かれていきます。

白いリボンというのは、牧師が子供たちの腕に巻く「純真無垢」の証、戒め・罰として
のリボンのことを指します。帰宅が遅い、学校で騒いでいた、自慰行為をした、などの
理由で厳格に罰せられる。鞭や打擲よりもっと子どもの心を深くえぐるのは、この白い
リボンなのかもしれません。「お前は穢れている」ということの証なのですから。

絶対的権威者として振る舞う父と力のない母、緊張感に包まれた家、というのは何も牧
師一家だけでなく、この時代に共通することなのかもしれません。では、現代が全く違
うかというと、果たしてそうなのでしょうか…。

「白いリボン」公式サイト
www.shiroi-ribon.com/

小菊 in クラクフ





「くよくよ」と付き合う

2012年01月25日

これ、何に見えますか?
全く美しくないけれど、焦点を無限にして撮影してみました。

夜空の木星
答えは、西の夜空に輝く木星(ジュピター、天空の父なる神)です。
家が東京から遠く周りが山なので、帰り道の星々がこの時期とてもきれいです。

つまらないこと、いやなことをくよくよ考えてしまう時、夜空を見ながらトボトボと帰路につきます。
考えてもどうしようもないことは、相変わらず消えませんが、自分のなかのバランスを保てる気がします。

人間は自然界の中で小さな存在だと思います。
時々、遠くに目をやって、視野を広くもっていたいものです。


回り道

2012年01月24日

水道橋駅を降りたら雪がかなり積もっていました。
かなりといっても3cmくらい?
雪が解け始め街がキラキラ輝いているけれど、足下をとられて危ないし怖い。
転倒、交通事故など、十分にご注意くださいね。

今日はお店の話。

先日行った「さぶちゃん」ラーメン。ウェブサイトのマップに載っている神保町保育
園の前の細道を白山通りに向かって入るとすぐにわかります。こちらは神保町の有名
店で、昼時は行列を作っています。ワンコインちょっとでラーメンが食べられる。た
だ、驚くなかれ、さぶちゃんはタバコを吸いながら作っているし、出てくるお水は水
道水をゴボゴボついだもの。レンゲなんか勿論なし。店内も決してキレイとは言えま
せんが、店主は味があり、ラーメンもチャーハンもおいしい。東京ラーメンとありま
したが、見た目より濃厚なお味でした。覚悟のある方はぜひお試しを。

画像はライトアップされた、御茶ノ水駅そばの「聖橋(ひじりばし)」
御茶ノ水まで歩いて帰ったときに撮ったものです。
昔々、歌詞の中で聴いた「聖橋」。ここだったのね、と感慨深いものがありました。
聖橋の名前の由来を調べると、湯島聖堂とニコライ堂を結ぶ橋、ということだそうで
す。知っていました?

御茶ノ水の聖橋





研修

2012年01月22日

夜間の研修が始まりました。

今回はジクムント・フロイト(無意識の発見、精神分析の創始者)の生育史のような話題が絡
み、彼がいかに、何を、脱構築したか、興味深く聴いていました。

脱構築とはごく平たくいえば、既存の枠組みを壊して再構築をすること、です。
彼は伝統的な精神医学を脱構築して、「患者に自由に話をしてもらい(自由連想)、症状を取
り除く」という技法を生みました。

当時のフロイトが関心を抱いた患者とは、ヒステリー患者のことで(ヒステリーとはキィキィ
ヒィヒィ喚くことではありません)、つまり今で言う、ボーダーラインパーソナリティ(境界性
人格障害、BPD)の人たちに近い、とのことです。病歴を話すうちに、突如失神したり、肢体
や感覚器の麻痺を起こしたりして、煙たがられ、胡散臭がられていた人々でした。

フロイトがどうしてこのような人々に興味を寄せたかは、歴史的に迫害を受け続けてきたユダ
ヤ人であったこと、ユダヤ人であるためにアカデミズムの場で出世できなかったことなどが大
きく影響しているようです。

ヒステリーの人たちをはじめ、社会の周辺に追いやられた人々、秩序の外で生きていかざる
を得ない人たちは、その時代の象徴を症状という形で演じているとありました。
人格障害という言葉は好きではないし多用しませんが、なぜそのような「症状行動」を必要と
するのか考えることは、私たちの時代を考えることに繋がるのだと思いました。

カウンセリングルーム1の窓外
窓外は雨。
最近とても寒いので、頭寒足熱、体を冷やさないようにしましょうね…



情熱

2012年01月20日

先日、チャイコフスキーの『悲愴 (Pathetique)』を聴きに行きました。

フランス語の pathetique (パテティク)は、英語ではpathetic 「哀れを誘う、悲しい」の
意味。名詞はpathos 「哀愁、悲哀」、日本語でも「ペーソスを帯びた…」などと使います
ね。

元々はギリシア語の pathos (パトス)に由来し、パトスの意味は「情念、感動、強い感
情、情熱」など。英語の passion (パッション)もこれと同じ意。情熱の意味でこれもよく
使います。
the Passion と記せば、「キリストの受難」のこと。余談ですが、メル・ギブソン監督の強
烈な映画がありました。

情熱、情念というと、何か熱い赤いものが燃えさかっているようなイメージを抱くのです
が、pathos (パトス)には元々「受動、受け身」という意味があるとのこと。

情熱と受動。

私にはこれらが結びつき難かったのですが、情熱とは強く何かに影響されて、抑えるこ
とができない感情ということなのでしょうか。情熱家は激しく能動的な人かと思っていま
したが、どうも違うようでした。

資料によれば、チャイコフスキーの Pathetique は「受苦」と受け取るといいようです。
彼の受苦、どうしようもない、途方もない苦しみは何だったのでしょうか…

演奏は実に熱情的で、しかも静かな音で終わる。
魂を揺さぶられた体験でした。

東京初台オペラシティホール



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