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心理 東京
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ブログ 心's LOOM
セルフ・ネグレクト
2012年03月16日
今朝のニュースで「セルフ・ネグレクト」について放映されていました。この言葉、知ってい
ますか?私は初めて知りました。自分ではどうしようもならない生活上の援助が必要な状態な
のに、他者にSOSを出したり、人の手を借りようとしないことを指すようです。セルフ・ネグ
レクト=自己放棄、とでも言ったらいいのでしょうか。昨今の「孤独死」の原因の一つが、こ
の「セルフ・ネグレクト」だとか。
報道ではどうやってセルフ・ネグレクトの人たちの心を開いていくか、が取材されていました。
高齢者は特に、「人の手、おかみの手は頼りたくない」という意識が非常に強いようです。
「人様に迷惑をかけてはいけない」という文化的特色があるのでしょう。生きるか死ぬかとい
うときに、迷惑を気にしてしまうところが私たち日本人の悲しい性だなと、何だか悲しくなっ
てしまいました。「迷惑をかける」ではなく、「必要なときに権利を行使する」へ意識変革が
必要であると思います。
↑このパキラ(植物)、本物ではありません。アートフラワーなんですよ。
この頃のアートフラワーはすごい、とは聞いていましたが、本物のようで、しかも美しい。
以前勤務していたところの同僚がくれました。もう一点ありますが、それは次回のお楽しみ。
私は彼女にどれだけ支えられていたか、今も支えてくれていますが…、感謝ですね。
認知の仕方
2012年03月15日
今日は風が強かったのですが、暖かな一日でしたね。
ここのところ、上野 修著『スピノザの世界 神あるいは自然』という本を行き帰りに読んでいまし
た。スピノザは17世紀オランダの哲学者で、『エチカ』(倫理学という意)という代表的な著書があ
ります。聞いたことのある人もいると思います。上野氏の本はそれをわかりやすく解説したものです。
わかりやすいと言っても私には難しく、一読しただけでは「はぁ…」という具合なのですが…。
その中に面白い一節がありましたので紹介します。
著者はデカルトとスピノザの2人の考えを対比させています。デカルトは「我思う、故に我在り」の
人ですね。そのデカルトが著書『情念論』のなかで取り上げている例に以下があります。
「ある人がある場所に行かなくてはいけない。行ける道は2つある。このところ強盗が出没するが、
道Aは通常、道Bよりは安全である。なので道Aを選んでいくと、強盗の被害に遭ってしまう。」
この時デカルトは、「何も嘆くことはない。あなたのその時の判断は最善のもので間違っていなかっ
た。これは神の摂理(思し召し)なのだから。」と。
一方スピノザは、同じく慰めますが、もっと考え方が違う。
「旅人にとっては端的に悪い出来事だったし、強盗にとっては端的に良い出来事だった。だけど「遭
遇」そのものは良いも悪いもない。出来事は必然的に生じたまでに過ぎない。神も誰かのために働い
ているのではない。」と。
このデカルトとスピノザ。同じ出来事に対して異なる認知の仕方をしているのですよね。
道Aと道Bの選択は象徴的なもので、私たちに身近なものならば、進路、就職など人生には無数の大小
の選択肢があります。「あの時あっちにすれば、こうはならなかったかも…」、「あの時、もっと努
力していれば…」などと考えることは誰しも一度はあるはずです。
さあ、このデカルトとスピノザ、どちらの考えのほうがあなたに「許し」をもたらしてくれるでしょ
うか?
