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ブログ 心's LOOM

母と娘

2017年10月07日

先日美容室へ行った折、各席にタブレットが用意されていて、雑誌・映画を自由に観られます、とのことでした。私は紙が好きなのですが女性誌や料理雑誌以外、週刊誌も見放題なので便利ですねぇ。時代の変化を感じつつ、人差し指で色々周遊していました。と、ここまでは余談。

そんななか、ある女性誌に女優へのインタビュー記事が載っていました。どういうコンセプトのインタビューだったのか、確か近況を尋ねる企画だったかと思いますが、記事には年齢を意識して筋トレでスタイルの維持に努めているだとか、目元周りのクリームをつけるようにしただとか、そんなことが取り留めもなく書かれていました。

その時ふと、女性誌とはいえどうしてこうも顔と体の話が多いのだろうという、素朴な疑問が湧いてきました。取材側の問題かもしれないけれど、これは取材対象の女優を変えてもほぼ同じ。話の方向は顔と身体の美容とファッションのことがほとんど。そしてどの人も大体言うことが同じ。つまらない…。

さて、この私の疑問は、先日言及した本(斎藤環著『母は娘の人生を支配する―なぜ「母殺し」は難しいのか』2008 NHKブックス)に少なからず関係してくることなのです。

著者は、父と息子、父と娘、母と息子のいずれの関係性とも異なり、母と娘の関係は大変難しいものだと論じています。友達のように仲良しの一卵性母娘も、母による支配や束縛が強烈な母娘も、その関係性の本質は変わらず、娘が母に対し従順であろうと反抗的であろうと「母殺し」(母離れ)の難しさ(ほとんど不可能さ)を説いています。

それは何故か?

単に同性同士で距離が近いということの他に、女性性、身体の共有、母の言葉といったことが深く関わってくるようです。摂食障害が女性に多い疾患であることから考えても、女性にとって身体というものはどういった意味を持つものなのでしょうか。また、「母と娘は服の共有をすることがあっても、父と息子はそんなことをしない」という指摘も考えさせられます。息子が父から何かのウェアを特別に借りることはあっても、日常化しているということはないでしょう。

答えは簡単ではありません。母娘関係で苦しむ人にとって(勿論悩まない人たちにも)、これを読むと自らの関係を振り返る糸口が掴めるのではないかと思いました。そして自分なりに考えることが、母なるものの支配から解放されずとも解放されていく(?)のではないかと一縷の望みをもった次第です。

日日草

 

 


読書の秋

2017年09月29日

就寝時にだらだらと読書をしながら過ごすのが心地よい季節となってきました。

手軽に読めるかと思って購入したのが、精神科医斎藤環先生の著『母は娘の人生を支配する―なぜ「母殺し」は難しいのか―』(2008 NHK出版)、でした。ところが…、精神分析的解釈やサブカルチャーの視点からの分析でなかなか難しく、ただいま続行中です。でも大変面白いので、また次回感想を書きたいと思います。

皆様は秋の夜長をどう過ごされていますか?

鶏頭:これも鶏頭の花。子規が眺めたのは違うタイプでしょうか…。


お彼岸間近ですね

2017年09月17日

ふぅ…、一週間が無事終わりました。台風はどうなっているのでしょうか。

お彼岸間近といえば…、私が暮らす街には禅宗の大本山があり仏教が盛んなところでもあるのですが、先日、地元の冊子に白隠という江戸時代の僧侶が説いた、「坐禅和讃」という経典の解説が少しだけ載っていました。

うつや不安に効果が高いマインドフルネス瞑想だけでなく、ACT(アクト:アクセプタンス&コミットメント・セラピー)や森田療法などの背景にも影響を与えたであろう仏教の教え。

以前ある人が、精神科クリニックの一室のドアを開けたら、患者さんたちが車座になってマインドフルネス瞑想をしており、異様な空気を感じて恐ろしくなりドアを閉めた、という話をしてくれましたが、確かに、瞑想というものを全く知らないと怪しい宗教のようで怖いですよね。

宗教臭いのはどうも嫌という人の気持ちもよくわかりますが、瞑想や仏教の教えを「自分の心との向き合い方を教えてくれるもの」として捉えてみると、結構面白くて有効なのです。

さて「坐禅和讃」に戻ります。「怒りや憎しみなどに振り回されそうになったら、心を静めて坐り、背筋を伸ばして体を調え、下腹に重心が来るようにして呼吸をゆったりとさせて、自らの心をよく見つめます」。「固くて冷たい氷も溶ければ水であり、水は一切の生き物を生かします。」などと書いてあります。

固くて冷たい氷というのが、怒りや憎しみといったネガティブとされる感情ですね。こういう比喩が仏教臭いのですが、でもマイナスやプラスの感情というものは、本来水のようにサラサラと流れていき、変化し、とどまることがなく、すなわち感情を「感じないように」抑えることは本来不自然であり、また、ずーっと同じ感情を味わうことも不可能なことなのだということが上手く表現されていると思いませんか。

萩の花

 

 

 


秋の入り口

2017年09月06日

秋の気配をそこここに感じますね…

シックなホトトギスの花

これは?

