2018年06月16日
梅雨も本格的で、肌寒い日が続いていますね。温度調整が難しく、軽い風邪を引いてしまったようです。皆さまもどうぞお気を付けくださいね。
さて、この頃よく思うことは、病院通いやセラピーを何年何十年と続けていても、人間関係においてあまり変化が見られない場合についてです。このような時、私は個人療法の限界を感じます。以前、スーパーバイザーの先生から、「クライエントと治療者がどんなにいい関係を築けていても、クライエントと外の世界との関係性は別物ね…」というようなことをお聴きしたことがあります。そうだなーとしみじみ思うのです。
クライエントと治療者の間に、ある程度の信頼関係が成り立っているならば、その後はクライエントの人間関係が外に広がっていくように、また実生活が豊かになっていくようにしていくのが治療の最終的な目的です。個人療法だけでそれが上手くいく人もいますが、どうもそれだけでは上手くいかない人もいらっしゃいます。治療室、相談室というコクーンのなかに包摂された、親と子のような関係に終始してしまうような場合もあると思われます。
では、どうしたらいいかというと、個人療法と併用してグループ療法が必要だと思っています。グループのもつ力は大きく、なかにはグループ療法だけで上手くいく方もいらっしゃいます。グループ療法を行っている病院を活用するか、病院へは行きたくない、グループ療法にまでお金が回らないという場合には、自助グループの利用があります。
自分以外の他者の悩みを聴くということは、自分の悩みにばかり囚われている人にとても有効です。「どうして私だけこんなに辛いの?」とか「私ほど不幸な者はいない」などと思っていても、グループで人の話に耳を傾けていると、共通項に気付いて共感できたり、相違に気付いて自分の問題を新たな視点で眺めたり、勇気づけられたり嫌悪感をもったりと様々な心の動きが生じてくるのに気づきます。「毎回この人、被害者意識だらけだなー」と内心思いつつ、やがて「自分も似たようなものだ…」と気づくこともあるでしょう。回復が少しずつ進んでいる人に接すると、一歩踏み出す勇気を分けてもらうことにもなります。
様々なグループ療法や悩みをシェアする自助グループを、「傷口を舐め合う、同類相哀れむ、みたいで嫌だ」と嫌悪する人がいますが、グループにしばらく通っていると自分の内に湧き起こってくる感情や思考は「哀れみ」だけでは済まされなくなってきます。
また「人の辛い話を聴いていると自分まで更に具合が悪くなる」という方もいますが、本当に「話を聴く力」が身に付いてくると、話し手のもっている「力」、悩みや問題があっても何とかここまで生き延びてきた「力」を感じ取ることができたり、「この人、ここがもうちょっとこう変わればいいのに…」と問題解決の糸口を発見できたりもします。
同じ場に集って他者の話を聴けるようになってくると、その人の回復はかなり進んできていることになりますし、人間関係を築く力が既に身についてきている証でしょう。