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聞くなの心理

2012年06月14日

心理劇なので観たほうがよい、という友人の誘いがあり、昨夜は久しぶりに3時間半以上(休憩時間を含め約5時間)のオペラ(楽劇)を観てきました。その名もワーグナーの『ローエングリン』。
中世ドイツのある領地の姫君が弟殺しの嫌疑をかけられていたところへ、姫を救うために白鳥の曳く小船に乗ってやってきた一人の騎士ローエングリン。騎士は姫の嫌疑を晴らし、姫と領地を守ると言うが、一つだけ姫に約束をさせる。それは何があっても騎士の氏素性を聞いてはいけない、と。
古典に多いモチーフで、例えば日本の夕鶴(鶴の恩返し)の「見るなの心理」に似ていますね。夕鶴は本当の姿を見られると、姿を消さなくてはいけない。騎士は名乗ってしまうと、聖なる力が失われる。
決して名を尋ねるな。→ 名を知りたい。しかしそれは恩を仇で返し、約束を破ることになる。→ だか知りたい。どうしても知りたい。誰にも吹聴しないから。私だけ知りたい。どこの誰かわからない人を愛せはしないから。
騎士が「名を聞くな」といったところから、逆説的に「名を聞け、必ずや名を聞け」と言っているように思います。若く、心優しく、純粋無垢ではあるけれど、愚かで、他人のそそのかしに乗りやすい姫はいても立ってもいられなくなり、不安と疑惑を膨らましていく。
騎士の無意識は、本当は聞いてほしかったのでしょうか。どうして?
姫はどこかで、聞いてしまったら相手を傷つけてしまう、失ってしまう、ということに気付いているのでしょうか?無意識は失うことをわかっていて聞いたのか?
騎士も姫も最初から軽々しく愛を誓うところなども、若さゆえの愚かさのようにも見受けられました。
騎士と姫の悲恋は、ある一つのものを蘇らせます。夕鶴だとこの場合、どうなったでしょうか?
休憩中の劇場
↑ 休憩時間はお酒と腹ごしらえ。

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