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ブログ 心's LOOM

コミュニティー

2012年03月21日

ここ一週間、録画してあった震災関連のドキュメンタリーを幾つか観ていました。(バカな映画も自分で呆れるほど沢山観ますが、こういうものも観るよう心掛けています。)

それらは福島県南相馬市で暮らす人たちの現状を報じたもの、陸前高田で救助活動にあたった消防団の人たちを取材したものなど、どれもとても考えさせられる内容ばかりでした。

消防団について普段あまり気に留めないでいたのですが、彼らは消防署員ではなく、ボランティアで実践活動をしている人たちなんですよね。火事だけでなく今回のような災害時にも、団長の呼びかけに応じて救助活動をする。自分のことや自分の家族の避難よりも、町内の人を助けることを優先させて、命を落とした人や家族を失った人が何十人といる。

「コミュニティーを知っているのは自分たち。消防署員の人はこの町内に誰が住んでいるのか詳しくは知らない。だから自分たちがやらなくちゃいけない。でも同じことを自分の子どもたちにやらせたいかといえば、それは正直よくわからない…」。ある団員の方が言っていた言葉です。

誰がコミュニティーを守るのか。自分たちで守るとはどういうことなのか。ひいては自分の暮らす地域のことを考え、そもそもコミュニティーを守るという発想自体があるのか…、様々な疑問が浮かんできます。

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春の和菓子
↑ 春の和菓子。椿の花で息抜きです。


カップル(夫婦)問題

2012年03月20日

春分の日ですね。朝から電車が混んでいるのは、お墓参りの人も多いからでしょうか。お供え用のお花をもっている人がいらっしゃいました。今日はここも早く閉めて、帰りたいと思います。

最近の格言。人から聞いて膝を打ちたくなった言葉です。

It takes 2 to tango!

「タンゴを踊るには二人必要だ」。

これほどカップルや夫婦の問題の核心を表す言葉はないと思います。

わかりやすい例を挙げると、アルコール依存の夫とそれを何とかやめさせたいと躍起になる妻がいた場合、タンゴに相当するのがアルコール問題でしょう。妻も「やめさせようと躍起になる」という形でダンスを形成し、アルコール問題を存続させている一役を買っているわけです。勿論これは、「自己の感情とは別に、見て見ぬふりをする or 夫にお酒を与える」という形で静かなダンスを形成している場合もあります。

どちらかがステップから外れることが、タンゴを終わりにすることになります。

相模湾
↑ この二人はいずこへ。はるか沖で。


休日

2012年03月19日

月曜日は休みの日なので、一日のんびり〜を心がけています。半分はゴロゴロ、半分は活動、のよう
な具合に過ごしています。仕事に依存しやすい傾向があるので、市井の動向に疎くならないよう気を
つけないと、浦島太郎のようになってしまうのが怖いのでしょうね。

街中や近所の変化や人々の様子、食料品や日用品の種類と値段など、生活する上で大事なことは沢山
ありますよね。
千代田区のカウンセリングルームに勤務して思うのは、ここで暮らしている人たちは一体どうやって生
活しているのだろう?という疑問です。マンションやビルで生活している人は少なからずいらっしゃ
るのに、生活臭がしない。

スーパーは?日用品店は?町内会なんかあるのかな?、と疑問だらけ。びっくりしたのがゴミの集荷
場がないこと。スペースがない!狭い歩道の一隅に置くだけ。よくぞカラスや猫なんかにやられない
なと思うのですが、とにかくゴミボックスやネットがない。生ゴミが少ないのか、カラスがいないの
か。またスーパーといえども種類は少なく値段は高く、やはり生活費が格段に違ってくるのでしょう
ね。

都心と田舎(ともいえないけれど、子タヌキが日向ぼっこしていますから)の違いを楽しみながら、
日々往復しています。

shinri9.JPG
↑一昨年水耕栽培のヒヤシンスを地植えにしたら、2年後に開花。


子どもの反逆?

2012年03月18日

昨夜は久しぶりにまたbreak time。
『ケース39』(2009年)という映画を観ました。レニー・セルヴィガー主演のサスペンス? or ホラー?です。

「なーんだ。見え見えのオチでつまらん」というのが感想。レニーはケースワーカー(社会福祉士)で、虐待が疑われたり機能不全の家を回って面接や介入、支援をしています。ケース39というのは、39番目に受けもった家庭(子ども)という意味。

このケース39の小学生の女の子が、危うく両親にオーブンで焼かれそうになったところをケースワーカーが助ける。めでたし、めでたし、といってもそれは映画が始まって15分くらいの話。このケースワーカーが里親が見つかるまでの間その子を引き取ることから、数々の不幸に見舞わていき、その子は一体何者?という使い古されたストーリーです。

その子どもがまた大人顔負けの受け答えをする。相手(大人)の一番怖いものを聞き、それを使って突っついてくる不気味な子なのです。無理に説明すると、彼女はこの世にないくらい暗示と催眠に長けた子なのでしょう。それで相手を自滅に追い込みます。

だけど、子どもの正体があまりに馬鹿げているし、いくら娯楽映画といっても子どもへの冒涜にならないのかい?と思った作品でした。この作品はレニー・セルヴィガーの魅力的な唇と話し方を楽しむものなのかも。興味のある方はビデオ屋さんでどうぞ。

