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ブログ 心's LOOM

手紙

2012年02月08日

ここのところ手紙によるお便りをもらうことが増えているような気がします。数は
多くないのかもしれませんが、すっかりメールに頼った生活をしているのでとても
新鮮に感じるのかもしれません。手紙をもらうと嬉しくて、この静かな嬉しさは何
だろうと思いました。
海を越えたところで暮らす友人、近くにいてもなかなか会えない友人、一度も会っ
たことのない遠戚、今ではすっかり縁遠くなった親類、天国へ逝った家族の友人知
人、と送り主はさまざまで、歳月とともに多様になっていく気がします。
人と人の距離は近くなったり遠ざかったり常に変化し続けますが、そんな関係の濃
淡を手紙が埋めてくれるのかもしれません。
エアメール

こんな人を見た。

2012年02月07日

東京メトロのマナーポスター「こんな人を見た。」をご存じでしょうか?
私のなかでの昨年からのヒット!
電車に乗ると眉を顰めたくなる光景に出くわすことがよくありますが、この一連のポスター
を見ると、「いるいる、こういう人いるよね」と自然に笑みが浮かび、トゲトゲした気分を
和らげてくれる傑作です。人のことばかりでなく、自分もこのインコみたいなことをしてい
ますし…。もっと他のこともしているかな…。
(東京メトロのマナーポスターはこちらで↓)
道徳的なことを正論で説いても、「堅苦しい人ね」と一蹴されるか、「うるせえな〜」と
聞く耳を持ってくれないことが多いものですが、ユーモアの力は偉大なり。場を和ませ、
且つ様々に効果的であると言えるでしょう。
ユーモアは、精神分析理論における防衛機制(情緒的葛藤や外的ストレス因子に対処す
るメカニズム)のなかの一つであり、内外のストレス因子に対し最も良い適応状態を示
すことができるものです。
「だけど、ユーモアってどう身につければいいの?」という質問をよく聞きますが、さ
て、どうすればいいのでしょうかね…。
難しく考える必要はなし、ユーモアに対する感応性を高めましょう。では感応性を高める
には?これはまたの機会にて…。

humanその2

2012年02月05日

本日は「human、なぜ人間になれたのか」の続きです。第一部の話題ですが、とても印象深
い人間の脳についての実験がありました。
目の見えない人がいます。彼は視神経や角膜など目そのものの異常はないのですが、脳の中
の後頭部・視覚野に損傷があるため目が見えません。視覚野は目から入った情報を処理をす
るところです。
その全盲である人に、あるスライドを一枚ずつ見せていきます。スライドには、人の笑った
顔、怒った顔、悲しげな顔、困惑した顔など、様々な表情が一つずつ映し出されています。
被験者はスライドを提示される毎に、「ネガティヴ」「ポジティヴ」と顔の判断をしていき
ます。悲しげな顔=ネガティヴ、微笑んでいる顔=「ポジティヴ」といった風に。
目が見えないのに、その人は正確に表情を判断することができる。目が見えないのにですよ。
これは、人が情動を感じ取って判断するのは、目ではなく脳の扁桃体という部分で行うから
だそうです。情報はどこから入っていくのだろう?という疑問が残りますが、それにしても
脳の機能というか脳の力というものに大変驚きました。
この実験に対し少々意地悪く考え、では「仏のような顔をした詐欺師などが目の前にいたら
その表情をどう判断するのだろう」という疑問が生じますが、これはたとえ視力に問題はな
くても難しいことなので、あくまでも表情ということなのでしょうね…。人物の意思と表情
が一致している場合なのでしょう。
スプレーマム

節分

2012年02月03日

2月3日、本日は節分です。あちこちで異常な積雪が報告されており、大変な思いをされている
方が沢山いらっしゃいますね。もうこんなに降ったのだから、いい加減やめてといいたい。い
ち早い春の到来を切に願います。
今朝は蛇口から全く温水が出ず、顔を洗うのもままならない状態でした。手がかじかむこと!
ガスではなく水道管が凍ったためで、こんなことは初めてです。お風呂場の窓も完全凍結、開
きませんでした。
東京千代田区の銭湯
画像はカウンセリングルームから数分のところにある銭湯「梅の湯」。お昼に歩いて見つけま
した。専大交差点から1,2分のところ、マンションの1階にあります。さすが東京千代田区ですね。
JRが動かないなど何かあればオフィスに泊まり、お風呂はここに来ればよし、と密かに思いま
した。新天地をぶらぶら歩くことは、マーキングをしているようで楽しいですね。
次の画像は、はねつき餃子ならぬ、神田達磨のはねつき鯛焼き。こちらは神保町交差点そばで
どうぞ。
東京神田のはねつき鯛焼き

