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多様性とは何か

2015年04月26日

たまには真面目な映画ということで、今日は岩波ホールで上映中の『パプーシャの黒い瞳』という珠玉の作品のお話を…。大変美しいモノクロームの映像も見どころの作品です。

院生の時分、先生からよく言われていたのが、「(民族や文化の)多様性を認め合うことがとても大事」ということでした。多様性を認める、当然と言えば当然のことなのに、世界を見渡すとそんなに簡単じゃないことがわかります。日本でも一部、排除排撃の動きが目立つようになってきましたし、私自身、数年前電車内でリアルにそういった場に居合わせたことがあり、その時は本当にショックでした。ここで詳細は書けませんが、不穏な時代の到来を感じ、背中がゾッとしたのを憶えています。

この映画は、パプーシャという名前(愛称)のポーランドのジプシー女性詩人の一生が描かれています。(※作品に倣い’ジプシー’を使用します。)ご存知のように、ジプシーはどこにも定住せず、幌馬車で移動しながら集団生活を送る流浪の民です。文字を持たず、音楽を愛し、その生活の多くは謎のままと言われています。時代を経て次第に定住化させられ、子供たちは学校へやられ、大人たちは職をあてがわれていきました。パプーシャの生涯は20世紀初頭から後半に至るまで、戦争の惨禍や貧困と迫害の時代を生き抜いたものでした。

パプーシャの黒い瞳.JPG

監督はこの映画の目的を、「政治的、民族学的な野心や意図をもったものではなく、激動の時代を生き抜いた一人の女性の芸術に生きる姿とその苦悩を描きたかった」としており、そこを汲み取るのは何より大切なことだと思いました。とはいえ、社会の周縁に生きる、よく知られていないマイノリティの一民族を取り上げているので、例えばマーラーやべートーベン、ゴッホなどの物語を観るようには鑑賞できませんでした。

私が作品を観て思ったのは、多文化理解という点で「何が正しくて何が間違っているか、そう簡単にはわからない」ということでした。

パプーシャは子どもの時にポーランド語の紙切れを拾ったことがきっかけで、文字に強く惹かれ、一族に内緒でユダヤ人の女性から文字を教えてもらいます。ジプシーにとって文字は、ジプシー以外の人間が使う、災いをもたらすもの。子どものパプーシャは禁忌を犯すことの痛みもおぼえながら詩情溢れる人物へと成長していき、いつしか偶然出会ったポーランド人青年のすすめから詩の制作をしていきます。ジプシーの世界では「詩は自然に口から流れ出てきて、そして自然にどこかへ流れていくもの」。なのでペンで紙に書き留めることに躊躇しながらも、やがてポーランド人青年の手によって彼女の作品やジプシーの生活が書籍化されます。

ところがこの出版。「ジプシーの秘密を暴いた裏切り者の女」として、パプーシャは一族から糾弾されます。一方、著者のポーランド人青年は、自分が書いた作品なのだから出版の中止はしないと主張します。パプーシャ一家の生活は更に困窮を極め、精神の均衡を失っていきます。元々パプーシャは一族の価値観と相容れない部分を幾つかもっていました。文字をおぼえたし、定住化して子どもが学校へ行けることは幸せなことだと望んでいました。しかし一族の大半の人たちは、どんなに貧しく苦しくても移動生活を好み、ジプシーの掟を尊びました。何が幸せなのか。多様性を認めるとはどういうことなのか、色々考えさせられます。

最近騒がれている「表現の自由」というものにも思いが及びます。「表現の自由は何をおいても守られるべきものだ」という考えは、絶対普遍の真理なのかと。いついかなる時もそれは守られるべきなのか…。自分たちの価値観を今一度相対化させることが大切な時代なのではないかと、この映画は伝えてくれていると思いました。


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