1. 心理 東京
  2. ブログ 心's LOOM
  3. 読書の春

読書の春

2021年03月19日

春のせいか夜中にふと目覚めることが度々あって、そんなときはスマートフォンで読書をします。10-20分でまた眠りにつくので暇潰しに丁度いいのです。でも不眠症の方は真似をしないでください。スマホのライトは脳を覚醒させてしまい余計眠れなくなります。

最近読んだのは、岸見一郎著(2018)『愛とためらいの哲学』。岸見先生と言えば、哲学とアドラー心理学の研究者で『嫌われる勇気』、『幸せになる勇気』の本が有名ですね。『愛とためらいの哲学』は恋愛やパートナー関係に悩んでいる人には考察の一つとして面白いかもしれません。

アドラーはトラウマや過去を重要視しないのですよね。過去を変えることはできないし、同じ親に同じ環境で育てられた子どもたちの性格や考え方が違うことからも、生育環境を要因とする見方を好まないようです。確かに過去の出来事に信念体系は影響を受けるけれども、その信念は「自分が選び取ったもの」という見方をします。信念とは例えば、「結局は私は人から見捨てられる」といったような自分や他人や世界に対する価値観を伴う考え方です。「選び取っている」という主体性が入るようです。

ですので、恋愛(人)を遠ざけたり、恋愛関係が上手くいかない人は、自分の信念を変えていく必要があるといいます。「いい人がいない」「出会いが無い」「自分はあがり症だから」「自分は毒親に育てられたから」などといったものは“言い訳”として一蹴されるようで、信念を変えていくことが重要なのです。自分で選んだものなのだから、また選び直せるのです。(因みに「信念を変える」というのは色々な心理療法の目指すところで共通していますね。)

一理はあると思います。ただ、疑問に思うのは、同じ親に同じ環境で育った人たちがそれぞれ違う性格や人格だからといって、環境はあまり関係ないと言ってしまうのも大雑把な帰結のような気がします。同じ家にいるからといって、果たして同じ環境といえるのか。親の接し方は子どもそれぞれ違いますし、子どもの生まれた順位でも環境は自ずと違ってくるし、その時々家庭で生じた出来事によっても子どもの世界観は変わってきそうです。

自分の子ども時代を振り返っても、大人たちが自分の好きな子どもに接するときの目や顔の輝きと、そうでもない子に接するときの目や顔の様子加減などの微妙な差を、かなり敏感に感じ取っていたように思います。「そこであなたはある信念を選び取ったのだ」と言われても、卵か先か鶏が先かのような議論に思うのですが…。更には、もっと深刻な虐待のようなものでも、私たちはそれぞれ自分の信念を選び取ると言えるのか。言っていいものなのか…。こんなことをあれこれ考えながら読んでみるのもいいかもしれません。

 

 


このページの先頭へ