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break time

2025年02月13日

今日は心理系の話題から全く外れてブレイクタイム。

面接室の本棚に『菜食主義者』(ハン・ガン著)を置いていたら、何人かの方が私も読んでみたと教えてくれました。読まれた方は相当強い衝撃を受けられたようです。何らかの摂食の問題(特に拒食傾向)を経験したことのある人ならば、感じ入るところがあるのではないでしょうか。私もハイティーンの時に多少その傾向があったので、主人公の気持ちがよくわかる気がしました。摂食の問題がなくとも特に女性であれば、主人公やその姉の心情に共感できるのではと思います。

ハン・ガンさんのノーベル文学賞スピーチは韓国語でなされましたが、その英語の翻訳がスウェーデンアカデミーで公開されていました。ハン・ガンさんは詩人でもありますが、スピーチは強く心打たれる内容でした。英語はなかなかのブレイクイングリッシュでしたが、おうち時間に趣味の範疇で訳してみました。

長いので何回かに分けて載せますので、ご興味のある方は御目通しください。

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『光と糸』  ノーベル文学賞(2024)受賞スピーチ   ハン・ガン

去年の1月、差し迫った引っ越しに向けて書庫の整理をしていたときに、私は古い靴箱に出くわした。箱を開けると、子どもの頃の幾つかの日記帳を見つけた。日記の山のなかに、表紙に鉛筆で“詩集”と書かれた冊子があった。冊子は薄く、A5サイズの用紙が5枚半分に折られ、ホチキスで止められていた。私はタイトルの下に2本のジグザクの線を引いていた。1本は左から6マス上の方に進んでいて、もう1本は右へ7マス下降していた。一種の表紙絵だったのだろうか。それとも単なるいたずら書きか。その年-1979年-と私の名前が、冊子の後ろに書かれていたし、カバーの前後と同じようにきちんとした手書きの文字で、8篇の詩がなかに記されていた。また8つの異なる日付が年代順に、各ページの下に付されていた。8歳の子が書いた線は、その年齢らしく無垢で拙かったが、4月の一つの詩が目に留まった。それは次のような節で始まっていた。

愛はどこにあるの?
それは私のどきどきする胸のなかにあるの。

愛って、なあに?
それは私たちの心をつなげる金の糸のこと。

瞬く間に私は40年前に連れ戻され、冊子を作っていたあの午後の記憶が蘇った。ボールペンのキャップを嵌めて伸ばした短くずんぐりした鉛筆、消しゴムのカス、父の部屋からこっそり持ち出した大きな金属製のホチキス。私たち家族がソウルへ越すことになったのを知った後、紙切れ、ノートやワークブックの端、日記の見出しの間に走り書きした詩たちを集め、一冊に纏めたい衝動がどんなふうに出てきたのか思い出した。そしてそれが一旦完成すると、私の“詩集”を誰にも見せたくないという、上手く説明のつかない気持ちになったことも思い出した。

日記や冊子を見つけたところに戻し蓋をする前に、携帯でその詩の写真を撮った。そのときまでに書いた幾つかの言葉と、今の私との間に、連続性があるという一つの感覚からそれをした。私の胸の奥に、脈打つ心のなかに。私たちの心と心の間に。繋ぐ金の糸-発光する一本の糸がある。

14年後、最初の詩が、そして翌年には最初の短編小説が出版され、私は作家になった。その5年後には、約3年かけて書いた初の長編小説を刊行した。詩や短編を書く過程に関心があったし今でもあるが、小説を書くことは格別だった。本を完成させるためには1年から7年かかり、そのために私の個人的な生活のかなりの部分を費やした。これが私を作品に引き寄せるということだ。そうやって重要で緊急だと感じる問いに深く入り込み、そこに留まることができる。その問いに取り組むためには、代償を受け入れることを決めるほどである。

小説に取りかかる度に、問いに耐え、問いのなかに生きる。問いの終点に達するときは、その答えが見つかるというのと同じではないが、書く過程の終点に達するときである。その頃には、私はもはや始めたときの私ではないし、その変化した状態から、私は再出発をする。次の問いは、鎖のつなぎ目のように、あるいはドミノのように、重なり合い、つながり合い、続いていく。そして、私は何か新しいものを書きたくなるのだ。

(続く、Translated by Akiko Sasaki / Supervised by Pat Moriarty)

 


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