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家(いえ)
2012年05月27日
最近、ある昔々の事件に関する記事を読んでいて感じたこと。
それは自分が生まれる遙か以前の事件のことなのですが、当時、容疑者とされる人の実家の墓が村人によってひどく荒らされ、墓石もろとも外に打ち棄てられた、というくだりがありました。村八分は昔はよくあったのかもしれませんが、それを読んでぞっとしました。比較的若いときから漠然と感じていたことの一つに、加害者の家族の在り方の国による違い、というものがあります。
例えば、アメリカのスラム街出身の容疑者もしくは加害者の母親などがメディアのインタビューに応じるとき、堂々と顔を見せ、顔には化粧、爪にはきれいにマニキュアなどが施されていたりします。「息子(娘、夫etc.)はこれこれしかじかだ…」と比較的淡々と話し、別段アメリカの母親に違和感を覚えないし、変な悲壮感がないのがいいと思っていました。同じことを日本の母親がやったら、きっと非難ごうごうなのでしょう。日本の場合、親などは顔は半分くらい隠すか、ぼかされ、「ご迷惑をお掛けした…」とひたすらうなだれて謝罪することが求められているようです。そうでもしないとメディアも世論も大変なことになるのは目に見えています。日本はまだまだ「個人」ではなく、「家単位」であり、そこは変わっていないのかもしれません。
↑ 夜の神保町交差点