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ブログ 心's LOOM

サプライズ

2012年04月15日

昨日の朝でしたでしょうか、面白いニュースをやっていました。

何でも都内で開かれている金魚の品評会で、何百に及ぶ金魚たちが一つ一つの水槽のなかで優雅に泳いでいました。

色取り取りの可愛い金魚たち。えら横のひれ(腹ひれ?)、背びれ、尾ひれ、全体の大きさ、形、鱗模様などで甲乙付けられるようなのですが、どれも可愛く立派で、素人目にはわからない。鮮やかな朱色と白のブチ模様などは、染めの絹織物のよう。

農林水産大臣賞の金魚なんぞは、言われてみればふくよかで美しく、一級品でした。ただし、そう言われてみれば…。

さて、その隣の水槽に、真っ白で正絹のような光沢のふっくらした金魚がひらひらと泳いでいました。これ、何賞だと思いますか?農林水産大臣賞の隣ですよ!都知事賞くらいか何かなのではと…。

ところが、この金魚の垂れ幕には、「びっくりコーナー」とのみ。この見事な金魚、どうやらびっくりするほど大きいみたい。農林水産大臣賞と大きさは変わらないんですけどね。あまりの賞のギャップに笑ってしまいました。

大臣賞はなくとも「びっくり賞」。何とも可愛いではないですか。臨床心理にはサプライズが必要だと先日言われたばかりなのですが、金魚品評会のユニークさにサプライズを受けたのでした…。私も人生のびっくり賞くらい取りたいものです。

さくら花





相対的に

2012年04月14日

しとしと雨ですね。

昨夜は専門家同士の勉強会がありとても疲れてしまいました。この勉強会、1クール10回の4クール目終盤なのですが、当初は大学院の元クラスメイトたちが大勢いたものの、一欠け二欠けどんどん減っていき寂しい限りです。やはり療法が特殊なのでしょうか。機種依存文字という言葉になぞらえるなら、セラピスト依存療法、とでも言ったらいいのでしょうか。器によるんだな…と、私も半ばシュンとしてしまいました。

まあ、もう少し、肩の力を抜こう。唯一絶対の方法があるわけではなし、無理に根詰めてやることもなし、自分に見合うものをゆっくり進めていけばいいと思いました。

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サンタの夏休み



ライフログ2

2012年04月13日

暖かい、気持のいい日ですね。
さて本日は、4/11付けブログで書いた、ライフログについてもう一言。

前回はスマートフォンなどの情報端末に逐次記録している人たちのことを書きましたが、同じライフログでも手帳やノートに書き溜めている人たちも増加しているそうです。

これはどちらかというと日記ですが、夜などに一日を振り返って書くというより、ノートや手帳を携帯して空き時間にもっと小まめに書き記す感じなのでしょう。

ノートにとるということは、自分を紙の上に表現することであるのと同時に、そこに書かれたものが今度は新たに自分というものを作り上げていく、という、実はとても貴重な相互作用なのだと思います。最近は文具店でペンの滑りのいい高級ノートも売れているのだそう。これも自己肯定感を高める一つのアイテムなのかもしれませんね。

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皇居周辺
↑ここのところ、撮りためた桜の写真しかありません…。さあ、これで見納め?





成人

2012年04月12日

気になる動きがあります。

成人年齢を引き下げようとする議論が政治レベルでされているのを知っていますか?20才から18才へ引き下げ、選挙権を与え、政治に関心をもってもらい、未来の担い手として若者の声をもっと社会に反映させよう、という狙いのようです。

しかし当の若者たちが、18才に抵抗を示しているとの統計調査があります。2才引き下げて何が変わるの?ということみたい。

北欧をはじめヨーロッパでは、若い人の国政参加や政治活動、社会活動が盛んです。スウェーデンでは、小学生の時から学校経営やコミュニティ活動に子どもを積極的に参加させて教育しているのだとか。

例えば、学校で必要なものは何で、予算は幾らか、などを議論させ、決定・購入をさせる。また、町の色々な職種の人と交流し、ディスカッションをして要望を出させていく。また大人の側も、子どもの声に耳を傾ける姿勢ができている。

子どもでも経済や社会の動向に無関係には生きられません。なので小さいときから社会の仕組みを学び、考える力や意見を述べる力を養うことは非常に大切だなと思いました。何しろ偉そうなことを言っている大人たちは50年後にはほとんどいないのです。

北欧のような社会の素地があってこそ、成人年齢の引き下げは意味があるのでは、と思われます。「社会」ということを考えることなしに、「さあ、選挙権だよ」と言われても、「どうせ私たちの一票なんかあっても変わらないしさ…」という無力感が増すだけでしょう。

今朝の世界ニュースで、日本の所得再配分をした場合の相対的貧困率は、先進諸国と比べてとても高いと報じられていました。つまりrich層とpoor層の格差が大きいといういうことです。poor層は若年化しています。

成人を18才にするということは、国民年金など税の徴収対象にもなるということでしょう。おそらく…。若い人たちが本当に生きやすくなるのでしょうか。

さくらのはな




ヒヤリ

2012年04月11日

昨日はヒヤリとしたことが。

6時を過ぎてインターフォンが鳴り画面越しに出てみると、何でも神保町駅の地図看板の作り替えで場所を確認したいという男の人がいました。手には地図を持っており、何となく町内の人、という出で立ちだったので、何も考えずにドアを開けてしまいました。

