2017年09月17日
ふぅ…、一週間が無事終わりました。台風はどうなっているのでしょうか。
お彼岸間近といえば…、私が暮らす街には禅宗の大本山があり仏教が盛んなところでもあるのですが、先日、地元の冊子に白隠という江戸時代の僧侶が説いた、「坐禅和讃」という経典の解説が少しだけ載っていました。
うつや不安に効果が高いマインドフルネス瞑想だけでなく、ACT(アクト:アクセプタンス&コミットメント・セラピー)や森田療法などの背景にも影響を与えたであろう仏教の教え。
以前ある人が、精神科クリニックの一室のドアを開けたら、患者さんたちが車座になってマインドフルネス瞑想をしており、異様な空気を感じて恐ろしくなりドアを閉めた、という話をしてくれましたが、確かに、瞑想というものを全く知らないと怪しい宗教のようで怖いですよね。
宗教臭いのはどうも嫌という人の気持ちもよくわかりますが、瞑想や仏教の教えを「自分の心との向き合い方を教えてくれるもの」として捉えてみると、結構面白くて有効なのです。
さて「坐禅和讃」に戻ります。「怒りや憎しみなどに振り回されそうになったら、心を静めて坐り、背筋を伸ばして体を調え、下腹に重心が来るようにして呼吸をゆったりとさせて、自らの心をよく見つめます」。「固くて冷たい氷も溶ければ水であり、水は一切の生き物を生かします。」などと書いてあります。
固くて冷たい氷というのが、怒りや憎しみといったネガティブとされる感情ですね。こういう比喩が仏教臭いのですが、でもマイナスやプラスの感情というものは、本来水のようにサラサラと流れていき、変化し、とどまることがなく、すなわち感情を「感じないように」抑えることは本来不自然であり、また、ずーっと同じ感情を味わうことも不可能なことなのだということが上手く表現されていると思いませんか。
2017年09月06日
秋の気配をそこここに感じますね…
秋でもないですね。ザリガニ。10cm以上はありそうなザリガニでした。ゆっくり歩いてきて、人に気が付くと、ハサミを振り上げて威嚇していました。拳骨を振り回して怒っているおじいさんのようでした(笑)やれやれ。
2017年08月30日
最近読んだ本の原題が本日の表題です。ご存知ですか?心理系の真面目な本ではありません(笑)。こういう寓話?もコミュニケーションスキル磨きには必要です。
邦訳は『猫語の教科書』(1998)、ポール・ギャリコの作品です。原書は1965年ですから、かなり古い本ですね。かなり前に読んだような読まないような記憶があるのですが、今回改めて読んでみてこんなに面白かったのかと思いました。
捨て猫、野良猫、仔猫が、いかに人を手なずけて、飼い猫になってあげて、心地よい自分の居場所を確保していくかという、ユーモアに溢れた話です。詰まるところ、可愛らしい手練手管の話。女性の手練手管は青ざめるだけですが、猫の手練手管はカラッと爽やかで小悪魔的で魅力です。表現が矛盾していますかね?
が、しかし、ギャリコは女性と猫は同じと言っているので、たぶん同じなのでしょう(笑)。この作品は高慢な人ではなくて、是非自信のない人に読んでもらいたいと思います。スキル磨きも楽しみながら、です。因みに silent myaow 「声なきニャーオ」は人を落とす必殺技のことです。こればかりは猫の特権ですね。
2017年08月23日
しばしば思うこと。
何が幸せなのか、何が楽しいことなのか、何が安らかで健やかなことなのか、また、人と付き合う上でどういう人がいい人なのか、「よくわかりません」という人がとても多いことにいつも驚かされます。
心理士の研修などに参加すると、講師の先生が「クライアントに、いい人と付き合うようにしましょう、と伝えることは非常に大切」と言われることがあります。ある仏教の僧侶も「よき縁に触れ、よき縁となし、よき縁となる」ということをおっしゃっていましたが、同じようなことを言っていますね。
でも、何がいいことなのかよくわからない、ということも、その人の生育環境などをお聴きすると理解できます。例えば、両親が冷たい関係だったり、夫婦間の愛情が感じられなかったり、諍いや喧嘩が絶えなかったりすれば、子どもは「何が温かくていい関係なのか」といったことを学ぶ機会が失われてしまいます。優しい親戚や隣人など、その子のモデルとなるような大人がよそにいればまだいいのですが、やはり基本は家庭。子どもはそこで、男女像の基本や世界観を構築していきますから。
では、いいものを学ぶ機会があまりなかった場合、どうすればいいのでしょうか。セラピー以外の一人でできることの一つが、私は「沢山の物語」に触れることだと思っています。映画、小説、ノンフィクション、自分の身の回りに生きる人々、何でもいいのです。他人の人生や生活を覗き見て、何が幸せで、どんな人がいい人なのか、何が危険で、どういう人があなたのことを丁寧に扱ってくれない人なのか、色々混合させて一応の手本となるような自分のモデルを作っていけばいいのです。勿論、善悪二元論に陥ってはいけませんが、これは結構楽しい、創造と想像の作業になります。
2017年08月12日
8月もお盆休みシーズンに入りました。ぐずついた空模様ですが、比較的涼しくて過ごしやすいですね。
先日はEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)学会に参加し勉強してきました。発表や講演を聴き多くの刺激を受け、改めてテキストを読み返すなどしていましたが、そのなかにEMDRの治療目標が書かれていました。この治療目標がEMDRに限らず、カウンセリング及び心理療法全般の治療目標として皆様にも有益だろうと思いましたので、簡単に紹介させていただきたいと思います。
治療ゴール
1苦悩と症状の除去
2健康な大人になる
・自己をなだめる能力を育てる
