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ブログ 心's LOOM

心理講義あれこれ

2012年03月17日

本日は雨、雨、雨。東京へ来たら寒くて冬のようです。

さて、昨夜の勉強会はかなりの時間オーバーで寄席のように楽しいものでした。私は何を学ん
だのか?それを考えると少し固まりますが、まあいいか。頭で理解できないことは体で吸収す
るイメージをしながら講義を聴いています。演奏会などでもしかり。
他の皆さんはふんふん頷きながらよく聴いていらっしゃる様子ですが、一体どのくらい理解さ
れているのでしょう。気になるなー。

昨日参加した勉強会は精神科医の先生の講義だったのですが、そのなかで中島みゆきの曲に
ついて言及されていたので早速調べてみました。カントリー調の『流浪の詩(さすらいのうた)』。

(私の理解が間違いなければ)何でもこの曲は外国の歌の剽窃で(たぶん意図したものなので
問題はない)、流れ者の母と娘の関係、娘が母親の生き方から自立していく様を歌っているの
だとか。へぇ…。興味のある方は是非 You Tube でお聴きください。

一聴したところ、歌詞からはすぐにそれと判断できないのですが、あのメロディからしてそうな
のかなと。娘が黒猫に「ママ」と名付けて今は猫と一緒にさすらい、歌を歌っている、というこ
とが、母と似ている人生のようで実は母を乗り越えているのかもしれません。それにしても中島
みゆきの曲は深く胸を打ちます。

小学高学年かそこらの時に「中島みゆきB面コレクション」のカセットテープを意気込んで買い
ました。なのに、知っている曲が何もなくてかなりのショック!  子ども過ぎてB面が何を
指すか全く知らず、特別なコレクションではないかと思ったのですね。当時カセットは2500-30
00円くらいの高価なものでもありました。後は擦り切れんばかりに聴きまくり、今でも幾つかは
耳に残り、時々勝手に頭の中でリフレインします。

黄ラッパ水仙
↑花開いてきました。黄ラッパ水仙。



セルフ・ネグレクト

2012年03月16日

今朝のニュースで「セルフ・ネグレクト」について放映されていました。この言葉、知ってい
ますか?私は初めて知りました。自分ではどうしようもならない生活上の援助が必要な状態な
のに、他者にSOSを出したり、人の手を借りようとしないことを指すようです。セルフ・ネグ
レクト=自己放棄、とでも言ったらいいのでしょうか。昨今の「孤独死」の原因の一つが、こ
の「セルフ・ネグレクト」だとか。

報道ではどうやってセルフ・ネグレクトの人たちの心を開いていくか、が取材されていました。
高齢者は特に、「人の手、おかみの手は頼りたくない」という意識が非常に強いようです。
「人様に迷惑をかけてはいけない」という文化的特色があるのでしょう。生きるか死ぬかとい
うときに、迷惑を気にしてしまうところが私たち日本人の悲しい性だなと、何だか悲しくなっ
てしまいました。「迷惑をかける」ではなく、「必要なときに権利を行使する」へ意識変革が
必要であると思います。

アートフラワー(植物)
↑このパキラ(植物)、本物ではありません。アートフラワーなんですよ。
この頃のアートフラワーはすごい、とは聞いていましたが、本物のようで、しかも美しい。
以前勤務していたところの同僚がくれました。もう一点ありますが、それは次回のお楽しみ。
私は彼女にどれだけ支えられていたか、今も支えてくれていますが…、感謝ですね。


認知の仕方

2012年03月15日

今日は風が強かったのですが、暖かな一日でしたね。

ここのところ、上野 修著『スピノザの世界 神あるいは自然』という本を行き帰りに読んでいまし
た。スピノザは17世紀オランダの哲学者で、『エチカ』(倫理学という意)という代表的な著書があ
ります。聞いたことのある人もいると思います。上野氏の本はそれをわかりやすく解説したものです。
わかりやすいと言っても私には難しく、一読しただけでは「はぁ…」という具合なのですが…。

