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映画のなかの男女

2017年12月24日

最近、2005年のアメリカ映画『きみに読む物語』を観ました。感動的なラブストーリーという評判でご覧になった方は多いのかもしれまんが、その時は興味が持てず10年以上経ってからの鑑賞です。

観たというよりは見たというほうがふさわしく、美容室で髪をやってもらっている間にタブレットで見させてもらいました。髪を洗ったり席を立つたびに中断するのでしっかり見られず、しかも佳境の最中に施術が終わってしまいました。パーマに行ったんだか映画を見に行ったんだか、何とも中途半端。結局雑誌にしておけば良かったと後悔しました。

話が逸れましたがこの映画、格差恋愛ものでした。時代は1940年代。アメリカの上流階級の娘と労働者階級の青年が恋に落ちる話で、紆余曲折を経て結ばれ(おそらく)、晩年は認知症の女性(娘)と心臓病を患う男性(青年)が共に老人ホームで過ごしているという大変わかりやすい設定でした。

総じて美しい純愛ですが…。

冒頭部分でこの老いた男性が、「私は何の取柄もない男だが、一つのことだけは誇れる。それは一人の女性を生涯をかけて愛し抜いたことだ…」と独白しているところから映画は始まります。確かに本当にそうなのかもしれないけれど、陶酔型の執念深い愛ともいえないだろうか…とも意地悪く思いました(笑)

娘の母親から相当コケにされ、引き離され、青年は一人になった後、戦争から生きて帰り報奨金を貰います。その報奨金で農場を買い取り、娘が希望していたような青い窓の壮大な家を建てます。このハングリー精神まではいい。

もはや遠く手の届かないところにいる娘のことが忘れられず、でも寂しいから年増の戦争未亡人と付き合います。ある晩ベッドの上で、この女性が今度はどこそこで会いましょうだか、何々へ行きましょうだか誘うと、彼は「自分はもう愛をどこかへ置いてきてしまった…」というようなことを物憂げに言い放ちます。女性の頬に涙がツーっと流れ…。二人は寂しさを埋め合わせるために逢っているんですね。

どうしてこのシーンが気になるのかというと、普段相談室で出会う人たちはこのようなタイプの女性が少なからずいるから。自分をそれほど大切にしてくれない男性と付き合って不幸な恋愛や結婚に我慢しているタイプ。不幸だと認識できない場合も多いのですが…。好きでいるなら別にいいのですが、「なにか違う。満たされない」と思うのであるならば男は他にゴマンといるよと言いたいところ。でも、これがなかなか別れられない…。

映画の青年は一つの恋愛に固着し、どこか自己陶酔的で、一人の女性を傷つけていることには気づけない人なのだなぁ…と残念に思いました。でもそうやって人は人を傷つけることが多少なりともあって、そこから成長していくのでしょうか…。そんなことをつらつらとクリスマスイヴに思いながら、取り敢えず美容室で映画鑑賞はやめようと思います(笑)


 

 

 

 

 

 


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