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心理 東京
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ブログ 心's LOOM
さくらの季節
2012年03月30日
桜の開花は間もなくでしょうか。東京では九段下の靖国神社の花が観測されているのですよね。個人的に桜はヒラヒラ舞い散っているところが好き。よく桜の散り際の良さが詠われますね。でも椿のようにボテッといきなり地面に転がるものも非常に好き。「首が落ちる」などと言って嫌われますが、私は何てゴージャスなのだろう!と感心します。
しかし、今日は風が強いこと。月にむら雲、花に風、ともいうように、実は3,4月は風が強い季節なのだと思います。そして何より、鼻水も鼻づまりも苦しい…。風が強い日の風邪はたまりません。神経を逆撫でされているような、そんな気分にさせられます。猫だったら、思いっきりそこらの壁で爪研ぎしたい気分です。しかも今夜はまた勉強会。あ〜、集中できるのだろうか…。まあ、いいや、座ってなんぼ、ということにしましょう。今日のブログはそういうわけで、頭が回りません。
下記の画像は、以前ここを訪れてくれた知人がくれたポストカード。光の画家フェルメールと同じ17世紀のオランダの画家、ピーテル・デ・ホーホという人が描いたものです。デジカメで撮ったため明るくなっていますが、本当はもっと暗いトーンの絵なのでしょう。
↓《中庭にいる女と子供》
4,5歳くらいの女の子なのでしょうか。鳥籠をもって、女中さんに連いて回っているのでしょうね。17世紀になってようやく、子供が美術で扱われるようになったと聞きます。それまで子供が特別な扱いを受けることはなかったようです。さて、今の時代はどうでしょうね。
子どもの世界
2012年03月29日
今日もとてもぬくぬくとした一日です。
こんなにいいお天気なのに、すっかり風邪を引いてしまいお昼は温かいお粥を食べました。おいしかった〜。昼食後は、例の絵本屋さん『ブックハウス神保町』へ出かけてきました。絵本2冊を購入しましたので、また待合室へ置いておきますね。
一冊は『空がレースに見えるとき』(初版1976)
これはまだほんの子どもの頃、大好きでしかたがなかった絵本です。幼い女の子たちの夢のなかの世界なのでしょうか。大変幻想的な作品で、この絵本を読んでいるときは心が自由になった気がしたものです。頭ではなく、感覚で味わってみてください。
二冊目は『水たまりおじさん』(2005)
これは著明なレイモンド・ブリッグズの作品です。えっ、誰?という方も、『スノーマン』のキャラクターやお話をご存じでしょう。
ブリッグズのこま割りマンガのようなスタイル、細部の緻密な絵、しんみりとくるストーリー展開に心がいつも打たれます。この『水たまりおじさん』、一読すると???と思うことでしょう。たぶん、この子どもは疑似家族をつくり、自分の心を癒やしているのだと思いました。後は読んでのお楽しみ…。
香りいろいろ
2012年03月28日
お昼はぽかぽか陽気でした。気持ちいい〜。
カウンセリングルームの入り口に大家さんが鉢植えにしている沈丁花があります。気持ちがシャンとする、とてもいい香りです。梅、スイセン、ヒヤシンスなど、春の花は香りのいいものが多いですね。冬の長い眠りから覚め、小鳥や虫たちを引き寄せて種の繁栄のために交配しようとしているのでしょうか。
香りといえば、この界隈の朝は、コーヒー豆のかすかな香りが一面に漂っています。斜め前の豆屋さんで豆を煎っているからでしょうか。戸外にいるよりもオフィスに着いて窓を開けた時の方が断然香ります。ああー、オフィスでも入れ立てのコーヒーを飲みたい。願掛けというわけではありませんが、自分の目標が達成したらいつかコーヒーマシンを買いたいと思っています。
皆さんは、どのような香りが好みですか?忘れられない香り、懐かしい香り、色々あると思います。ちょっとマニアックになりますが、私は和菓子屋さんの包み紙の匂いが好きでたまりません。知っていますか?高級和菓子店の厚い立派な包装紙ではなく、町の和菓子屋さんのよくある薄い包み紙の裏の匂いです。紙の表ではなく裏、ですよ。あれ、何なんでしょう。すーっとかぐと本当に心が落ち着くいい匂いです。経験のない方は是非お試しを。
それからカウンセリングルームで一番人気の飲み物は「カモミールティ」です。どうしてこんなに良くはけるのか、やはりカモミールの鎮静効果ゆえでしょうか。他のハーブティも追加しましたので、よかったら飲み比べてみてくださいね。
生きた語り
2012年03月27日
昨夜はまたまたドキュメンタリーの日。
タイトルは「同日同時刻生中継、被災地の夜」。観られた方も多いのではないでしょうか。3月11日午後9時から放映された生中継番組で、私は2週間後にやっと観ました。一年前の2011年3月11日の同時刻に人々がどのように一夜を過ごしていたのか、家族や個人が5組出演し、交代交代に被災したときに近い場所で当時の体験を語るという、一つのオムニバス作品のような生中継でした。
取材に応じるという勇気ある行動と、極限状態を人々がどのように乗り越えたのか、ということに関心があったので、非常に興味深く観ました。
