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日本的マゾヒズム
2012年06月05日
手元に届いた『ジェーン・エア』のページを繰り、映画を反芻しながら、東西の女性像の違いのようなものをあれやこれや考えていました。
5月31日付ブログでご紹介した『日本人の阿闍世コンプレックス』小此木啓吾(著)のなかに、こういったくだりがあります。米国人女子学生の発言で、「ボーイフレンドが約束を反故にしようものなら、感情を露わにしても自分への敬意を払わせる」というものです。(このあたり、私は境界性パーソナリティ傾向の人はこういった自己主張の素質があるように思います。)
著者は、欧米人にとっての嫉妬の感情は、所有権の侵害に対する正当な権利の主張であるのに対し、日本人にとっての嫉妬は、「慎みのない、はしたない」感情なのだと指摘しています。
確かに、これは男女限らずに多いと思うのですが、例えば配偶者や恋人など親密な間柄の人が自分の誕生日を忘れていたとしたら、一体どのぐらいの人が抗議するでしょうか?本当は寂しいのに、「別に気にしていないよ」という人はまだまだ多いと思います。「誕生日なんて何でもないし…」とか、「彼(彼女)は忙しいから…」という発言もよく耳にします。
こういった日本人の傾向を、著者は「日本的マゾヒズム」と呼び、この日本的マゾヒズムが人や組織、社会、政治を動かす大きな原動力、支配力となっているとのことです。
ここがポイントなのですが、この女性的かつ日本的マゾヒズムは、「ただやられっぱなし」という訳ではありません。自己主張を押し殺している深層には、「こんなにしているのだから、いつか相手は振り向いてくれる」という期待を孕んでいるといいます。そしてこの「密かな期待」が、相手に「罪悪感」と「甘え」と「恩」の気持ちを生じさせるのです。この日本的マゾヒズムの特徴については大変面白いので、またの機会にご説明しますね。