秋でもないですね。ザリガニ。10cm以上はありそうなザリガニでした。ゆっくり歩いてきて、人に気が付くと、ハサミを振り上げて威嚇していました。拳骨を振り回して怒っているおじいさんのようでした(笑)やれやれ。

 


『The Silent Myaow』

2017年08月30日

最近読んだ本の原題が本日の表題です。ご存知ですか?心理系の真面目な本ではありません(笑)。こういう寓話?もコミュニケーションスキル磨きには必要です。

邦訳は『猫語の教科書』(1998)、ポール・ギャリコの作品です。原書は1965年ですから、かなり古い本ですね。かなり前に読んだような読まないような記憶があるのですが、今回改めて読んでみてこんなに面白かったのかと思いました。

捨て猫、野良猫、仔猫が、いかに人を手なずけて、飼い猫になってあげて、心地よい自分の居場所を確保していくかという、ユーモアに溢れた話です。詰まるところ、可愛らしい手練手管の話。女性の手練手管は青ざめるだけですが、猫の手練手管はカラッと爽やかで小悪魔的で魅力です。表現が矛盾していますかね?

が、しかし、ギャリコは女性と猫は同じと言っているので、たぶん同じなのでしょう(笑)。この作品は高慢な人ではなくて、是非自信のない人に読んでもらいたいと思います。スキル磨きも楽しみながら、です。因みに silent myaow 「声なきニャーオ」は人を落とす必殺技のことです。こればかりは猫の特権ですね。

ジンジャーの花。とてもいい香り。

 

 


沢山の物語に触れる

2017年08月23日

しばしば思うこと。

何が幸せなのか、何が楽しいことなのか、何が安らかで健やかなことなのか、また、人と付き合う上でどういう人がいい人なのか、「よくわかりません」という人がとても多いことにいつも驚かされます。

心理士の研修などに参加すると、講師の先生が「クライアントに、いい人と付き合うようにしましょう、と伝えることは非常に大切」と言われることがあります。ある仏教の僧侶も「よき縁に触れ、よき縁となし、よき縁となる」ということをおっしゃっていましたが、同じようなことを言っていますね。

でも、何がいいことなのかよくわからない、ということも、その人の生育環境などをお聴きすると理解できます。例えば、両親が冷たい関係だったり、夫婦間の愛情が感じられなかったり、諍いや喧嘩が絶えなかったりすれば、子どもは「何が温かくていい関係なのか」といったことを学ぶ機会が失われてしまいます。優しい親戚や隣人など、その子のモデルとなるような大人がよそにいればまだいいのですが、やはり基本は家庭。子どもはそこで、男女像の基本や世界観を構築していきますから。

では、いいものを学ぶ機会があまりなかった場合、どうすればいいのでしょうか。セラピー以外の一人でできることの一つが、私は「沢山の物語」に触れることだと思っています。映画、小説、ノンフィクション、自分の身の回りに生きる人々、何でもいいのです。他人の人生や生活を覗き見て、何が幸せで、どんな人がいい人なのか、何が危険で、どういう人があなたのことを丁寧に扱ってくれない人なのか、色々混合させて一応の手本となるような自分のモデルを作っていけばいいのです。勿論、善悪二元論に陥ってはいけませんが、これは結構楽しい、創造と想像の作業になります。

夏のお香


治療ゴール

2017年08月12日

8月もお盆休みシーズンに入りました。ぐずついた空模様ですが、比較的涼しくて過ごしやすいですね。

先日はEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)学会に参加し勉強してきました。発表や講演を聴き多くの刺激を受け、改めてテキストを読み返すなどしていましたが、そのなかにEMDRの治療目標が書かれていました。この治療目標がEMDRに限らず、カウンセリング及び心理療法全般の治療目標として皆様にも有益だろうと思いましたので、簡単に紹介させていただきたいと思います。

治療ゴール
 1苦悩と症状の除去
 2健康な大人になる
  ・自己をなだめる能力を育てる
  ・あらゆる情緒を感じることができる
  ・自己と外的な意識の感覚を保つ
 3大きな社会の不可欠な一員となる
  ・適切な方法で交流し、情緒的な絆を結ぶ
  ・境界の設定をし、共感し、貢献することができる

2の3番目、「自己と外的な意識の感覚を保つ」というのは、英語では「maintain sense of self and external awareness」となっています。「セルフの感覚:私が私であるという感覚」というのは理解しやすいかと思いますが、「外的な意識の感覚」というのは、外的な事象に気付いている、外界に気付いている、ということだと思います。反対に「内的な意識の感覚」というのは、自分の内側にある考えや感情や感覚などに意識を向けて気付いている、ということでしょう。

3に関しては、アドラー心理学のなかでも確か「共同体感覚」というような言葉で説かれていましたね。とても大事なゴールだと思いますが、最近はどうも他人に厳しく自己完結した人が増えてきているように思います。

これからセラピーを受けようと思っていらっしゃる方、セラピーを受けている方、良かったら参考になさってみてください。



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