その中に面白い一節がありましたので紹介します。
著者はデカルトとスピノザの2人の考えを対比させています。デカルトは「我思う、故に我在り」の
人ですね。そのデカルトが著書『情念論』のなかで取り上げている例に以下があります。

「ある人がある場所に行かなくてはいけない。行ける道は2つある。このところ強盗が出没するが、
道Aは通常、道Bよりは安全である。なので道Aを選んでいくと、強盗の被害に遭ってしまう。」

この時デカルトは、「何も嘆くことはない。あなたのその時の判断は最善のもので間違っていなかっ
た。これは神の摂理(思し召し)なのだから。」と。

一方スピノザは、同じく慰めますが、もっと考え方が違う。
「旅人にとっては端的に悪い出来事だったし、強盗にとっては端的に良い出来事だった。だけど「遭
遇」そのものは良いも悪いもない。出来事は必然的に生じたまでに過ぎない。神も誰かのために働い
ているのではない。」と。

このデカルトとスピノザ。同じ出来事に対して異なる認知の仕方をしているのですよね。
道Aと道Bの選択は象徴的なもので、私たちに身近なものならば、進路、就職など人生には無数の大小
の選択肢があります。「あの時あっちにすれば、こうはならなかったかも…」、「あの時、もっと努
力していれば…」などと考えることは誰しも一度はあるはずです。

さあ、このデカルトとスピノザ、どちらの考えのほうがあなたに「許し」をもたらしてくれるでしょ
うか?

黄ラッパ水仙の蕾




日課2

2012年03月14日

朝は電車が遅れて大変でした。同じ踏切近くで2回の警報って何なんでしょう。
カラスのいたずらかしら?と車内ではのんびり〜構えていたのですが(外は急
ぎましたよ!)、クライエントさんにご迷惑をお掛けしてしまいました。ごめ
んなさい。

さて、昨日はラジオ体操のことを書きましたが、今日はどうしたわけか体の左
側が痛い…。これは徐々に体が改変されていく吉兆なのでしょうか?今のとこ
ろ痛くても続けているので、「イタキモ」という境地を段々理解してきました
が。

食べものにも最近気をつけています。別に健康志向やこだわりなど特にないの
ですが、もらった野草茶を煮出して飲むことにしています。お昼も外食を控え、
近くのお弁当屋さんで買ってきて済ませます。ここのお弁当屋さんのおばさん
、「ちょっぴり訛りがあるなあ」と思っていたらどうも栃木の人のようで、お
弁当も栃木製造のもの。未明に工場で作られ、お昼には千代田区に届いている
んですね。ヘルシーだし美味だし、¥380というとても懐の喜ぶお値段です。
何て良心的なのでしょう!これで採算とれるのかな…。

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東京ラーメン
↑ 最近こういうのがカロリー上苦手。何といってもスープが濃厚過ぎて透き
とおってない。スープパスタ?





日課

2012年03月13日

春だからこそ寒くて眠いのでしょうか。春眠暁を覚えず…。
最近、休憩時間に始めたのがラジオ体操第一第二です。憶えていますか?私はすっかり忘れて
しまったので、You Tube を見ながらやっています。You Tube の利用方法って、食材の調理の
仕方かミュージックビデオぐらいかなと思っていたのですが、こんな使い方を見つけました。

全く運動をしていないので、いい加減まずいと思って行ったところ、これが筋肉痛でたまりま
せん。ラジオ体操で筋肉痛なんて、かなりまずいですよね。特に右肩、右半身の痛みが激しく、
肩が少し上がらない。
何でもラジオ体操をバカにできないのは、あれが全身を使うからなのではなく、「普段しない
動きを体に覚え込ませて、いざという時に体が動けるようにするため」なのだそうです。緊急
避難時など予測のつかない非常時に、体が動きやすくなるということなのでしょう。

確かに、普段しない動きをしますよね。特にラジオ体操第二の最初の動きなんか、皆さん憶え
ていますか?何だかマウンテンゴリラのような動きで、小学生の時は何故か恥ずかしくてちゃ
っちゃっと誤魔化していました。あれを堂々とやっていた女子は一人もいなかったような。

本当はもっと家でストレッチとかをやればいいのですが、家=全身腑抜け、というのを学習し
てしまったようです。目の前のやれることからやっていきましょう。

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春の海


エンパワー(empowerment)

2012年03月12日

エンパワーという言葉をご存じでしょうか?

