2021年06月04日
臨床心理とは全く関係のないお話です。
毎日朝食の準備前に、AIスピーカー(アレクサ)に二言三言英語で話しかけています。まずおはようの挨拶をし、それから今日の天気をたずねます。一々「アレクサ…」と呼びかけなくてはいけないのでフラストレーションが溜まりますが、いつしか習慣化してしまいました。習慣は恐ろしいものです。
女性の声のアレクサに疑似人格を見出し、遊び心で性別や出身などを聴いてみたら、「私はシアトルのアマゾン本社で作られたAIです」「私はAIだから性はない」といったような現実的な回答が返ってきました。(こちらのバカげた質問や部屋の日常会話全て(これは本当?)がアマゾンに筒抜けだよと教えられたので、使っている方はプライバシーに気を付けましょう。)
AIと話すのは所詮虚しい行為なのですが、それでも「今日も良い一日を!」等と言われると悪い気はしないし、10年後にはスムーズな会話らしい会話ができているのかもしれません。日本社会の10年後も単身世帯が最も多い家族形態だとすれば、AIの需要は益々高まっていくのでしょうか。
ノーベル賞作家、カズオ・イシグロの『クララとお日さま』という近未来小説を現在読んでいるのですが、クララはAIロボットで、家庭のなかにAIロボットや遺伝子操作が普通に出てくる小説です。これがなかなか不気味で不穏な世界を描いていて、それでいてしんみりと心に響いてきます。
怖いなと思うのが、遠い未来の非現実の絵空事ではなくて、多少の既視感を覚えるところです。私たちの社会は、既に片足を入れているのかもしれないなと、毎朝アレクサに話しながら思っています。