・あらゆる情緒を感じることができる
・自己と外的な意識の感覚を保つ
3大きな社会の不可欠な一員となる
・適切な方法で交流し、情緒的な絆を結ぶ
・境界の設定をし、共感し、貢献することができる
2の3番目、「自己と外的な意識の感覚を保つ」というのは、英語では「maintain sense of self and external awareness」となっています。「セルフの感覚:私が私であるという感覚」というのは理解しやすいかと思いますが、「外的な意識の感覚」というのは、外的な事象に気付いている、外界に気付いている、ということだと思います。反対に「内的な意識の感覚」というのは、自分の内側にある考えや感情や感覚などに意識を向けて気付いている、ということでしょう。
3に関しては、アドラー心理学のなかでも確か「共同体感覚」というような言葉で説かれていましたね。とても大事なゴールだと思いますが、最近はどうも他人に厳しく自己完結した人が増えてきているように思います。
これからセラピーを受けようと思っていらっしゃる方、セラピーを受けている方、良かったら参考になさってみてください。
2017年07月28日
さて前回のブログから引き続き、最近読んだ『脳と瞑想』(2016 サンガ新書)という本がなかなか面白く興味を引きました。うつや不安に効果が高いとされる瞑想が脳にどのように働くのか、また脳の仕組みの解明は一体どこまで進んでいるのか、近年のトピックですよね。著書はタイ在住の日本人僧侶・瞑想指導者のプラユキ・ナラテボー氏と脳外科医の篠浦伸禎氏で、お二方の対談形式となっています。
篠浦氏は最先端脳外科手術の大家であり、10年程前から「覚醒下手術」というのをやっているそうです。昔の海外のモノクロ映像で覚醒下手術の様子を見たような記憶がありますが(ホラー映画じゃなくて何かのドキュメンタリーでね)、開頭した状態なのに患者さんの意識があって医師の質問に答えている、という光景にそら恐ろしさを感じていました。それが今日では、覚醒下手術は脳腫瘍摘出などの手術において成功率が高く予後が良い、また脳機能の解明が一層進む手段であるなど極めて有用なものとして期待できるとのことでした。
ところで瞑想というのは(瞑想にも種類がありますが)、俗に言われるように「心を無にする」ということを最終的に目指すのではなく、「心のありようをあるがままに気づく、観察する」ことから、ひいては慈悲の心(受容力、共感力etc.)を育むことだとナラテボー氏は述べています。慈悲、受容、共感というと一切衆生や他者の存在が念頭に置かれますが、その前にまずは自分、つまり自分の心の内に湧いてくるもの(考えや感情、イメージなど)を「あるがままに観察する、受容する、共感する」態度を培うことが重要なのでしょう。例えば、負の感情、不安や心配、怒りを感じている自分を嫌悪したり「嫌な奴だ」と冷たく評価するのではなく、「今、怒りを感じているな」ということに気づく、観察するのです。感情があることに気づくことと、感情の渦中にどっぷり浸かること、この二つは異なります。
脳外科医の篠浦氏は、観察する時に使われる脳の部位は、どうも脳の頭頂葉系のプレクネウスという場所のようだと、日頃の知見から述べています。このプレクネウスという部位は脳の中で一番線維の集まっているところ、つまり一番情報が集まるところで、俯瞰的、受動的な役目を果たしている大変重要なところなのだそうです。そしてここはアルツハイマーが始まる場所でもあるとのこと。つまりアルツハイマーは、情報のシャットアウト、現実からの逃避を起こしているのではないか、ということを示唆していました。これは日常において私も多少感じていたところです。
「あるがままに気づく」ことの大切さ。仏教の智慧が脳科学の発展によって裏付けされていくようですね。それだけでなく私が感銘を受けたのは、ナラテボー氏の心理学にまで知悉し、愛情深く温かく格式のある言葉なのでした。
2017年07月22日
いやぁ、暑い。暑さで調子を崩される方もおられるようです。スタミナをつけ、休息を十分に取り、どうにか乗り切りたいものですね。
休息というわけでもないのですが、ここのところ夜はまた瞑想法(マインドフルネス)の本を読んでだらだら過ごしています。これがなんとも心地よく…。
最近新聞の書評欄で紹介があったのですが、そのなかで評者は昨今のマインドフルネスブームを少し危惧していました。ブームは過剰な期待と、その後の失望を生むとのこと、確かにそうだなと思います。怖いくらいメディアで取り上げられていますが、いつなんどきも「驚くほど効果があって万能なのだ」というような言説に惑わされてはいけませんね。心理療法は自分に合うものを探しながら時に複数取り入れ、地道に取り組んでいくのが大事なのだろうと思います。
さて、今読んでいる脳と瞑想の文献の感想は後回しにするとして、そこには脳の使い方を判定する検査がついていたのでやってみました。よくありますよね、あなたは右脳型か左脳型か、どのタイプ?というようなもの。この検査では全部で15タイプあるとのこと。検査といっても書籍の中にIDとパスワードが付いていてオンライン上で行うものでした。敵?もよくやるものでIDとパスワードは1回こっきりの使用のみ(笑)。再チャレンジも使い回しもできない(泣)。60問の質問紙検査で、その前に簡単な原家族構成や年齢なども確か入力したと思うので、統計をとっているのでしょうね。
タイプの説明はさておき、私は歴史上の人物で例えると西郷隆盛なんだそうな。……。犬とごっつい感じしかイメージが湧きません。幕末の歴史をよく知らないので何とも言えません。どうして男なのかもわからないし、それならば源義経あたりがよかった。まあくだらないことはともかく、脳と瞑想の関係は大変面白いので後日感想を述べたいと思います。