エンパワー(empowerment)は、臨床心理やソーシャルワークの世界では日常的に使われていると思います。それは、クライエントさんなどの人に力づけをすること。その人が自律的に物事を実行できるようにしていくことです。

このエンパワー、私も色々な人たちからもらっています。相手はメンタルケアの専門家だけでなく、むしろそれ以外の人たちから。当然、クライエントさんたちもそこに含まれます。「ああ、そうか、この人はこういうことにずっと苦しみながらも、ここまで来たのね…」とか、半歩踏み出して何かしようとする姿や、ずーっと沈んでいる人がちょっとした瞬間に見せる笑顔、或いは逆にずーっと笑顔だった人がやっと流せた涙などに。自分自身が仕事以外の場面で落ち込んだり疲れるときがあっても、これを乗り越える力を日々与えられるわけです。

ナラティブセラピーという現代の心理療法があるのですが、これは伝統的な心理療法とは軸を異にする思想が基盤になっています。今までの心理療法においては、「専門家はクライエントから影響を受けてはいけない。反対にクライエントに影響するのが専門家の役割」という前提があるのですが、ナラティブセラピーはそれとは異なり「セラピーはセラピストとクライエント双方の人生に影響し合う」という考えを持っています。例えば、臨床から離れた場面でセラピストがクライエントのことを思い出したりすることもあるわけですが、これは伝統的な立場から見れば「セラピストが巻き込まれている」ことにもなりかねないのです。

どちらの方が自然なのでしょうか?私は伝統的な心理療法の立場を尊重しながらも、ナラティブセラピーのほうに関心を寄せています。「医師と患者」みたいな関係では、心理療法は乾いてつまらないものになってしまうと思っているからです。

shinri1.JPG
↑ムスカリ。毎年春を告げてくれる可愛い花です。植えっぱなしOK、自然に繁茂します。


リラックス

2012年03月10日

明日は震災から一年。今日は敢えて別の話題です。皆さんは日頃どのように
リラックスしていますか?

自律訓練法の先生によれば、人には運動や睡眠のほかに「休息」が必要です。
休息とは、体や精神の緊張を解いてくつろぐことです。
「よくわかりません」とおっしゃるクライエントさんが多いのですが、よく
よく考えてみると難しいですよね。カウンセリングルームなら幾つかのリラ
クゼーションをすることができますが、日常生活でするとなると…。

思いつくのは、お風呂、瞑想(一体どのくらいの人が?)、アロマ、音楽、
マッサージ、ペットと遊ぶetc. 人によって、もっと多様な方法があるでしょ
う。自分は何かなと考えてみると、毎日毎日いたずらばかりしているペット
は違うし、アロマは焚いているだけじゃ何もならないし、マッサージは生ま
れてから一度も経験なし(カイロで懲りた)、お風呂も音楽も違う。瞑想は
たまにしますが、やっぱりこれは人にナビをやってほしい。

じゃあ、何だろうと考えた結果、やはり横になっての映画鑑賞。これがリラ
クゼーションだと改めて思いました。注意点は目を悪くさせないこと、あま
りシリアスなものを選ばないこと、ぐらいでしょうか。

ここからは余談。先日やっと『ツーリスト』を観ました。 これはアクショ
ンではなく、正真正銘ラヴストーリーですね。最初からわかっていれば、も
っとじっくり観たものを!

チューリップ
↑本日はプロの可愛らしい写真を。




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