アートフラワーのキャンドルスタンド
↑これもアートフラワーのキャンドルスタンド。水中花のようです。





心理講義あれこれ

2012年03月17日

本日は雨、雨、雨。東京へ来たら寒くて冬のようです。

さて、昨夜の勉強会はかなりの時間オーバーで寄席のように楽しいものでした。私は何を学ん
だのか?それを考えると少し固まりますが、まあいいか。頭で理解できないことは体で吸収す
るイメージをしながら講義を聴いています。演奏会などでもしかり。
他の皆さんはふんふん頷きながらよく聴いていらっしゃる様子ですが、一体どのくらい理解さ
れているのでしょう。気になるなー。

昨日参加した勉強会は精神科医の先生の講義だったのですが、そのなかで中島みゆきの曲に
ついて言及されていたので早速調べてみました。カントリー調の『流浪の詩(さすらいのうた)』。

(私の理解が間違いなければ)何でもこの曲は外国の歌の剽窃で(たぶん意図したものなので
問題はない)、流れ者の母と娘の関係、娘が母親の生き方から自立していく様を歌っているの
だとか。へぇ…。興味のある方は是非 You Tube でお聴きください。

一聴したところ、歌詞からはすぐにそれと判断できないのですが、あのメロディからしてそうな
のかなと。娘が黒猫に「ママ」と名付けて今は猫と一緒にさすらい、歌を歌っている、というこ
とが、母と似ている人生のようで実は母を乗り越えているのかもしれません。それにしても中島
みゆきの曲は深く胸を打ちます。

小学高学年かそこらの時に「中島みゆきB面コレクション」のカセットテープを意気込んで買い
ました。なのに、知っている曲が何もなくてかなりのショック!  子ども過ぎてB面が何を
指すか全く知らず、特別なコレクションではないかと思ったのですね。当時カセットは2500-30
00円くらいの高価なものでもありました。後は擦り切れんばかりに聴きまくり、今でも幾つかは
耳に残り、時々勝手に頭の中でリフレインします。

黄ラッパ水仙
↑花開いてきました。黄ラッパ水仙。



セルフ・ネグレクト

2012年03月16日

今朝のニュースで「セルフ・ネグレクト」について放映されていました。この言葉、知ってい
ますか?私は初めて知りました。自分ではどうしようもならない生活上の援助が必要な状態な
のに、他者にSOSを出したり、人の手を借りようとしないことを指すようです。セルフ・ネグ
レクト=自己放棄、とでも言ったらいいのでしょうか。昨今の「孤独死」の原因の一つが、こ
の「セルフ・ネグレクト」だとか。

報道ではどうやってセルフ・ネグレクトの人たちの心を開いていくか、が取材されていました。
高齢者は特に、「人の手、おかみの手は頼りたくない」という意識が非常に強いようです。
「人様に迷惑をかけてはいけない」という文化的特色があるのでしょう。生きるか死ぬかとい
うときに、迷惑を気にしてしまうところが私たち日本人の悲しい性だなと、何だか悲しくなっ
てしまいました。「迷惑をかける」ではなく、「必要なときに権利を行使する」へ意識変革が
必要であると思います。

アートフラワー(植物)
↑このパキラ(植物)、本物ではありません。アートフラワーなんですよ。
この頃のアートフラワーはすごい、とは聞いていましたが、本物のようで、しかも美しい。
以前勤務していたところの同僚がくれました。もう一点ありますが、それは次回のお楽しみ。
私は彼女にどれだけ支えられていたか、今も支えてくれていますが…、感謝ですね。


認知の仕方

2012年03月15日

今日は風が強かったのですが、暖かな一日でしたね。

ここのところ、上野 修著『スピノザの世界 神あるいは自然』という本を行き帰りに読んでいまし
た。スピノザは17世紀オランダの哲学者で、『エチカ』(倫理学という意)という代表的な著書があ
ります。聞いたことのある人もいると思います。上野氏の本はそれをわかりやすく解説したものです。
わかりやすいと言っても私には難しく、一読しただけでは「はぁ…」という具合なのですが…。

その中に面白い一節がありましたので紹介します。
著者はデカルトとスピノザの2人の考えを対比させています。デカルトは「我思う、故に我在り」の
人ですね。そのデカルトが著書『情念論』のなかで取り上げている例に以下があります。

「ある人がある場所に行かなくてはいけない。行ける道は2つある。このところ強盗が出没するが、
道Aは通常、道Bよりは安全である。なので道Aを選んでいくと、強盗の被害に遭ってしまう。」

この時デカルトは、「何も嘆くことはない。あなたのその時の判断は最善のもので間違っていなかっ
た。これは神の摂理(思し召し)なのだから。」と。

一方スピノザは、同じく慰めますが、もっと考え方が違う。
「旅人にとっては端的に悪い出来事だったし、強盗にとっては端的に良い出来事だった。だけど「遭
遇」そのものは良いも悪いもない。出来事は必然的に生じたまでに過ぎない。神も誰かのために働い
ているのではない。」と。

このデカルトとスピノザ。同じ出来事に対して異なる認知の仕方をしているのですよね。
道Aと道Bの選択は象徴的なもので、私たちに身近なものならば、進路、就職など人生には無数の大小
の選択肢があります。「あの時あっちにすれば、こうはならなかったかも…」、「あの時、もっと努
力していれば…」などと考えることは誰しも一度はあるはずです。

さあ、このデカルトとスピノザ、どちらの考えのほうがあなたに「許し」をもたらしてくれるでしょ
うか?

黄ラッパ水仙の蕾




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