日課2
2012年03月14日
朝は電車が遅れて大変でした。同じ踏切近くで2回の警報って何なんでしょう。
カラスのいたずらかしら?と車内ではのんびり〜構えていたのですが(外は急
ぎましたよ!)、クライエントさんにご迷惑をお掛けしてしまいました。ごめ
んなさい。
さて、昨日はラジオ体操のことを書きましたが、今日はどうしたわけか体の左
側が痛い…。これは徐々に体が改変されていく吉兆なのでしょうか?今のとこ
ろ痛くても続けているので、「イタキモ」という境地を段々理解してきました
が。
食べものにも最近気をつけています。別に健康志向やこだわりなど特にないの
ですが、もらった野草茶を煮出して飲むことにしています。お昼も外食を控え、
近くのお弁当屋さんで買ってきて済ませます。ここのお弁当屋さんのおばさん
、「ちょっぴり訛りがあるなあ」と思っていたらどうも栃木の人のようで、お
弁当も栃木製造のもの。未明に工場で作られ、お昼には千代田区に届いている
んですね。ヘルシーだし美味だし、¥380というとても懐の喜ぶお値段です。
何て良心的なのでしょう!これで採算とれるのかな…。
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↑ 最近こういうのがカロリー上苦手。何といってもスープが濃厚過ぎて透き
とおってない。スープパスタ?
日課
2012年03月13日
春だからこそ寒くて眠いのでしょうか。春眠暁を覚えず…。
最近、休憩時間に始めたのがラジオ体操第一第二です。憶えていますか?私はすっかり忘れて
しまったので、You Tube を見ながらやっています。You Tube の利用方法って、食材の調理の
仕方かミュージックビデオぐらいかなと思っていたのですが、こんな使い方を見つけました。
全く運動をしていないので、いい加減まずいと思って行ったところ、これが筋肉痛でたまりま
せん。ラジオ体操で筋肉痛なんて、かなりまずいですよね。特に右肩、右半身の痛みが激しく、
肩が少し上がらない。
何でもラジオ体操をバカにできないのは、あれが全身を使うからなのではなく、「普段しない
動きを体に覚え込ませて、いざという時に体が動けるようにするため」なのだそうです。緊急
避難時など予測のつかない非常時に、体が動きやすくなるということなのでしょう。
確かに、普段しない動きをしますよね。特にラジオ体操第二の最初の動きなんか、皆さん憶え
ていますか?何だかマウンテンゴリラのような動きで、小学生の時は何故か恥ずかしくてちゃ
っちゃっと誤魔化していました。あれを堂々とやっていた女子は一人もいなかったような。
本当はもっと家でストレッチとかをやればいいのですが、家=全身腑抜け、というのを学習し
てしまったようです。目の前のやれることからやっていきましょう。
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エンパワー(empowerment)
2012年03月12日
エンパワーという言葉をご存じでしょうか?
エンパワー(empowerment)は、臨床心理やソーシャルワークの世界では日常的に使われていると思います。それは、クライエントさんなどの人に力づけをすること。その人が自律的に物事を実行できるようにしていくことです。
このエンパワー、私も色々な人たちからもらっています。相手はメンタルケアの専門家だけでなく、むしろそれ以外の人たちから。当然、クライエントさんたちもそこに含まれます。「ああ、そうか、この人はこういうことにずっと苦しみながらも、ここまで来たのね…」とか、半歩踏み出して何かしようとする姿や、ずーっと沈んでいる人がちょっとした瞬間に見せる笑顔、或いは逆にずーっと笑顔だった人がやっと流せた涙などに。自分自身が仕事以外の場面で落ち込んだり疲れるときがあっても、これを乗り越える力を日々与えられるわけです。
ナラティブセラピーという現代の心理療法があるのですが、これは伝統的な心理療法とは軸を異にする思想が基盤になっています。今までの心理療法においては、「専門家はクライエントから影響を受けてはいけない。反対にクライエントに影響するのが専門家の役割」という前提があるのですが、ナラティブセラピーはそれとは異なり「セラピーはセラピストとクライエント双方の人生に影響し合う」という考えを持っています。例えば、臨床から離れた場面でセラピストがクライエントのことを思い出したりすることもあるわけですが、これは伝統的な立場から見れば「セラピストが巻き込まれている」ことにもなりかねないのです。
どちらの方が自然なのでしょうか?私は伝統的な心理療法の立場を尊重しながらも、ナラティブセラピーのほうに関心を寄せています。「医師と患者」みたいな関係では、心理療法は乾いてつまらないものになってしまうと思っているからです。
↑ムスカリ。毎年春を告げてくれる可愛い花です。植えっぱなしOK、自然に繁茂します。
リラックス
2012年03月10日
明日は震災から一年。今日は敢えて別の話題です。皆さんは日頃どのように
リラックスしていますか?
