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一人の男性の成長譚

2016年04月10日

筍の季節になりました。スーパーで1本ずつ売られているのを見るとついつい欲しくなります。筍、タケノコ、竹の子といえば…。

『心理臨床の広場』という雑誌のなかに、興味を引いた記事がありました。京大の工藤晋平という先生が書かれた、〈心理臨床家が読み解く現代のものがたり〉『かぐや姫の犯した罪』というものです。ジブリの映画『かぐや姫の物語』はまだ観ていないのですが、ダダダダーッと姫が走っているだけ?のCMはメトロのホームで眺めていました。何故に走っているのだ?と思っていました。かつて学んだ古典の中身はすっかり忘れています。

さて、作者不詳の通称『竹取物語』は、『竹取の翁(おきな)の物語』ないし『かぐや姫の物語』と呼ばれており、不思議な二重性が与えられていると筆者は指摘しています。一体、男の物語なのか、女の物語なのか。余談、翁なので男というよりもおじいさんの物語なのでは思ってしまいますが(笑)。

そうかと納得したのが、竹取物語に出てくる登場人物の男たちは一人の人物だと読める(一人の男を複数の男で表現している)、という指摘でした。翁→貴公子たち(求婚者たち)→帝→月の王が順に出てきますが、それは一人の男性の成熟段階を表しているのだそうです。(最初は子どもではなく、翁と逆転させているのですね。)貴公子たちはかぐや姫の見目形や噂だけに惹かれて求婚し、少々成熟した帝は姫と和歌を介して交流を深め、それでも最後は月の王が月に連れ戻してしまい、翁(子)がそれを見て「行かないでくれ〜」と泣く構図、展開。これはまた「母なるものの喪失の物語」とも読めるのです。

原文では姫には罪があり、それが(姫の)出現と喪失の説明となっているようですが、罪が何かは今もって国文学者が追究しているテーマだそうです。ジブリの映画にも「姫の犯した罪と罰」というフレーズが付いていますが、筆者によれば「誰がそれを罪と呼んだのか」というほうが適切な問いではないかとしています。

つまりは「日本型男と女の物語」なのですね。「男と女」=「息子と母」に置き換えられるところがとても日本的というか…。ジブリ作品は原文にアレンジが加えられて大変よく出来ているそうで、早く観たいものです。またこれは補足ですが、可愛いだキレイだ体がすごいだのと見目形にとらわれている男性は貴公子並みの自らの未熟さを表明しているようなものなのですよ(笑)。

ピンクのラナンキュラス.JPG


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