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ことば2
2013年03月13日
またもやことばのはなし。言葉遣いの話。
最近読んだもののなかに、障害者の人たちが、障害にたいする偏見や差別の問題とどう取り組んでいくか、というような記事がありました。そのなかで、障害→障がい、もしくは障碍、と表記を変えたほうがいいのではないか、というメディア側の思案する様子も伝えられていました。既に自治体によっては、「障がい」で統一しているところもあるようです。
精神医療や臨床心理の世界でも「〇〇障害」という形でこの言葉は多用されています。個人的経験では、既に何年も前から「障がい」という言葉遣いをする教員もいました。(ややこしくなるのでここでは障害に統一します。)
ほどなくして読んだ対談に、よく知られたライターの男性(ご自身も身体障害のある方)が、「障害を障がいにしたからって現実が変わらなければ何もならないし、”障がい”と使っている人の、私って人権意識が高い、とでもいいたいようなところが感じられる」というような発言をしていたのがありました。実際にはもっとくだけた表現でしたが。
似たような意見は、以前読んだエッセイにもありました。評論家の白洲正子という人が、「”めくら”で何が悪い。盲(もう)と呼んだからといって差別がなくなると思っているところが間違っている」ということを言っており、なるほどと一部共感しつつ、でもかなりの強硬発言にショックを覚えました。白洲正子という明治の人は、華族出のたいそう矍鑠とした老人だったので、その人に弱者の痛みがわかるのか…という思いもありました。
この障害/障がいの問題については、正直どうしたらいいのかまだよくわからないし、今後どうなっていくのか気になります。言葉を単に変えたからといって現実が変化しなければ意味がないし、言葉を変えることで人々の意識が少しずつ変わっていくこともあるのではないだろうか…、とも思うからです。