2016年03月08日
昨日と打って変わり雨降りのとても寒い一日です。昨日より薄着で来てしまい後悔…。春の気候が変わり易いのは当たり前なのですよね。
さて、今読みかけの本を脇によけて、興味深くて一気に読んだのが次の本。杉山春 著(2016)家族幻想–「ひきこもり」から問う ちくま新書、というルポルタージュです。著者は女性や家族をめぐる社会問題を取材してきた女性ルポライターの方ですが、今回初めて知り他の本も取り寄せてみることにしました。
虐待、ひきこもり、夫婦間暴力、家庭内暴力、シングルマザーや子どもの貧困、非正規や格差の問題、認知症や介護の問題といったことは、どの家族にも起こり得る現代社会の問題で、臨床にも深く関わってくるテーマです。とかく臨床の世界では、〇〇障害や〇☓症といった診断名をつけて個や家族の単位に刻んで治療や支援をはかっていきますが、それだけでは片手落ちというか問題の解消には程遠いなとしばしば思っています。ですので、ジャーナリスティックな視点からの意見、各問題の時代背景の分析といったものがとても重要になってくると思うのです。
この著作は、20-40代になるひきこもり当事者やその親への長年の取材をとおし、「社会的ひきこもりとは社会や親の規範(価値観)に束縛され身動きできなくなった状態」としています。これを心理臨床の世界なら「傷ついて肥大化したナルシシズム(自己愛)の問題」とするのでしょうが…。杉山氏は一言も「自己愛」という言葉を使っておらず、結局意味しているところは重なるとはいえ、彼女の指摘は大変重要だと思いました。私たちが成長していくということは、親の絶対的な価値観を、成長過程で出会う様々な他者の価値観と擦り合わせて相対化していく、ということに他ならないからです。
著者は “「この社会はあなたのそして、私の場所だ」とまず、子どもと若者に伝えなければならない。そして、他者からの評価、目線に合わせて揺れるのではなく、生きる主体としての自分を作り出す営みが不可欠だ。”、とし、その作業は困難かもしれないが、それでも私たちは困難な日々を皆で生き延びなくてはいけないと締めくくっています。
自分は価値があるのかないのかといったことに悩んでいる人や家族に読んでもらいたい一冊でした。