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精神療法の映画:1

2015年01月31日

『ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して』 Jimmy P.:psychotherapy of a plains Indian (ある平原インディアンの精神治療記録)という、実話に基づいた映画を観てきました。単館系映画で、観客は20名いたかいないか。まあ、このような精神療法の映画を観に来る人は限られると思いますが、一応主役は、ベニチオ・デル・トロとマチュー・アマルリック。映画好きの方なら一度は顔を見たたことがあるでしょう。個性的な風貌の持ち主です。ベニチオ・デル・トロは、私にはヒスパニック系デカプリオに見えて仕方ないのですが、こちらの方がずっと渋みがありますね。
話のほとんどは、ジョルジュ(精神分析家・文化人類学者)とジミー(インディアンのブラックフット族、第二次世界大戦帰りの元軍人、発作的な頭痛とアルコールの問題を抱えている患者)のセッションを軸とした対話によって占められています。
これはよかったら、カウンセラーなどの治療者、または心理療法を受けている人、これから受けてみようかなと考えている人などに見てもらいたい作品です。(インディアンという今は使用されていない蔑称を用いるのは時代考証のためで、ネイティヴというのは公民権運動後の呼称なのですね。)
舞台は1948年アメリカ・カンザス州の軍病院。セラピーは一応精神分析という設定になっていますが、カウチに横たわりながらの正統なものではなく、精神分析的アプローチの心理カウンセリングとなっています。従って、ジョルジュとジミーはしばしば一緒に外出もしています(今では考えられませんが)。ジョルジュは精神分析家ですが分析家としての最終資格はないようで、ジミーを治療するためカウンセラーとして臨時に軍病院に採用された人です。後に民族精神医学という精神分析学と文化人類学をベースにした治療理論と技法を確立した人だそうです。
監督は男同士の友愛を描いたと言っていますが、二人が互いに影響し合いそれぞれが変化していく様を観客は興味深く追うことができます。友愛というより、これこそ精神分析的だと思うのですが…。治療者が全く権威的ではないところも、特別な印象を与えるのでしょうか。
最初は治療者であるジョルジュよりずっとジミーの方が落ち着いてセッションに臨んでいます。ジョルジュはせわしなく、そそっかしく、どっしり感がありません。既婚女性と付き合っていたりもする。それでいて不信感を抱かせるような人でもない。総じて感情の波が大きい人なのだろうと見受けられます。
ジョルジュはジミーの症状を戦争神経症によるものとはせず、ジミー固有の過去の体験に根ざしたものとして彼に向きあっていきます。戦争による頭部外傷で過去のトラウマが賦活されたものとして捉えるのです。やがてジミーはジョルジュに心を開いていき、自分の幼い頃や夢(睡眠時の夢)や女性関係について話していきます。インディアンですから「夢」というものを本当に大切に語っていくのですよね。そしてセッションが深まるにつれ、ジミーの怒りがジョルジュに向けられ…。でもこれはジョルジュの怒りでもあるという…。
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あ〜、残念!この大切な山場で後ろのフランス人女性がカサカサコソコソ、小ネズミが出すような音を立て始めたため五月蠅くて集中できなかった!彼女はきっとこの映画がつまらなく、フランス人監督の作品ということで間違えて来てしまったのでしょう。腹立たしかったけれど、まあ、人生こういうこともあるか…。
監督は「これは二人の疎外された人物が、お互いを”生み出していく”作品だ」ということを言っています。ジョルジュは本当はユダヤ系ルーマニア人なのに、偽ってフランス人としてジミーの前で振る舞います。精神分析家としても当初は胡散臭く見られている人物です。一方ジミーはジョルジュから「インディアンとしての本当の名前を忘れるな」と言われます。お互いが民族上の葛藤を抱えていることも作品の遠景にあります。こうした二人が心の交流を重ねていき、ジミーは自信を取り戻していき、ジョルジュも一精神分析家として育っていきます。
雪畑.JPG

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