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IDEAL

2018年06月06日

四方山話。

先日、ベートーベン唯一のオペラ『フィデリオ』(全2幕)を観てきました。古今東西の芸術家が一体どういう人物(特に思慕や恋慕の対象としての人物)を理想として描くのかというのは実に興味深いところです。

『フィデリオ』は、政治犯で地下牢に幽閉されている夫と、男性に変装して夫を救い出す勇敢な妻の物語です。男装した妻は夫が収容されているであろう刑務所で地道に働きながら、密かに救出の機会をうかがっている人物です。ベートーベンはこういう行動力のある、非常に愛の深い女性が理想なのでしょうか…。

明快なストーリー展開とハッピーエンド、ソロ歌手だけではなく合唱団による合唱が素晴らしい、ということを事前に調べていました。ベートーベンの合唱といえば交響曲第9番がつとに有名で、これも理想を高らかに歌っていますよね。この雰囲気をオペラで味わえるのかと期待していました。

演出は作曲家ワーグナーの曾孫カタリーナ・ワーグナー。ワーグナーを知らないという方もいますが、結婚式や運動会で誰でも少なからず耳にしたことがあるでしょう。その曾孫さんなのですが、この人の評判については周囲では芳しいものを聞いたことがなかったのですが、そのことも含めて関心をもって観に行きました。

いやあ、凄かった。悪い夢でもみているのかと思いました(笑)。妻は独房で衰弱している夫に出会うことができ、その再会を喜び合うのですが、結局は刑務所長に夫婦ともどもあっけなく刺されて牢屋に生き埋めにされてしまいます。終演近く、壮大な歓喜の合唱が歌われているのに演出は全く反して、目に映じるシーンは暴君で残酷な刑務所長の勝利といえるような幕引きなのか、あるいは全ての者(権力のある者たちも囚人たちも)が囚われの身となって幽閉されていくかのような、何とも定めがたいもので終わりました。演出家は何を狙っていたのでしょうか。

カタリーナ・ワーグナーの演出は物議を醸すものが多いらしく、それを革新的であると評価する者もいれば、終演時にブーイングの嵐が起こり、酷評する者もいます。隣のおじいさんも一幕の終わりから、「なんて独りよがりのヒドイ演出なんだ!」「ベートーベンへの冒涜だ!」と息巻いていました。後ろのおじいさんは「まあ、賛否色々のようですな…」と苦笑していました。私はというと、唖然としたというか、理解が追い付かなかったというべきか、なんてちゃっちい舞台美術や衣装なんだろうとは思っていました。

ベートーベンの理想の女性像や夫婦愛、夫婦像というものはどこかへすっ飛んで行ってしまいましたが、やはりベートーベンの作品は厳格に理想を追求する高邁なものであってほしいと思いました。

 

 


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