2017年04月06日
やっと暖かくなってきました。
地元の桜の花もやっと二分咲きくらいに…。
でも足元にはこんな花も。上ばかり見ないで下も見ると、発見が沢山のこの頃です。
2017年03月31日
弥生の月も今日で終わりです。東京のソメイヨシノは来週が見頃でしょうか。専大前には山桜の樹が1本あるのですが、既に葉桜になっていました。
さて、先日手に入れた本について今日は紹介したいと思います。それは 中井久夫著『いじめのある世界に生きる君たちへ』(2016)中央公論社 です。
中井久夫先生は精神科医で、精神療法家であれば直接教えを受けていなくとも多大な恩恵に浴している学者だと思います。大変失礼ながら私は古典の世界の人かと思っていたのですが、御存命で現在80代のようですね。
上記の本は『いじめの政治学』という小論を元にして、小学校高学年の子にもわかるように噛み砕いて書かれたものです。優しく繊細ないわさきちひろの挿絵も魅力で、大人であれば小一時間くらいで読めてしまいます。
何がいじめであるか、いじめのワナのような構造について、加害者の権力欲について、いじめの三段階(孤立化、無力化、透明化)について、いじめは被害者を隷属化し尊厳を奪う犯罪であること、などが丁寧に易しく説かれています。やられてやり返すというような、立場がクルクル逆転するものはいじめではないのです。従って「時にはいじめも子どもの世界に必要」「いじめられる側にも落ち度がある」という安易な意見は通らなくなります。
すぐに理解できたような気になって、その実一回読んだだけではするりと腕の中から抜け落ちてしまう。でも読み返すと非常に重要なことが書かれていてじわじわと響いてくる。いじめられている子どもしかり、まずは大人たちが読むべきものだと思います。なぜなら、大人の世界にも、というより大人の世界にこそ、夫婦、嫁姑、親子、組織の人間関係など権力欲に基づく関係が蔓延しており、子どもは大人の世界を見て育つからです。待合のところに置いておきますので興味のある方はどうぞ。
2017年03月25日
また最近の本事情のお話。
昨夜、ある心理系の本を求めて三省堂へ足を運びました。
Amazonで検索したら何と600円も高いのです。新刊書ですよ。古書ではないのです。書店に行けば定価で買えるし送料もかからないのに…。それに何せここ、神保町は本の街、世界に例を見ない古書の街なのですから。でも、ねぇ…。
まずは三省堂店内の端末で在庫検索。「在庫在り」。ところが書架には見当たらず…。日本の碩学である先生の本が、昨年末出たばかりの本がない。検索結果には「在庫在りとなっていても実際には無いこともあります」とのこと。それでは意味がないではないか。たった今誰かがその本を手にとってレジに向かっている風な、時間差の問題でもない気がしたのでスタッフに聞いてみたら、同じように探してくれ、でもやはり無くて、取り寄せに10日間かかるとのことでした。ハァ…。
そんなに待てないので、今度は書泉グランデに行ってみました。書泉グランデも神保町のなかでは大きな書店です。でも行ってびっくり。心理のコーナーが無い。あるといえばあるけれど怪しい心理?の書籍がほとんど。本当に日本の人文系の知はどんどん廃れていくなあ…と改めて淋しくなりました。
それでも書泉グランデのスタッフに問い合わせると、版元も在庫薄のなか他店舗にあったものを4日間で取り寄せてくれることになりました。売れるか売れないかわからないので、どの書店も在庫を多く抱えないようにしているのでしょうね。Amazonの出店者はそこを知っていて値を上げているのでしょうか。
本離れも激しいけれど、アカデミックな場などで地道に研鑽を積んできた人のものより、テレビに出ている自称某のものが多く店頭に並べられている昨今。もうそろそろいい加減そういうのなくならないでしょうか…。
2017年03月18日
気付けば今日から連休のようで、東京駅は思うように歩けないほど混んでいて大変くたびれます。春になると随分暫くぶりのクライアントさんの来室もあり、こういうことにも季節というものを感じますね。春は移動など色々変化の多い季節ですものね。
20日の月曜日は春分の日。春分の日は「自然を称え、生物を慈しむ」目的で制定されたそうです。昼と夜の長さが同じになるのかと思っていましたが、実際は昼の長さが10数分ほど長いのだそうです。計算してみたら12分長かったのですが合っているでしょうか。
生物を慈しむ…。であるならば、人も、動物も、植物も…。10数分長い陽の光を楽しみましょう。
↑うっすらとわかりますか?
