2017年10月29日
今週も無事終了しました。
今日も一日雨、先週の日曜も雨、雨の多いこの頃で、少し気が滅入りますね。明日は晴れるようで、存分にお布団を干したいと思います。
天候不順で鬱々としたときは、どのような工夫をして過ごしていますか。
湿度が高いと掃除もカラッといかないので気が乗りません。そういう時私は、お香を焚いたり、料理をしてこまめに手を動かしたり、深く考え事をしないように努めています。まだ太平洋側はいいですが、日本海側の人たちはどんな工夫をして日々を過ごしていらっしゃるのか、気掛かりなところです。何か生活の知恵とかあるのでしょうか…。
2017年10月21日
関東は明日からの台風が心配ですね。
遠方の方は予約を変更されていますが、今ご予約のある方は通常通り明日開室します。明日の夜半から明後日朝にかけてが暴風域に入るようですので、むしろ月曜日の通勤時が心配でしょうか。
ブログの更新も滞っておりますが、先日の神戸の写真を掲載します。言葉も慣習も異なる関西圏の街に足を運ぶと、ソウルのようなアジアの都市を訪れたような気分になります。東京もアジアの一都市ですが。プチ外国旅行気分ですね。
2017年10月13日
ニュース欄に投稿すればよかったかもしれませんが、本日午後より明日(土)にかけて臨時休業となりますのでご了承ください。したがってその間はお電話が不通になります。日曜日は通常どおりです。雨降って地固まる?、研修のため神戸へ行ってまいります。
2017年10月07日
先日美容室へ行った折、各席にタブレットが用意されていて、雑誌・映画を自由に観られます、とのことでした。私は紙が好きなのですが女性誌や料理雑誌以外、週刊誌も見放題なので便利ですねぇ。時代の変化を感じつつ、人差し指で色々周遊していました。と、ここまでは余談。
そんななか、ある女性誌に女優へのインタビュー記事が載っていました。どういうコンセプトのインタビューだったのか、確か近況を尋ねる企画だったかと思いますが、記事には年齢を意識して筋トレでスタイルの維持に努めているだとか、目元周りのクリームをつけるようにしただとか、そんなことが取り留めもなく書かれていました。
その時ふと、女性誌とはいえどうしてこうも顔と体の話が多いのだろうという、素朴な疑問が湧いてきました。取材側の問題かもしれないけれど、これは取材対象の女優を変えてもほぼ同じ。話の方向は顔と身体の美容とファッションのことがほとんど。そしてどの人も大体言うことが同じ。つまらない…。
さて、この私の疑問は、先日言及した本(斎藤環著『母は娘の人生を支配する―なぜ「母殺し」は難しいのか』2008 NHKブックス)に少なからず関係してくることなのです。
著者は、父と息子、父と娘、母と息子のいずれの関係性とも異なり、母と娘の関係は大変難しいものだと論じています。友達のように仲良しの一卵性母娘も、母による支配や束縛が強烈な母娘も、その関係性の本質は変わらず、娘が母に対し従順であろうと反抗的であろうと「母殺し」(母離れ)の難しさ(ほとんど不可能さ)を説いています。
それは何故か?
単に同性同士で距離が近いということの他に、女性性、身体の共有、母の言葉といったことが深く関わってくるようです。摂食障害が女性に多い疾患であることから考えても、女性にとって身体というものはどういった意味を持つものなのでしょうか。また、「母と娘は服の共有をすることがあっても、父と息子はそんなことをしない」という指摘も考えさせられます。息子が父から何かのウェアを特別に借りることはあっても、日常化しているということはないでしょう。
答えは簡単ではありません。母娘関係で苦しむ人にとって(勿論悩まない人たちにも)、これを読むと自らの関係を振り返る糸口が掴めるのではないかと思いました。そして自分なりに考えることが、母なるものの支配から解放されずとも解放されていく(?)のではないかと一縷の望みをもった次第です。
2017年09月29日
就寝時にだらだらと読書をしながら過ごすのが心地よい季節となってきました。
手軽に読めるかと思って購入したのが、精神科医斎藤環先生の著『母は娘の人生を支配する―なぜ「母殺し」は難しいのか―』(2008 NHK出版)、でした。ところが…、精神分析的解釈やサブカルチャーの視点からの分析でなかなか難しく、ただいま続行中です。でも大変面白いので、また次回感想を書きたいと思います。
皆様は秋の夜長をどう過ごされていますか?
2017年09月17日
ふぅ…、一週間が無事終わりました。台風はどうなっているのでしょうか。
お彼岸間近といえば…、私が暮らす街には禅宗の大本山があり仏教が盛んなところでもあるのですが、先日、地元の冊子に白隠という江戸時代の僧侶が説いた、「坐禅和讃」という経典の解説が少しだけ載っていました。
うつや不安に効果が高いマインドフルネス瞑想だけでなく、ACT(アクト:アクセプタンス&コミットメント・セラピー)や森田療法などの背景にも影響を与えたであろう仏教の教え。
以前ある人が、精神科クリニックの一室のドアを開けたら、患者さんたちが車座になってマインドフルネス瞑想をしており、異様な空気を感じて恐ろしくなりドアを閉めた、という話をしてくれましたが、確かに、瞑想というものを全く知らないと怪しい宗教のようで怖いですよね。
宗教臭いのはどうも嫌という人の気持ちもよくわかりますが、瞑想や仏教の教えを「自分の心との向き合い方を教えてくれるもの」として捉えてみると、結構面白くて有効なのです。
さて「坐禅和讃」に戻ります。「怒りや憎しみなどに振り回されそうになったら、心を静めて坐り、背筋を伸ばして体を調え、下腹に重心が来るようにして呼吸をゆったりとさせて、自らの心をよく見つめます」。「固くて冷たい氷も溶ければ水であり、水は一切の生き物を生かします。」などと書いてあります。
固くて冷たい氷というのが、怒りや憎しみといったネガティブとされる感情ですね。こういう比喩が仏教臭いのですが、でもマイナスやプラスの感情というものは、本来水のようにサラサラと流れていき、変化し、とどまることがなく、すなわち感情を「感じないように」抑えることは本来不自然であり、また、ずーっと同じ感情を味わうことも不可能なことなのだということが上手く表現されていると思いませんか。
2017年09月06日
秋の気配をそこここに感じますね…
秋でもないですね。ザリガニ。10cm以上はありそうなザリガニでした。ゆっくり歩いてきて、人に気が付くと、ハサミを振り上げて威嚇していました。拳骨を振り回して怒っているおじいさんのようでした(笑)やれやれ。