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自己愛

2012年06月15日

外は暖かいはずなのに、室内は寒く感じられ、また夜も思いのほか涼しい日が続きます。6月が終われば2012年も半分過ぎたということ。光陰矢のごとし、ですね。光は日(太陽)、陰は月のことだとか、初めて知りました。
来週の日曜日は『父の日』ですね。
今は、小此木啓吾著(1981)『自己愛人間』を読んでいる最中で、そのなかに「第二次世界大戦後、私たちは自我理想としての父を失った」というくだりがありました。
どういうことかというと、自我理想というのは「私はこうなりたい、こういう人間でありたいというアイデンティティー」のことで、それは国や社会、思想、宗教といった高次なものと深く関わりがあるものだといいます。
戦時中正しいと信じてきたことが、戦後否定されたり塗り替えられたりして、人々は大きな混乱のなかで生きてきました。それは、絶対的なもの、確固たるものが失われた時代でした。
先日、電車での個人的な体験をここに書いたのですが、それに関する面白い指摘が同著にありました。
電車の中で人に席を譲るとき…
(ア)「さあ、体の不自由な人がいるので、席を譲ってあげよう」と、ヒューマニティの発露から席を譲ろうとする。
(イ)「あっ、席を譲らなきゃ。(さもないと、誰かに怒られるのではないか…)」という感じで席を譲る。
さあ、あなたはどちらのタイプでしょう。(ア)?
私はもしや(イ)?そう思いたくないのだけれど…。
(ア)は「自我理想」の働きによるもので、(イ)は「超自我」の働きによるものだそうです。超自我とは、自我の働きなどを良心や道徳によって抑制するもの、です。感覚的に理解できますね。(ア)は能動的に、(イ)は受動的に、自己愛を満たすやり方だといいます。
ただ、(ア)や(イ)による自己愛は、社会規範(父の掟)を心に取り入れて成り立つものです。今や(1981年当時)、このタイプとは違う、「裸の自己愛」が蔓延している社会だと著者は指摘しています。つづく…。
オールドローズ

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