家では赤十字などの募金、町内会費の集金などが比較的日常あるので、その延長かなという思い込みがありました。

ドアの前にいたのは初老のおじさんで、カジュアルな服装に、ピラッピラの昭和時代の紙じゃないの?というような大きな古い地図を広げて、「ここがカウンセリングルームの場所ですか?」と聞いてきました。古ぼけた地図(怪我をしたとき傷口に貼り付ける黄色い油吸い取り紙のようなもの)をぴらぴらさせるので確かめられないでいると、「それではですね、看板代が3150円になります」と言って領収書台帳を開きはじめました。

なぜ有料?と思い、「お金が必要ならうちはいいです」と断ると、そのおじさん、ものすごくキョトンとし始めたんですね。払わないなんてことは前代未聞だよ、アンタ、みたいに無言になったのです。

咄嗟の判断で「じゃあ、大家さんに行ってください」と伝えたら、「大家じゃなく個別に回っているんですよ、なんで?」とまたもや上手にキョトンとする。

何だかこちらが無理難題を言っているのかと迷いが生じはじめ、「ちょっとお待ちを」ということで一度ドアを閉めて中で相談をしました。そうしたらドア越しに、「断るんだったら断ってもいいんだよー」と大きな声で言っている。ドアを開けて「やはりうちは結構です」とこちらが言うや否や、「大家に言わずとも断ればいいんだよー」とブツブツ言いながらエレベータに乗って去って行きました。

ドアは絶対開けるなと言われているのに、何も考えずに開けてしまいました。
自分はずっとオレオレ詐欺系に引っかからない人間だろうと思ってきましたが(根拠はないのに)、実は危ないのでは?と改めて感じ入りました。だけど、あのキョトンというのは嫌ですねー。あれは凄いテクニックです。次は絶対動揺しまい。

千鳥ヶ淵遠景
↑のどかなのは春の風景のみ?





ライフログ

2012年04月10日

昨夜は「ライフログ」を報じた番組を観ていました。
この言葉、知っていますか?

life log=日常の記録

何でも生活の1コマ1コマを携帯端末などに記録するのが若い人達(といっても20-40代)の間で流行りなのだそうです。

例えば、3度の食事の画像と内容、飲食店などの店舗情報、体重、一日の時間割、誰と何をしてどんな風に過ごしたかなど、微細に記録していきます。日記と違うのは、一日の終わりに書いたりするのではなく、同時進行的にこまごまと記録していくそうです。

報道では、カップルが飲食店の店構えや頼んだ食事などの画像をその場で撮り、携帯端末に保存・整理をしていました。2人のデートは life log の共同制作です。
またある学生は、一日のスケジュールを細かく保存し、「今日は余暇時間が長すぎたー」などと言っていました。

また対人関係を全て記録していくと、「Aさんとは最近疎遠ですね」というようなことを指摘してくれるソフトや、食事内容をカメラで撮ると解析して何calと教えてくれる実用的なものもあるのだとか。

ツイッターなども同じ延長線上にあると思うのですが、こんなに毎時毎時毎分毎分、よくぞ情報端末に向かっていられるなーと大変驚きました。だけど気懸かりなのは、実生活そのものに集中できているの?ということです。コメンテーターの糸井重里氏は、「自己肯定感みたいなものを自分で作るためにやっているのかな。自分にはよくわからないけど…」と言っていましたが、一過性の流行なのか、今後定着していくのか、行く末を見ていきたい興味深いテーマだと思いました。

2羽の鴨





味覚一考

2012年04月09日

春らしい気持ちのいいお天気でした。
普段出来ない家事などをしながら、合間にグーグー昼寝もし、気がつけば夕方です。空の色がオレンジ色になる夕方は、何となく寂しさを感じます。子どもの時は、夕刻にどこかの犬の遠吠えなんかが聞こえてくると、もっと強い寂しさを感じていました。今はそういう感覚がありません。これは感覚が鈍くなってきたのかもしれませんし、歳を経ることの利点の一つなのかもしれません。

昨夜は東京駅界隈で小さな買い物をし、食事をし、帰途につきました。エキチカにラーメンストリートというのがあるのを知っていますか?どのお店もたいそう行列なのですが、さっさと済ませたかったので一番行列ではないところに入りました。

ラーメンは塩分に気を付ければ手軽に食べられる庶民の味方です。しかし…。最近のラーメンはどうしてこうも濃厚なのだろう…と、一緒に入った人たちとラーメン話に盛り上がりました。若い人たちにはいいのかもしれませんが、ギトギト濃厚なのはきつい。醤油ラーメンでさえ、透き通っていないのです。

結論。ラーメン店の競争激化により、味が濃くなる一方なのだと。客を引くには濃厚な味の方が断然インパクトがありますよね。昭和・平成ラーメン史なるもの、あれば大変興味深いのですが…。

心理のブログになぜラーメンのことが?と思いますが、実は「時代による味覚の変化」というものがあるのか、ないのか、とても気になるからでした。私はあると思うし、味覚が鈍磨していないのか、危惧もしています。時には、自分の「舌」のことも振り返ってみたいものです。日頃どんな食べ物を乗せ、何をおいしく感じ、何に違和感を感じるのか…。

あじさいの若葉
↑一昨日の嵐で落ちていたあじさいの若葉。あじさいはある程度水だけで生きられる強さがあります。




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