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『生まれてこないほうが良かったのか?』

2020年12月23日

明日は遂にクリスマスイヴとなりました。ここのところずっと、前回のブログで取り上げた森岡正博著『生まれてこないほうが良かったのか?』を読んでいました。キリストの生誕は「誕生肯定」なのでしょうね。一方、原始仏教の仏陀は「誕生否定」であり、輪廻転生しないように(二度とこの苦しい現世に生まれてこないように)解脱を目指すのだそうです。

「反出生主義」は「生まれてこなければよかった」とする立場や「誕生否定」の思想です。誕生否定は自分自身の誕生を否定する場合と、他者や人類の誕生をも否定する場合があるようです。究極的には人類滅亡を望む思想もあります。

読んでみてまず思ったのは、一口に「反出生主義」と言っても、その思想は間口(東西)も奥行き(歴史)も破格に広大、深遠で圧倒された、ということでした。二度読んだぐらいではわからないのが正直なところです。

「この世、現世」をどう捉えるのか、「生・死」をどう捉えるのか、「命」をどう定義するのか、「誕生に伴う子どもの同意は問えるのか」といった生命・医療倫理や子どもの権利の問題にまで及んでいきます。

著者は、「生まれてこなかった私」というものはそもそも想定できないのだから、答えの出ないところに拘泥するのではなく、「生まれてきたくなかった」という思いを解体するような取り組みをしていくことが大事なのではないか、ということを述べていました。

心理臨床の場ではしばしば、「私の人生は報われない」という思いが、この反出生主義に親和性が高いように感じます。「報われない」ことの中身は千差万別ですが、仕事や境遇や健康の問題である場合もありますが、「(自分の望むような)人たちから認めてもらえない」という他者からの評価や承認の問題もとても大きいように思います。評価や承認、愛されることを望むのであれば、他者を愛し、評価し、承認することが不可欠なのですが…。

さて、先日私が参加した研修では、「mind(心、意識)とは何か。どこにあるのか。」の問いに、mindは私の内側と外側にあるという一つの考え方を教わりました。私たちの体の内側だけではないのですよ。外側とは、「私とあなたのなかに」、「私と環境のなかに」、ということです。そして「私」というものを構成するのは、①mind  ②頭 head ③脳 brain ④身体 body ⑤関係性 relationship、の5つなのです。

「私」=mind(心、意識、精神)だと思いがちですが、本当にそうでしょうか。自分とは、自分の意識だけでは計り知れないものなのだ、掬い切れないものなのだ、という視座に立ってみると、何だか少しは救われるような気持ちになりませんか。「私はダメな人間だ」「私は報われない人間なのだ」等という自己評価、自己規定は、意識のなせる業に過ぎないのです。

 


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