50年後は

2012年01月31日

寒い日が続きますね。日本海側や山間地は大雪で大変なことになっているようです。早く止む
ことを祈るばかりです。
東京や関東も例年になく寒い気がするのですが、昨日は時々晴れ間ののぞく、心地いい日でした。
shinri2.JPG
ニュースを見ていたら、50年後には日本の人口が8000万人台になるとありました。しかも国民
の4割が65歳以上の高齢者になるとのこと。この数値、ちょっとびっくりしませんか?
因みに女性の合計特殊出生率(女性一人が生涯に生む子どもの数)は1.35ぐらいで、今後あま
り変わらずに推移するともありました。
その前日だかのニュースでは、東南アジアから介護施設に働きに来ている若者たちが、日本の
介護福祉士の試験を受けている模様が伝えられていました。インドネシアやフィリピンなどか
ら来日している彼らたちは、介護士として働きながら4年間の間に日本語を覚えて試験に受か
らないと帰国させられることになります。また本国では看護師の資格のある人が、日本では介
護士としてのみ受け入れられるという実情もあります。
介護という大変な労働をしながら、一生懸命勉強しても漢字や専門用語が難しい。アルファベ
ットやカタカナ表示がされるようになって、試験は少しはラクになったのでしょうか。
施設で働く東南アジア出身の女性から、「日本や日本の家庭はあまりオープンじゃあないね…」
と言われたことがありました。確かに…、私たちは制度一つにしてみても閉鎖的なところがあ
ります。
ただでさえ介護人口は不足しているのに、高齢者は増加し、労働人口は減るばかり。50年後、
現在成人の人も高齢者の仲間入りです。外国人労働者のお世話になることは必至のことでしょう。

human

2012年01月28日

「ヒューマン、なぜ人間になれたのか」というNHKスペシャルを録画して観ています。
まだ1回の放送ですが、これがとても面白い。
その中で、京都大学霊長類研究所のチンパンジーの実験が放映されていました。2つ
の透明ケースにそれぞれ入れられたオスとメスのチンパンジー。二つのケースの間
には、上部に開口部があり、お互いにモノを渡せる仕組みになっています。
さて、オスのチンパンジーのケースの前には、容器に入ったジュースが置かれてい
ます。ケースの全面下方にも開口部があり、オスは一生懸命腕を伸ばしますが、ち
ょっとのところで届きません。
はて横を見ると、隣のメスのケースにはステッキがあります。オスは間仕切りの上
から腕を伸ばして、メスにステッキを渡してもらい、めでたしめでたし、ジュース
を引き寄せて飲むことができます。1匹(1頭?)でゴクゴクと…。
さらにその次の日。ジュースもステッキも同じような状況が作られています。オス
は目の前のジュースが飲みたくてしょうがない。オスはバタバタソワソワしだしま
すが、メスは無視。オスが開口部から腕を伸ばして「ステッキを頂戴頂戴!」とす
ると、メスはステッキを寄こしてくれました。めでたし、めでたし…。
この実験から言えることは、「チンパンジーの世界では明示的なコミュニケーショ
ンが必要とされる」ということらしいです。700万年前人間とチンパンジーは進化
の過程で分岐し、1%の遺伝子の違いが生じました。
チンパンジーははっきりとしてわかりやすいコミュニケーションをするけれども、
一方人間は、その場の様子や気配を窺い、協力行動をとることができる、という
ところが両者の徹底的な相違らしいのです。
人間が曖昧で繊細なコミュニケーションをとることができるのは、進化の結果なの
ですね。高度で複雑なコミュニケーション、だからこそ苦悩が生じたとも言えるの
ではないでしょうか。
大概のクライエントさんは、特にACだと言われるクライエントさんは、人の顔色を
大変よく見る傾向があります。それは一つの能力ですが、苦痛の源にもなるわけで
す。時に深読みしすぎることもあるでしょう。或いは正しく顔色を判断したとして
も、自分にとって優しいものにならないこともあるでしょう。
チンパンジーは本当に単純なコミュニケーションしか理解できないのでしょうか?
それとも、更に上手の「鈍感さ」なる能力があるのでしょうか。
舌を出す猫

白いリボン

2012年01月26日

お正月にミヒャエル・ハネケ監督の「白いリボン」(2009独英)という映画を観ました。
モノクロだったこともあり、一度は途中で居眠り…。というより横眠り…。面白い映画
だということで、再度挑戦して見終わりました。
一言、怖い。重い鼠色の雲が、空一面低く覆い被さっているような印象の映画です。抑
圧された人々(子ども)が何を考え、何をするかわからない恐怖にみちた作品です。
舞台は1913-1914年、第一次世界大戦直前のドイツ北部の小さな農村です。収穫祭など
牧歌的な村の様子が描き出されながら、村人の大半は貴族一家の荘園で働く小作人であ
り、教職より仕立屋のほうが食べていける、息苦しく貧しい時代です。
映画は冒頭から医者の落馬ではじまり、村人の転落死、村の納屋の全焼、子どもの失踪
と暴行事件などが次から次へと起こり、犯人はわからない。幾つかの家庭における、親
子や男女の歪んだ関係性も描かれていきます。
白いリボンというのは、牧師が子供たちの腕に巻く「純真無垢」の証、戒め・罰として
のリボンのことを指します。帰宅が遅い、学校で騒いでいた、自慰行為をした、などの
理由で厳格に罰せられる。鞭や打擲よりもっと子どもの心を深くえぐるのは、この白い
リボンなのかもしれません。「お前は穢れている」ということの証なのですから。
絶対的権威者として振る舞う父と力のない母、緊張感に包まれた家、というのは何も牧
師一家だけでなく、この時代に共通することなのかもしれません。では、現代が全く違
うかというと、果たしてそうなのでしょうか…。
「白いリボン」公式サイト
www.shiroi-ribon.com/
小菊 in クラクフ

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