自律訓練法の先生によれば、人には運動や睡眠のほかに「休息」が必要です。
休息とは、体や精神の緊張を解いてくつろぐことです。
「よくわかりません」とおっしゃるクライエントさんが多いのですが、よく
よく考えてみると難しいですよね。カウンセリングルームなら幾つかのリラ
クゼーションをすることができますが、日常生活でするとなると…。
思いつくのは、お風呂、瞑想(一体どのくらいの人が?)、アロマ、音楽、
マッサージ、ペットと遊ぶetc. 人によって、もっと多様な方法があるでしょ
う。自分は何かなと考えてみると、毎日毎日いたずらばかりしているペット
は違うし、アロマは焚いているだけじゃ何もならないし、マッサージは生ま
れてから一度も経験なし(カイロで懲りた)、お風呂も音楽も違う。瞑想は
たまにしますが、やっぱりこれは人にナビをやってほしい。
じゃあ、何だろうと考えた結果、やはり横になっての映画鑑賞。これがリラ
クゼーションだと改めて思いました。注意点は目を悪くさせないこと、あま
りシリアスなものを選ばないこと、ぐらいでしょうか。
ここからは余談。先日やっと『ツーリスト』を観ました。 これはアクショ
ンではなく、正真正銘ラヴストーリーですね。最初からわかっていれば、も
っとじっくり観たものを!
↑本日はプロの可愛らしい写真を。
テレワーク
2012年03月09日
テレワークという言葉をご存じでしょうか?私は昨日初めて知ったのですが、言われて
みればあーそういうことね…と納得です。テレ=遠い、ワーク=仕事、つまり一定の勤
務地に出かけずとも、情報通信機器などを使って仕事をすること、だそうです。因みに
会社員でテレワーカーの人もいれば、法人格をもつテレワーカーの人もいます。
パソコンやモバイルなどを使用し、場所や時間に拘束されずに自由に仕事ができるので、
沢山のメリットがあるとのことです。例えば一極集中を緩和し(昨年の地震や台風の災
害時には首都圏の交通麻痺が深刻な問題でした)、 育児や介護をしている人たちの在
宅ワークを可能にし、企業側もコスト削減や利益増加が見込めるらしい。
一方、会社や働く人双方にとって、労務管理の問題など難しい面もあるとのこと。高度
な技術をもっている人なら時間単価の高い仕事があるにしても、データ作成などの仕事
の場合、安価に使われてしまうこともある。また会社の場合、新人社員を育てにくいと
いった問題もあるようです。
さて、テレワーク人口はこれから増えていくのでしょうか?
個人的に思うのは、働く形態が多様化するのはいいことだと思います。社会や集団で働
くのが苦手な人でも仕事への門戸が広がるからです。ちょっと思い返すと、私たちの3
世代前の人たちは、もっと居住地に近いところで働く人が大半で、通勤している人はあ
まりいなかったと思います。主要産業が変化したことが大きいのでしょうが、国内の第
三次産業も頭打ちの感のする昨今、勤務形態もまた自ずと変化していくように思います。
ただし情報通信機器だけに頼って仕事をしていると、意思疎通がうまくいかなかったり、
信頼関係を築けなかったり、返って不利益が生じることも多々あると思います。
心理カウンセリングでも、電話やスカイプ、メールによって手段が広がりましたが、や
はり場の空気というか間合いのようなものが非常に大切だと思います。当然なのです
けれど…。