海岸から15キロ沖(15キロもですよ!)を屋根の上に乗って3-4日漂流した男性、列車の中で集団で夜を明かした女性たち、津波に襲われた病院に入院していた女性と医師、火事やガス爆発の頻発するなかで一つの家に集まった3家族、かろうじて屋上の避難ハシゴに捕まって助かり一夜を明かした男性など、ふだんのニュースからは伝わってこない「生きた語り」でした。
それぞれが家族を目の前で失ったりしながらも、どうして乗り越えられたのか。それは残された人たちで何とか生き抜こうとする強い意思や、失った家族の分を生きたい、生きて誰かに伝えたいという思いがあったからでした。ここぞとなると人は強く、生きる方向に自然と向かうのだなと、そう思いました。むしろ悲しみや不安などの感情はひとまず落ち着いてからやってくるのでしょうね。
ただこの番組、ナレーターの俳優さんがもっと淡々とやってくれればよかったな。別に演じなくてもいいのに…。
ムーミンの国
2012年03月26日
3月も下旬というのに寒い一日でした。とはいえ動くと温かくなるので、やはり平均するとだいぶ違うのでしょうね。以前のブログでご紹介したヒヤシンスも開花しました。栄養を与えていなかったので貧弱ですが、鮮やかな瑠璃色&紫色です。
今朝はゆっくりとニュースを見て過ごしていました。そこで流れていたのは、フィンランドの最終処分場についてです。ゴミではありません、原子力発電所の核廃棄物最終処分場です。首都ヘルシンキから400km以上離れたオンカロという地の、地下400m以上のところに広大な廃棄物保管場所を設け、10万年は耐久するように設計しているそうです。まだ建設中ですが、近い将来使用開始になるとのこと。
岩盤が非常に硬く、過去に地震や火山活動などの影響を受けたことがないとのこと。また、10万年というのは、仮に人類が滅亡して他の種の生物が地球上にいたとしても生命に影響が出ないように想定しているのだとか。
経済活動の存続に原子力は欠かせないと主張する経済界や政界のトップたちは、50年後さえ生きていないでしょう。原子力エネルギー使用の是非ではなく、未来の子々孫々のことをどうやったら本当に考えることができるのでしょうか…。
聴覚
2012年03月25日
3月も最後の日曜日となりました。近頃は朝方寝ていると、調子っ外れのうぐいすの鳴き声が聞こ
えてきます。ああ、もっと寝ていたい。よーく耳を澄ますと、他の鳥たちの声も聞こえてきます。
以前、聴覚を研ぎ澄ます訓練が好きでよくやっていました。大変気持ちがいいものなので、良か
ったらやってみてください。スティーブン・ファーマーという精神療法家の著書に載っていたも
のです。因みにスティーブン・D・ファーマーではありません。
やり方は簡単です。静かな環境で身体をリラックスさせ、目を軽く閉じて耳を澄まし、聞こえて
くる音をひたすら聞くのです。リクライニングの椅子やソファに座ってでもいいし、私などは早
朝の布団の中で行います。
今、こうやって目を閉じても、BGM、秒針、ヒーターの機械音、風の音、建物のどこかが軋む
ような音、往来の車やバイクの音、自分の息やお腹の音、色々きこえてきます。近い音、遠い音、
大きい音、ごくごくかすかな音、空間は様々な音に満ちています。
人は聞きたいものだけを聞き、見たいものだけを見る傾向が強くあるようです。でも世界は自分
が見聞きするものだけで成り立ってはいない。自分の感覚を研ぎ澄ませると、今まで知らなかっ
た色々なことに気付いていく。これをやると深いリラクゼーション効果があるようにも思います。
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↓これは今朝撮ったミモザ。よそのお宅のを急いで撮らせてもらったので、ピントがずれていま
す。レモンイエローのきれいな色。セイタカアワダチソウ(ブタクサ)ではありませんよ。でも、
似ている…
身繕い
2012年03月24日
冷たい雨ですね。
春の季節の変わり目は新年度が始まる時期でもあり、心が不安定になる場合があります。そのことを自覚して、無理をせず、一人で抱え込まないようにしましょう。
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さて、昨日のブログにも書いたように、昨夜は久しぶりに美容室へ行き美容師さんとお話ししながら髪をやってもらい、心身(心髪?)のリフレッシュができました。身だしなみも大事だなとは思うのですが、現実は手抜きが多くいけません。
身だしなみでよく思い出す話が、菊池寛の『形』。一定の年齢の人たちは国語の教科書でご存じかと思います。私はこの話が頭から離れない程、強く印象に残っています。
筋としては、「戦場で断トツ強い一人の武士がいる。彼は鮮やかな緋の甲冑を着装しており、その出で立ちが現れただけで周りは恐れおののく。あるときその武士は緋の甲冑を人に貸してしまい、普通の目立たない甲冑を着けて戦場に赴くと、あっけなく命を落としてしまう」、というものだったと思います。
この短編で感じたことは、「外見は内実より勝る」や「外見は大事」ということではなく、「外見は時に威力を発揮する」ということを著者は伝えたかったのかなということでした。実際のところはどうなのでしょう?味わいのある小説です。