鉢植えの白いマーガレット様の花を切って瓶に入れていたら、根が生えてきました。ひげのような可愛らしい根。これをまた土に移植しようと思います。
2017年03月09日
観たかった『この世界の片隅に』を観てきました。『君の名は』を抑えて某アニメ作品賞を受賞したのは納得がいきました。
昨日は国際女性デー。ああ、この作品も、一つには女性がテーマなんだな…としみじみ思いました。
舞台は戦時中の広島市や日本最大の軍港呉市で、呉に嫁いできた主人公すずを中心に、健気に生きる市井の人々の生活が描かれています。日本一の軍港の街が激しい空襲に何度も見舞われ、戦火が人々から大切なものを奪っていく様子がよく伝わってきます。戦争はもっと悲惨で惨いものなのにほのぼのきれいに描き過ぎている、呉は世界的な視点からすれば最大の加害軍事拠点だったにも関わらずその視点が抜けている、などの意見があるのもわかります。
宮崎駿監督の『風立ちぬ』がアッパークラスの人々の戦時下の生き様を描いているのに対し、こちらは市井の普通の人々です。普通というのは、戦争とか国家というものに対しては無知で(すなわち自らの加害者性には無頓着というか知る由もなくて)、生きていくことにかけては精一杯工夫をして逞しく生きる「すず」のような人ということです。でも決して脳天気という意味ではなくて、特にすずは好きな絵を描くことによって自己表現し、また時折とても醒めた目を自分に向けながら暮らしているのです。
「銃後の女たち」を美化した作品は嫌いなのですが、この作品はそうではなくて、残酷な戦争に巻き込まれながらも何とか人間性を失わずに生きようとする人々の姿を描いたものでした。
ジェンダーという点から観ると、男性も勿論のこと、当時の女性たちの生活は本当に大変だったと思います。すずは嫁いできた日から一家の主婦として働くのですが、ガスも水道もない生活で、朝早く水を汲みに行き、乏しい食糧事情のなかで日に三回家族の食事を作り、お風呂を沸かし、洗濯などをする。自分のことは後回し。すずはそれを楽しみながらできる性分ではありますが、やはり苦労も絶えない。軍人相手に働かざるを得ない遊女もいて、何だかな…と同じ女性として本当にしんみりしてしまいます。
私が小学生だった頃の地域に、奇行の激しい、梅干しのような歳をとったおばあさんがいました。奇行を敢えて書きませんが、子どもたちが面白がって渾名をつけたり似顔絵を書いたりして冷やかし本当に気の毒でした。戦争で夫と子どもを亡くしてああなったと聞いていましたが、当時若く見積もって70代としても、戦争当時は20-30代。今考えるときっと色々なことがあったということは想像に難くありません。
『この世界の片隅に』は過去の話ではありません。また日本が受けた被害の話に矮小化してもいけません。今でもシリアをはじめ世界中の片隅で起きていることなのですし、過去は現在へ引き継がれ、そして未来へ続いていくものなのですから。
2017年03月03日
今日は雛祭り。帰ったら温かい甘酒でも飲みたい、休みにちらし寿司でも作りたい…と思いを巡らせていますが、3月8日は国際女性デーということです。
女性デーに関連してか、ここのところの新聞記事に「女子力」についてのアンケート記事や各界の人からの若い女子たちに向けたメッセージ特集などがあってなかなか面白いのです。
「女子力」というと何だか軽いテーマですが、実はジェンダー(社会的性差)やセックス(生物的性差)に繋がっていくテーマですよね。
各界の人からのメッセージで面白かったのは、現都知事と西原理恵子という漫画家の人のでした。どちらも別に支持していないのですが、記事は説得力の高いものでした。西原氏が「お寿司と指輪は自分で買おう。その方が楽しいよ」とユニークに言っているように、お二方に共通するのは「配偶者に頼り切るのはリスキーだよ。自分の脚で立とう、これからの若い女子たち!」というものです。
2,30代は大なり小なり若さや美しさでちやほやされるもの。そこに甘えないで自分の専門を磨いたり好きなことを極めてオンリーワンになれ、と言っているのは小池都知事。
もっと大胆な西原氏は、「若さやきれいさは20年経てば資産価値ゼロ。女磨きはエステやネイルサロンじゃなくて、人生経験、経済観念、他人への優しさ、仕事のスキル etc.を磨いて自分の資産価値をあげろ」と。
「世界でたった一つの花」は当然すぎてあまり感銘を受けないのですが(むしろ特別でなくて皆フツーでいいのだと思います。親子や夫婦、友人といった関係性においては誰もがオンリーワンでしょうから)。それでも自分の好きなことを極めていくことは大事だと思います。でもそれは誰かと競って「極める」という意味ではなく(全員が全員、専門家になれるわけではないのですから)、情熱を傾けられるかどうか、好きで楽しんでいるのかどうか。好きなこと=仕事とはいかないこともありますし、むしろその方が多いのではないでしょうか。
市場価値で人の価値を測れるとは思いませんが、配偶者に経済的に頼り切るのは危険である、ということは日々の仕事で痛いほど実感しています。
自分の頭で自由に考えて行動し、且つ人と愛し合い助け合いながら生きていくには、経済的精神的両方のほどほどの自立が必要だと思います。ほどほどの、と書いたのは、健全で親密な関係というものは「自立と依存」の両方の面を兼ね備えているからだと私は考えているからです。誰もがいついかなるときも自立できているわけではありませんし(気を付けていても病気などで倒れる場合もあります)、個人の努力だけではどうしようもないこともあるのが人生です。
これまた最近のニュースですが、ヤマトの配達員さんたちが疲弊しきっているとのこと。課された膨大な仕事量と安月給の背景には、何かと Amazon を利用する私たちがいるからなのですが、こういった構造的な社会問題があるなかで「経済的自立が何より大事」とだけ説いて個人の責任に帰しても意味がないでしょう。そういえば巷では女性配達員さんたちも増えてきましたね。一部の階層を除き、女性、男性双方を取り巻く社会全体が急速に変化して厳しくなっていることに無自覚であってはなりません。
2017年02月22日
2,2,2で今日は猫の日だとか。
毎朝会う真ん丸の白猫は、近所の優しい人がエサをやりにくるのを桜の樹の下でいつも待っているのです。去勢か避妊をされて駐車場猫として飼われているようで、一応寝床もトイレもあてがわれているようです。寒い日や晩は大丈夫なのか気になりますが、日溜まりにいる姿を見かけると、柔らかい気持ちになります。
明日はまた暖かくなるそうです。体調の変化に注意していきたいものですね。